弥生期以降の氏族系統(1) |
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2006年11月15日
弥生期以降の氏族系統(2)
弥生期は、様々な異民族が日本に流れ込んできた激動の時期だったようですね。
引き続き、その様子を見ていきたいと思います。
【古代史と古代・中世氏族研究の世界へようこそ】より引用
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/youkoso.htm
その王家の支族は二世紀前半頃に筑前海岸部へ遷住(いわゆる「天孫降臨」で、「日向」とは筑前国怡土郡から那珂郡にかけての一帯とその近隣地域のこと)、更にその王族庶子が遙か東方の大和へ移動して(いわゆる「神武東遷」。後記)、二世紀後葉に原初大和朝廷を形成した。
この王家一族の後裔諸氏の多くは、皇別(皇親)や神別の天孫に属したが、初期大和朝廷の王統(皇統)自体はこの部族内で交替があったとみられる。天皇家のほかでは、物部連、出雲臣、額田部連、服部連、鳥取連、玉祖連などを代表とする。
この種族の源流は、中国古代の周・殷・羌族などの東夷系(北狄ともかなりの混血があったか、習俗で似通ったものがある)に通じており、箕子朝鮮の王族ないし扶余王族の流れとしてよさそうである。地域的には、朝鮮半島南部の伽耶(とくに安羅)→忠清南道北部→中国の遼西→山西省南部、さらにはその遠い源としては西域まで遡る可能性がある。また、西域から四川省に進出し、古代三星堆文明を築いた種族も同族とみられる。
この一派として別途、遅れて日本列島に渡来したのが天日矛の一族であり、子孫が一旦朝鮮半島に戻って暫時留まった後、その子孫(この引率者も同名の「天日矛」として伝える)が再来日して但馬の出石地方に定住した。出石定住は三世紀前半頃とみられる。
以上の三ないし四の種族・部族が主となって融合して、現代の日本人の多くにつながってきたものとみられるが、当然ながら、日本列島の中でも地域により混血の対象・程度に濃淡の差がかなりある。
なお、古代の蝦夷・熊襲・隼人などは、弥生文化を拒絶して辺地に居住した部族のようであり、古来からの山祇系の色彩が強い。
(4) その後も絶え間なく、大陸や朝鮮半島から新しい文化や技術・信仰などをもって人々が渡来してきた。なかでも、四世紀後葉から五世紀前葉にかけての応神朝頃の渡来の波(このときは弓月君を中心とする秦部族や、阿智使主を中心とする東漢部族が二大要素)、五世紀後葉の雄略朝頃の渡来の波(今来の漢人)が大きかった。
七世紀後半の百済・高句麗の滅亡によりわが国に流入してきた人々も、また大量であった。奈良時代にも、大陸との交流を通じて人々がやってきたが、九世紀になると遣唐使も次第に行われなくなり、大陸からの渡来が途断した。このころから一千年超の期間、現代日本人にむけての形成・融合の過程が着実に進行することになる。
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○ 弘仁の『新撰姓氏録』では、原則として二世紀後葉の神武朝以降に渡来してきた氏族を「諸蕃」に分類し、この系統の氏族が弘仁当時の京及び五畿内の有力諸氏全体のほぼ三分の一を占めていた。「皇別」とは神武天皇兄弟以降の天皇の子孫の氏族とされ、また、「神別」とは天皇家の先祖も含んで神々の子孫の氏族とされ、そのなかには天神・天孫・地祇の分類があった。
こうした分類の基準は一応、明確であるが、具体的な分類は各氏の系譜所伝をふまえてのものであったため、姓氏や出自の仮冒の例も相当に多く見られるなど、問題も多いことに十分留意される。
○ わが国の神別諸氏(皇別・諸蕃系を除く)の殆どが、天孫族・海神族・山祇族の三系統に分けられる。その場合、火具土神(火産霊神)・火雷神の後と称し月神を信仰した山祇族は別として、天孫族と海神族との間にはかなり類似した要素もある。とくに、両族とも日神(太陽神)の信仰をもち、“素盞嗚(スサノヲ)”という名の神を遠祖とする所伝をもっていたことに留意される(鳥トーテミズムも海神族で若干見られる)。
この素盞嗚神とは朝鮮神話の檀君に通じる神であり、この遠祖伝承が正しければ、中国江南にあった越(タイ族)の色彩が見られる海神族も、わが国渡来前の朝鮮半島南部で地域先住の人々と混血して、その男系自体は上古代朝鮮の支配階層の流れを汲んだものであったのかもしれない。
天孫族の素盞嗚神は熊野大神として現れ、その子の五十猛神(八幡神、波比伎神)の流れが天孫族であり、一方、海神族の素盞嗚神は八俣大蛇退治の神であり、その子の八島士奴美命(大歳神と同神かその先祖)の流れが海神族であって、年代的にも性格的にも、二人の素盞嗚神は同神ではあり得ない。記紀神話や氏族系譜伝承では、後者の海神色の濃厚な素盞嗚神が強く現れるが、記紀神話では前者の素盞嗚神も散見する。
また、高天原で天照大神と争った素盞嗚神とは、海神族の象徴としてのものであり、大蛇退治の神の後裔の者たちの集合体が一人の神として現れたものとして捉えられよう。記紀神話に現れる素盞嗚神の性格があまりにも違いすぎるとして、二人の素盞嗚神として把握する考えもあるが、もともと別人(別神)で多数の神々に用いられた呼称であった。
○ 天孫族と海神族との差異について、敢えて端的に特徴をあげてみると(母系等の影響もあって、多少とも例外はあるが)、概ね次のようなものか。
天孫族……熊野大神・五十猛神(八幡神)・角凝魂命・高産霊神(高木神)・天照大神・天目一箇命・少彦名神などを祖神として奉斎。
粟・麻などの植物。熊・鳥(とくに白鳥・鷹・鷲)などの動物。安(夜須、安芸、安濃)・高(多賀)・三野(美濃)・鏡山・鷹取山・嵩山(嶽山、御岳山)などの地名。巨石・石神信仰。温泉神、医薬神。妙見信仰。鉄鍛冶・製塩や土器・鏡・玉・剣・弓矢・衣類の製作。日置部・額田部・鳥取部・服部・玉作部。
海神族……大歳神・大国主神・大己貴神・活玉神(伊久魂神)・大物主神・事代主神・建御名方神・猿田彦神・白山比神などを祖神として奉斎。
稲・葦などの植物。竜蛇・鴨(白鳥もあり)などの動物。長(那賀、長田)・葦(葦田)・志賀・竜王山などの地名。虚空蔵信仰。青銅・銅鐸・銅矛の製作。海部・水取部・猪養部。
山祇族については、これほど明確ではないが、その特徴としては、火神迦具土(火産霊神、香都知命)・天石門別命・天手力男命・多久豆魂命、之速日命・武甕槌神、九頭竜神、加美神、丹生神などを祖神として奉斎。犬狼信仰・月神信仰が見られ、山部・久米部・佐伯部などがある。
なお、巨石信仰は、どの種族にも多かれ少なかれ見られるので、要注意。《引用ここまで》http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/joukosi-nagare.htm【上古史の流れの概観試論】
純粋な縄文人は残ったのだろうか?滅ぼされてしまったのだろうか?
まだまだ、探求が必要ですね。。
投稿者 naoto : 2006年11月15日 TweetList
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コメント
投稿者 Hiroshi : 2006年11月22日 00:02
中国以外の古代文明においても表意文字?でしたっけ。エジプトは絵文字、シュメールはくさび形文字。インダスは?
その他の文明も含めて統合と文字の関係が分かるといいなと思います。
投稿者 dokidoki : 2006年11月28日 22:30
こんばんは!
漢字って文字単独でみると、一発で概念というかイメージが湧いてきてすごいですよね。
ただ中国のように、ズラズラと難しい漢字が並ぶと、やっぱり難しそうで、特別学問をしていない普通の人には読ませないようにしたのかな~、支配のためかなって感じがしますね。
そう考えると、日本語のようにひらがなの中に適度に漢字が混じってるのってかなり便利なのかも。