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2007年10月07日

中国戦国:斉の首都 臨淄①~市場の起点:遊楽用の離宮の様子

臨淄の人口は、約五,六十万人をかぞえていたわけで、これは、古代においては驚くべき巨大都市である。この臨淄の市民には富裕なものが多く、町は市場を中心にして娯楽、演芸が盛んで、音楽・闘鶏・ドッグレース・博打・蹴球・曲芸その他あらゆる種類の娯楽が盛行していた。大道には車がぎっしり詰まって停滞しており、街路は遊行の人々が互いに肩と肩とが触れ合うばかりであった。そして、このような臨淄のにぎわいに匹敵するような都市が何ヶ所かあったというから、戦国時代の中国における都市の繁栄は驚くべきものである。(古代中国 講談社学術文庫より)

今晩は、さーねです 😮 今日は中国:戦国時代の都市:(セイ)を通じて、さらに市場の様子に迫りたいと思います。日本は縄文晩期~弥生前期にさしかかったところ…そういう意味で、筆者同様僕自身も驚きでした
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斉の首都 臨淄:実は河と海に近い…海上交易品も市場に流通したかも
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まずは、るいネットより、市場の構造に関する普遍構造を押えましょう 😉
実現論より

古代・中世・近世を通じて、また西洋でも東洋でも、その身分によって生存を保障され、生存圧力を捨象した支配階級は、忽ち解脱収束して性欠乏を肥大させ、宮廷サロン(=規範破りの自由な性市場)で遊興に明け暮れる只の消費階級に堕落してゆく

今回紹介している斉の首都 臨淄は、戦国時代ゆえ、遊興に明け暮れていたとは必ずしも言えませんが、一定、国の統合を成し遂げ安定すると、上記のような構造に陥ることは各国の歴史に見られます
その姿が、臨淄にも見られます。臨淄古城の造りから、市場の起源とも考えられる「遊楽用の離宮」と「高級住宅」の記述を抜粋してみます。(参考図書:古代中国 講談社学術文庫より)

高い台の上に築かれた建物は、都市の中心となる宮殿ばかりでなく、遊楽用の離宮のようなものがある。そこは君主が楽しみとするところで、珍しい動物を飼った広い庭園に遊び、あるいは高い台地の上につくられた宮殿で宴会をしているありさまは、戦国時代の銅器の文様によって、その一端をうかがうことができる。

銅器の写真を見るとよくわかります。庭に動物が戯れ、女性が踊る姿が…まさにハーレム状態~遊興に興ずる様子がわかります
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王族とか高級官吏用の住宅のために、特別の住宅地区もつくられた。なかでも有名なのは、斉の宣王が、稷門という城門の付近に、各国から招いた学者、思想家のための、りっぱな住宅地区を経営したことである。世にこれを稷下とよび、ここで活動した思想家たちを稷下(しょっか)の学士と称した。

ここがまた面白いところです。王は、国の統合と繁栄をどうするか?が課題であったのでしょう。学者や官吏等、優秀な人材を囲うために、高級住宅という場を与え、裕福な暮らしを保障したのだと思います。
では、市場の起点のまとめ
・遊楽用の離宮=遊楽用の様々な商品,貴重な品を供給できる場ができた。
・高級住宅=列強各国が群雄割拠する圧力に対応するため、優秀な人材を囲った。
さすが、戦国時代に強国斉の王ですね。遊ぶも堕落はしていない。
次回は、この起点から拡大した市場がどのような機構か?記事をアップしたいと思います 😀
PS:次回予告
中国戦国:斉の首都 臨淄②~市場の機構 😀 です

投稿者 sawatan : 2007年10月07日 List  

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