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2007年07月15日

中国に村落共同体は存在しなかった。    ~共同体を知らない個別二者関係が積層した社会~

中国は、血縁関係が非常に強く、そのネットワークによる助け合いもすごいという話をよく聞く。そう聞くと、ぼくなんかは30年くらい前までの日本の姿をイメージしていたのだけど、一方で、中国人はかなり個人主義的で利己的だという話もよく聞きいており、イメージのギャップを埋めることができずにいた。
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しかし、最近西尾幹二氏の本『国民の歴史』を読んでいて、おぼろげに分かってきた。・・・・西尾氏が、足立啓二氏『専制国家史論』を読んでまとめた文章より引用する。(足立氏は近世の村落共同体の対比を通じて、社会の基底部を対照的にあきらかにしている。)

[日本型村社会を知らない中国]
・日本の村は共同の仕事を行う。道路の建設修理、水利・河川の管理、入会山の管理、消防など、ムラの業務として行うことに事欠かない。個々の家族だけでは実行できないような仕事をムラは肩代わりした。葬儀も行われる。草の確保や燃料の準備、田植えなどの農業の再生産のための様々な共同活動を行っている。
・これに対し、中国の村落で行う業務は極めて限られている。「看青」と呼ばれる農作物の窃盗防止のための監視作業ぐらいが共同作業といえば言えるらしい。道路の修理はほとんどすべて私的に行われる。
・そもそも中国の村落には村人の所有地の総和としての村の土地が存在しない。・・・・どうも中国の村落にはこのような集団自身の領域がないらしい。
・日本のムラでは、村方三役と呼ばれる執行機関などが存在する。寄り合いがほぼ月々に開かれ、さまざまな仕事が相談される。中国の村落には寄り合いに相当する集会がまったく存在しなかった。

どうも中国のムラは村落共同体的性格を殆どもっていなかったようだ。

・そのかわり中国の村落は極めて開放的で、家族を伴い居住する意思を持つ者がやってくれば、明日からすぐ村人として認められる。村人と外者を区別する明確な目印が存在しない。さりとて村人になってもとりたてて利益も権利もない。かわりに万人に開かれている。

・・・現在の新興住宅地みたいですが、どうも国家の管理が間を埋めていたようです。

>自律能力を持った共同体としての日本のムラと、団体的指標に乏しい中国の村落という、村落に見られた集団の構造の違いは、家族と同業者組織の構造にも当てはまることになる。より集中した村であった日本の都市と、軍事行政センターである中国の都市もまた同様の対比を構成する。
足立啓二 「専制国家史論」

・人間の生活は個人で行われる部分以外に、ムラや町や家族や、同業組合といった中間団体といった組織がさまざまな形で世話してくれる。しかし中国では、人間の営みのわずかな部分しか公共的には処理されていないことになる。公共的に必要な空間は「国家」によって埋められてしまったのである。そうなると極めてドライな個人主義、中国人に特有の団体意識のない個人主義、他者無関心主義、公意識の喪失した利己主義のほかには強大な国家権力のみが存在するという形態になる。

(※足立氏によれば、戦前の研究で専制国家の基礎は非団体的な社会であるという最終認識を得られていたようです。しかし、戦後の中国研究には継承されなかったらしい。そこに現在の中国をめぐる誤解がありそうです。)

[人格的共同関係を欠く中国社会]
・日本人は生まれながらにしてムラのなかに生きている。しかし、中国の社会では、人と人とを結びつける原理は何によるのであろうか?原則としては個別的な二者関係で結び付けられており、無限かつ縦横に果てしなくつらなる二者間関係の総和をつくりだすネットワークとして社会は存在している。中国は、基本的に団体というものを持たない。中間的な共同社会を知らないが故に、たんに二つの個人と個人の間の関係的な社会といってもいい。

中国社会は、少し前の日本の社会(共同体的な村落)イメージとは全く別物の社会だったのだ。
上記のように考えると、血縁関係や人間関係が濃密で強いのに、個人主義が強いという特徴も、至極納得できてしまう。
安定した集団・共同体が存在しないが故に、安定を求めてなんとか二者関係のネットワークを広げようとする。その努力が、血縁・地縁を用いた二者関係を積層させ無限に広げていくのだろう。安定した小集団を失った状態では、利己的・個人主義的に行動せざるを得ないのもうなづける。
中国の社会は、共同体的な土壌をかなり早期に失ってしまったのかもしれない。・・・次に、どうしてそんな社会が出来きあがったのか探ってみたい。それは古代からつづく専制国家の支配システムにあるようです。
・・・つづく
(by Hiroshi)

投稿者 ihiro : 2007年07月15日 List  

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コメント

hiroshiさんいつも綿密な投稿ありがとうございます。
中国の流れがよくわかります。
※補足や抜けがあれば是非教えてください~。
一方で中国には長江文明という大きな流れがあります。
国家統合上は黄河文明に飲み込まれていきますが、文化や歴史は現在でも続いているように思います。私が今調べている照葉樹文化もその流れです。中国を語る上で注意すべきはなるべくひとくくりにしないことだと思います。
教科書に書かれていない南からも中国の歴史を追いかけてみてはどうでしょうか?

投稿者 tano : 2007年7月30日 12:35

>国家統合上は黄河文明に飲み込まれていきますが、文化や歴史は現在でも続いているように思います。
僕も感じているのですが、中国は北と南で今も全然ちがう。南のほうは、見た目もメンタリティも日本人にすごく近い感じがしました。
北は、遊牧+風土の影響か、西アジアや西洋に近い。南はどちらかというとベトナムや東南アジアに近い。
>南からも中国の歴史を追いかけてみてはどうでしょうか?
とりあえず、少数民族や道教あたりが手がかりになるのかなと思ってます。

投稿者 Hiroshi : 2007年7月30日 17:33

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