軍と官僚制の陥穽 |
メイン
2007年04月04日
遊牧民は飢饉で決死航、一部は夜盗化あるいは都市定住
😀 くまなです。
前回は、アラブの遊牧民が、旱魃→飢饉に際して、神だのみがダメな場合、王への支援要請をすることを紹介しました。
それもダメならどうしたのでしょうか。
舞台は、↓アラビア半島です。
旱魃があまりに激しかったり、長期間に及ぶと、ただでさえ可住地ではない砂漠の遊牧民は、移動を開始する。この移動はいつもの定まった移動とは異なる。
なぜなら、自部族の領域には家畜はもちろんのこと、部族員を救える牧草、水場がなくなってしまったからであり、自部族領を超えて旱魃から免れた地域、大河の流域に移動せねばならないからである。
このことは遠方の部族を頼るにしても己の部族とは無縁であったり、敵対部族の領土に身を投ずることになるし、またその領土を通過することになる。
そのさいの危険性は襲撃の対象にもなり、死にものぐるいの戦さになることは避けられず死と隣り合わせになる。この危険性も敢えて犯さなければならないせっぱつまった状況なのである。
切羽詰っているとはいえ大きくて強い部族はいいが、弱小部族はどうする
移動・移住が選択肢とならない弱小な遊牧民は、家畜を失った後には自らも失ってゆく。
すなわち、自ら餓死、渇死を選ぶか、部族としては離散し、あるいは夜盗化して個としての生の継続をはかるほかはない。
離散の果ては都市定住の世界へ流民として入ってゆくか、縁者などのつてを頼って他の部族にmawla(被保護民)になるか、あるいは無法者の世界に入って夜盗の一員となるか、まさにディアスポラ(離散民)の領域になってしまうことになる。
(引用は、丸井英二編「飢餓」-堀内勝「牧畜民の飢餓観」より)
「夜盗化」は、掠奪が日常化している遊牧民の文化につながります。
「個としての生の継続」は、西洋人の自我の強さの根幹部分を垣間見ているようです。(参考⇒私権文明を問い直す(東洋と西洋))また、苦境を乗り切るために宗教(独善性・排他性の強い唯一絶対神)へ強く収束していったこともイメージさせます。
「都市定住の世界へ流民として入ってゆく」場合は、土地も資財も持たないので、まずは労役者になっていったでしょうし、一部は言葉巧みに幻想→価格格差で相手の財を掠め取る交換(市場)⇒交易へと収束していったでしょう。
今回は、ここまで。
次回は、上記遊牧民の具体事例や証拠となりそうな痕跡をご紹介します。
読んでみたいと思った方は、
ポチッと応援よろしくお願いします。
投稿者 kumana : 2007年04月04日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2007/04/173.html/trackback
コメント
投稿者 tano : 2007年4月18日 01:15
屈葬の理由は確かに胎児の姿勢を真似て・・・という説が最も有力ですね。悪霊説もわかりますが、わざわざ集落の中央に埋葬したのは、きっと死者も含めて仲間としていたのでしょうね。たぶんその辺の意識は現在も変わっていないのだと思います。仏壇を家において仏さんを毎日拝むように埋葬した祖霊を大事に扱っていたのではないでしょうか?