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2009年05月05日

毛人の国の考察ー2

毛人の国、即ち 古代東国に於いて繁栄をみた文明の地、その地を探ろうとする時、その手が確かに掴むことの出来る資料として、私は次の二つを取り上げようと思います。
一つは、日本書紀、安閑天皇の巻にある‘武蔵の国造の争いおよび屯倉’の項の、
 「武蔵の国造の笠原の直 使主 (オミ) と、同族の小杵 (オギ) とが争った時に、ひそかに 小杵は上毛野小熊 (カミツケノノオグマ) に助力を求めた」
という記述。

その二つ目は、行田の稲荷山古墳出土の 「辛亥銘鉄剣」 の銘文 です。
安閑期の記述は534年のこと、「辛亥銘鉄剣」 の辛亥の年は、471年だと云われていて、これは 時代区分では正に 【古墳時代】 に当たります。
現実に、毛野と呼ばれた地域の群馬~栃木には古墳が存在していますから、大和朝廷による日本統一がなされる以前の 【古墳時代】 に、毛野には国があったという風に考えてよい、ということになると思います。
(今述べていることは 別段、新しいことでもない、奇抜なことでもない、算数の1+1の説明をしている様な段階の話し ですが、話しの土台として大事なところだと思うので、このペースで続けます)。

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一つ目の安閑期の記述の要旨は、武蔵国造りの地位を巡って同族同士が争った時 使主と京 (大和朝廷) の連合軍が 小杵と上毛野小熊 の連合軍に勝って、その折に、東国の武蔵国の幾つかが屯倉 (大和朝廷の管轄地) になった、ということです。
日本書紀は大和朝廷の国家統一がなされ、律令国家が誕生した後にしたためられた国史ですから、それより以前に争いを起こした勢力は、皆、悪者として表現されているのです。
悪者 = 愚か者 = 獣 ・ ・ ・ です。
オギのオには小の字 (同じ音であるオミのオには使の字) を当て、又、上毛野小熊 の文字には、オギの小と獣の熊 を当てていて、あからさまです。
又、武蔵国造の乱、という字の並びで、武蔵には国という文字が付いていますが、上毛野小熊 のオグマの名の前、毛野の文字の後ろには国という字がありません。
【古墳時代】 は、日本の各地に古墳が出現したことが象徴する通り、日本の各地に勢力圏が出現して、夫々に文化を磨いていたと想像出来るのです。
大和朝廷のみが神からこの地を治める資格を受けて降誕した氏族である、つまり、大和 (近畿地方) に勢力が興った途端から、日本に唯一の勢力が生まれた、という、記紀が醸し出すイメージは、現実に即したものではないと、きっぱり考えなければいけません。
ー ー ー 各地に築かれた古墳は大和朝廷の勢力が拡大していったことを物語るものだという、それは既に固定観念の様にもなってしまっている様ですが、その考え方は、実は間違っているのだと、私は思います。
つまり、くどい言い方になりますが、各地の古墳の存在は 夫々に文化的な勢力圏が存在していたことを示すもの なのです。
安閑期の記述は、ですから、【古墳時代】 に毛野国があった ということをむしろ教えている訳です。
東国は 【古墳時代】 に起きた内紛で近畿の勢力に介入され、その一部 (多摩~神奈川) は、その勢力圏から切り離されていった のです。
さて、【古墳時代】 という文明を持つに到る迄、毛野国 (東国) は、一体、どの様なところだったのでしょうか。
それを知るヒントは、考古の資料、即ち 縄文の遺跡が持っている筈です。関東には縄文文化の故郷の様な景色、川や信仰されている山、等があります。
今度は、「辛亥銘鉄剣」 について考え、その次に、縄文遺跡を尋ねていってみたいと思っています。
駄文に最後迄お付き合い頂いた皆様に 感謝すると共に、いつものクリックをここでお願い致します。
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有難う御座いました。

投稿者 ruiblog : 2009年05月05日 List  

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コメント

直弧文鏡がどんなものかわからなかったので、調べてみました。
なかなか資料がなかったのですが、『比較文化史』さんのサイトが参考になりそうです。(http://www2.ttcn.ne.jp/kobuta/bunnka3/b125.htm)
直線と弧が綺麗な交わりをしている鏡ですね☆

投稿者 みちみちお : 2009年6月17日 00:05

みちみちお さん、記事の補足にもなる大変有意義なサイト紹介をして頂き、感謝致します。
「考古学から見た日本」(弥生・古墳時代編)、を今 駆け足ですが、読ませて貰いました。
又、時間をみて ゆっくり読んでみたいと思います。非常に勉強になります。
この文は、自分のブログの「沸騰する文明」という書庫に書いていたことと同じ内容で、http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/17063369.html
→ ここには、新山古墳出土の鏡の写真も入れているのですが、こちらへのエントリーの仕方が、どうもまだ、手慣れていなくて、写真などを入れるのも、分かりません。(追い追い、努力して参りたいと思っていますが・・・)。
又、この記事をエントリーしようと思った強い動機は、‘みんな一緒’ということばに惹かれるものがあったからです。
「比較文化史」の記事には、思考の仕方が違う為か、‘みんな一緒’という風な表現はないですね。
ただ、勾玉は縄文以来の伝統、ということばがあったりして、ワクワクするところがありました。

投稿者 五節句 : 2009年6月17日 16:54

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