中国最古の祭祀 ~その意味は?~ |
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2008年04月29日
中国古代:竜山文化期の遊牧民族動向
中国、母系→父系制への転換期①:BC3000年の竜山文化は既に父系制・身分制への時代は、やはりその後の王朝成立や春秋戦国時代への歴史過程を考えると、中国史上転換点 の時期であると思います
今日は、中国を調べるのではなく、周辺地域からこの時代の遊牧民族の動きを追ってみました 😮
地図でいうとこの辺り
byさーね
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竜山文化期の紀元前3000年辺りで、遊牧民族の動きを追ってみました。
【記事①】「内蒙古自治区周辺」
>長城地帯の東西(内蒙古中南部・東部、遼西地区、甘粛・青海を加えた華山の北部・西部)には、華北の農耕社会と対峙するように、牧畜や遊牧が大きな役割をはたす諸地域があった。
理解する世界史より
遼河
大興安嶺南部東麓に発するシラ=ムレン(西遼河)が、東流してラオハ=ムレン・東遼河を併せた後の呼称で、いご南流して遼東湾に注ぐ。上流域一帯は遊牧に好適で、中・下流域は農耕に適しているため古来から中国王朝と遊牧勢力の係争地となり、高句麗・渤海・契丹・女真などはその代表勢力といえる。この河の東を遼東、西を遼西と呼び、ことに遼東は中国王朝の満州経略のうえでしばしば重視された。
東アジア史データ
この時代、ツングース族は山東省に代表される龍山文化(紀元前30世紀-前20世紀)の影響を強く受け、龍山文化の特徴的な半月形石刀が、吉林、永吉、宇安、○春、通化、桓仁などで発見されている。そこは後世、扶余、高句麗が国家を樹立する地区である。この外に白山黒水や精奇里江、庫頁島地区で大量の陶器(主に黒灰陶)が出土するが、黒灰陶も龍山文化の主要な特徴とされる。
ツングース族-「原始社会」
ツングース族は、テュルク系の遊牧民であったと考えられます。中国史上でも、東胡(とうこ)と呼ばれた狩猟牧畜民族の祖先なんて説もあるそうです。
【記事②】→「ウイグル自治区周辺」
新羅ウイグル自治区の歴史
古い時代の新羅のことはよくわからないが、考古学的な遺物の出土状況などから紀元前2500年頃、アーリア人がタリム盆地に進入し、オアシス農耕文化がはじまったと考えられる。
旅のフィールドノートから
好戦的なアーリア人が中国に入ってきている。アーリア人は、インダス文明へと侵入したわけですが、タリム盆地の周辺オアシスをめぐり、チベットやモンゴル辺りの遊牧民族とも衝突→玉突き的に争乱が起きていたのではないでしょうか?
先程の地図を見てもらうとわかりやすいのですが、実は、中国の北方は中国という国ではないという気がしてきました。現代においても自治区であり、その地の行政は少数民族の自治権に委ねられています。
現代においても残存している争いは、古代から争いを繰り返してきた歴史によるものではないでしょうか?
投稿者 sawatan : 2008年04月29日 TweetList
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コメント
投稿者 雅無乱 : 2008年5月31日 00:24
なるほど…
チンパンジーも「ディスプレイ」といって、枝を振り回したり石を川に投げ込んだり、木を蹴ったりして大暴れして、その威圧感でもって序列を示す事がほとんどで、直接の決戦はあまりしないようですよね。
マヤの闘いも儀式的なものだったのかも。
アフリカのある部族で、年に一回、隣の部族と棒でしばきあって儀式的な闘争をする人々がいますが、そんな感じだったのかもしれませんね。