文字の誕生① ~記録の必要性から文字が生まれた~ |
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2008年07月16日
弥生~古墳時代の勢力争いを解明する!
弥生~古墳時代ってどこまで知っていますか?
まずは簡単な中学生向きの年表を見てください。
「がんばれ凡人サイト」さんから借用しました。
日本史の年表
皆さんも大体こんな感じで弥生時代~飛鳥時代を習っていたと思います。
覚えることは大和朝廷の発足と大化の改新くらい、後は中国から来た律令制度。
奈良時代以降は人名がたくさん出てきて複雑になりますが、弥生から飛鳥時代の教科書の記述は至ってシンプルだったと記憶しています。しかし、この800年間をわずか数行の史実で終わらせるにはあまりにもいい加減ではないですか!その結果未だに弥生時代って何?古墳時代って何?大和朝廷はどこにあったの?など自国の国の始まりにも関わらず大半はわからないことだらけです。
つまり、大化の改新以前は詳しく知らせたくない何らかの意図が介在しているのではないでしょうか?
大化の改新以前は日本書記が書く神話の世界が未だに正しいとされています。
しかし事実は・・・・。統一国家が出来上がるまでの権力争いの歴史なのです。
権力を巡って日本に深く侵入した渡来人の戦乱史なのです。
天皇制を基本的に否定できない日本の教科書にはそれはかけない。なぜなら、人神である天皇が日本という列島を作ったという事になっているからです。従って国家形成の事実は大雑把にしておこうという意識が当局には働くのです。
今回はそれに果敢に挑戦してみたい と思います。
まずは難解な列島制覇の系統図を見てください。古代であそぼ!さんから借用しました。
ファイルをダウンロード
今日はこの年表を元に弥生時代の渡来人の流れを一気に勉強していきたいと思います。
内容は、この時代の渡来人の流れを非常に丁寧に書いたHP「古代で遊ぼ」さんより抜粋させていただきました。少し長いのですが頑張って読んでみて下さい。段落の最後にまとめを太字で入れておきます。時間のない人はそこだけを読んでいただいてもOKです。
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四角に囲っている部分が古代で遊ぼさんからの抜粋です。(赤字は私のまとめです。)
BC2000頃、世界的な気候変動の影響でヒマラヤやチベット高原で急激な融雪が発生し、長江や黄河、インド各地を大洪水が飲み込んだ。
長江文明は壊滅し、その人々は周辺に散ってゆきます。
これが中国古伝に登場する「三苗」と呼ばれる人々です。
三苗の人々が日本や半島南部にもたらしたのが水田用の温帯ジャポニカ。
しかし、日照時間と台風の問題で安定収穫が得られず限られた人々だけの栽培にとどまっていた。
こうして三苗の人が縄文時代後期から北九州に入り込むことによって弥生時代の農耕社会の下地が作られていきます。
BC1000頃、中国では殷が西方の遊牧民国家の周によって滅び、殷の貴族が朝鮮半島へ移封されて半島北部の先住者と混じり合って箕子朝鮮が誕生する。
その後の日本への第2波渡来人の母体と成る国がこの時期に出来上がります。
BC500頃、熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカが混植される地域で早稲種が誕生した。
場所は朝鮮半島南部の全羅南道か九州北部でしょう。
早霜や台風の被害を受ける前に収穫できる稲の登場。
寒冷化によって半島北部から半島南部や九州へやってきていた環境避難民への朗報ともなって、早稲種は半島南部や九州に一気に広まってゆきます。
この時期(BC500)熱帯ジャポニカの誕生がその後の弥生農業の可能性に繋がっています。
BC400頃、中国では周が解体し戦乱状態となって、その避難民も朝鮮半島や九州にやってきます。早稲種の発見はその人々にも朗報となって植民と開拓がはじまり、各地へ最新文化が運ばれてゆきます。
土地の概念の変化と初期開拓者の登場、これを弥生のはじまりとしておきます。
周の解体を契機に避難民が流れたのが江南地方からの弥生渡来人第一波に当たります。
これがアマテラス族となって福岡で一大勢力を作ります。
九州の沿岸域には東シナ海沿岸の照葉樹林文化(BC4000頃以降)と三苗文化(BC2000頃以降)を持ち、海を得意とする人々がいます、海神族です。初期開拓者は海神族に運ばれて各地へ展開してゆきます。
BC220頃、朝鮮半島は中国戦乱からの大量の避難民でごったがえしています。
地域によっては人数が先住者より多くなっていたのではなかろうか。
そのまっただなかにあったのが半島北西部の箕子朝鮮。
中国から朝鮮半島へやってくる避難民は九州とは桁ちがいの人数だった。
ついに箕子朝鮮は崩壊し、BC195に燕の衛満が箕子朝鮮を奪取して衛氏朝鮮を建国。
箕子朝鮮の箕準王等は半島南部へ脱出した。
スサノオはこの集団の中から登場し日本に渡来した人物。スサノオは箕準王ないしその王子である、としておきます。
箕子朝鮮から渡来した戦争一派がスサノオでこれは戦争を本格的に登場させた弥生第2波に相当します。
九州では交易と海運が発達中だったが、武力を伴う王はまだ登場していなかった。
このころの九州の主はアマテラス族(初期開拓者)と海神族。どちらも母系社会でしょう。
そこへ「王」の意識と武力をもつ人物がやってきた。
武力に勝るスサノオが先住者を圧倒。
九州北岸はスサノオ支配となり、アマテラス族は天の岩戸などへ避難するほかはなかった。
(~これが日本神話にあるアマテラスの岩戸隠れです)
スサノオとアマテラスの場合は戦争だった。戦死者数はうなぎのぼりとなります。
佐賀県の唐津湾松浦川河口に宇木汲田遺跡があります。
BC200頃までは甕棺や一般的な装飾品が出土する集落です。
(アマテラス族ないし海神族の集落と推定)
そしてBC200頃から朝鮮型の細身銅剣や銅戈が出現しはじめます。
(スサノオ族が支配したと推定)
スサノオはそれまでの渡来人アマテラス族を駆逐する形で福岡を支配します。
BC221に秦が中国統一を果たしたが、わずか20年で滅びて前漢が建国。
前漢に追われた秦王朝関係者が朝鮮半島に渡来する
BC150頃、呉楚七国の乱からの脱出者が九州へやってきます。
もうひとりの王の登場、五男神の最後の二人、天之忍穂耳と天穂日の渡来です。
天孫の「親父」の登場。
天之忍穂耳は予定通り北九州の唐津湾に上陸。
前出の唐津湾の宇木汲田遺跡が示すスサノオとの戦闘・・糸島に拠点を確保する。
アマテラス族と同盟を結んでアマテラスを天の岩戸から救出・・
このとき最新の呉文化と楚文化(原始道教、天兒屋根)がアマテラス族に浸透したと推定。
祭祀者は「漢字」をこのころ使い始めていたと思います。
九州に二人目の王が登場し、戦いは王対王の戦いとなって激しさを増し人々は困窮し農地は荒れた。第一次倭国争乱と称しておきます。
北九州各地で戦死者とみられる骨が急増する時代です。
第2波の本丸が登場します。秦王朝の関係者=天孫族が朝鮮半島を経由して九州に上陸します。この一派は鉄器を用い、スサノオの軍と激しい勢力争いをして勝利します。第一次倭国争乱です。
BC130頃にアマテラス族+天之忍穂耳とスサノオ族の停戦協定が成立。
スサノオは半島の伽耶へ強制送還となった。これが記紀にいうスサノオの追放。
アマテラス族は旧領土を復活。スサノオ後裔は豊前の宇佐ないし豊後の大分に中枢をおいて古出雲王朝(出雲神族)を建国し瀬戸内を東進。
BC100頃には出雲臣族は若狭を経て琵琶湖、京都へ進出。
出雲神族もまた瀬戸内から兵庫、河内へ上陸して開拓開始。
こちらでも祖を異にするふたつの出雲が接続して瀬戸内と日本海をめぐる「環出雲王朝」が成立した。
スサノオと同郷の天穂日命が出雲を基点に近畿までの出雲王朝を作ります。この時期には九州を天孫族が、四国、近畿を出雲神族が支配する形になります。
BC100ころ九州北岸から萬幡豊秋津師姫と天之忍穂耳の子「天孫」がアマテラス族と海神族の地へ降臨。瓊々杵は西岸の出水市付近へ、天火明は日向延岡付近へ
AD1頃、弥生黄金時代を支えていた温暖化が終わり各地で異常気象が発生し始めます。
不作、食料不安が農地の拡大を求めますが、九州では新規開拓できる土地はすでになし。
このころ霧島で神武誕生。(~これが所謂、後の天皇制度の起源になる天孫降臨である)
天孫族が作った神話、天孫降臨、これが後の天皇制度の始まりです。つまり天皇一族は中国から来た渡来人が神武の誕生と共に国家統一に向かっていくのです。神話の中では朝鮮系のスサノオを兄弟にしたことになっていますが、実際は駆逐していきます。
神武は日向の王彦五瀬と密談をかわし、出雲追い落とし作戦を練り上げた(^^;
神武は隼人族をメインとする強力な軍隊を率いて福岡へ北上する。
その経路となった九州西岸の勢力とも同盟をむすんでゆきます。
九州統一を果たし、倭国を設立します。同時に神武天皇の東征が始まります。
そこからは父系制の天皇制度が継続され(神武天皇は神話上の人物で実際の天皇は9代崇神天皇からだと言われていますが・・・・)継体天皇にいたるまで王朝は続きます。
神武天皇は神話上の人物としてもその後の9代目には実際の天皇が誕生し、大和朝廷を作ります。九州と近畿の王朝で内部抗争していた天孫族もその後、継体天皇の時に近畿を拠点とする王朝に統一されます。これがAC500年の事です。
最期に「古代で遊ぼ」さんから渡来人の経路を動画で示したすごくわかりやすい地図があります。
「弥生書記変遷地図」
「弥生後期変遷地図」
↑クリックを見ていただければ上記の流れが一目で判ると思います。
読んでいただいてありがとうございました。
質問はどんどんコメントに書いてね!答えられるかどうか自信はありませんが・・・^^(tano)
投稿者 tano : 2008年07月16日 TweetList
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