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2009年01月05日

■□■神社の起源と古代日本の社会構造(仮説)■□■

IzumoTaisha-honden.jpg
<ウィキペディア 出雲大社 より引用(リンク)
はじめて、記事を書かせていただきます「やっさん」です(・ω ・)

学生時代は、日本史をほとんど勉強していなかった私ですが、ある時「日本人の可能性って何?」という素朴な疑問を抱き、 「そういえば、自分たちは日本人なのに、日本人の変遷を全然知らないっ!!」ってことに気付いて、日本の古代史に興味を持ち始めました 🙄 そして、半年前からみんなと追求してきました

追求していく過程で、日本の古代史が記載されている『古事記』とか『日本書記』も読んだのですが、どこまで本当の話なのかは皆目見当が付きませんでした。。。

そこで、『神社』に目をつけてみました 古代日本の社会構造を押さえていく上で、現在も形があり、古代史の痕跡を残している『神社』を研究することは極めて重要性が高いと想ったからです

調べてみてわかった事ですが、どうやら通常言われている、『神社とは村社会のコミュニティーの場であり、みんなを見守ってくれる杜』という解釈は神社の一側面でしかないようです。。。

ということで、今回の記事は、神社の本質を捉えるべく、神社の起源+みなさんの記事を読んでの古代日本の社会構造の仮説&疑問点をUPしていきたいと想います。・゜
よろしくです
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いろんな本やネットの情報から、神社の起源をまとめてみました~ 😀

■■■神社の起源■■■
昔は大木や巨岩、山など、特異な自然物に神が宿ると考えられていた。
 →【精霊信仰】(日本においては八百万の神と称される。)

古代の人々はそうした自然物のある神聖な場所に臨時で仮設の祭場を設けて、祈祷や祭事を行っていた。

やがて、そこに神の住むところとして「やしろ」「みや」と呼ばれる常設の社殿が造られるようになったのが、今日まで続く神社の原形。
→もちろん、常設の社を建立するには、集団組織力が必要であり、社殿の起源は力のある豪族や氏族などが自分たちの氏神【守護神信仰】を祀るために造ったと考えられる。したがって、最も力のあった天皇の社として、(伊勢)神宮が最初期に社殿を整えたのは当然のことと言える。

その後、天皇をはじめ、力のある豪族らが自分たちの支配力を高めるため?に、各地で神社の社殿を整えていった。→神社ネットワークの発展

氏神(うじがみ)って何?
元々の氏神は、「氏」の神と書くように、その地域に住む豪族が祖神または守護神として祀っていた神のことを指します。
→神社は、豪族(恐らく侵略部族)にとって精神的支柱を担う役割として建立されたと見てよさそうです

その後、平安時代以降になり、血縁関係にある一族だけでなく、その氏族とともに生活を営んでいる者をも含めて「氏子(うじこ)」と称するようなりました。現代の日本においては、同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神のことを指し、同じ氏神の周辺に住み、その神を信仰する者同士のことを氏子と呼びます

力のある豪族や氏族とは?
古代の朝廷において祭祀を端等してきた豪族や氏族らがいました
(代表的な氏族は、『葛城氏』『中臣氏』『忌部氏』『物部氏』『大伴氏』『蘇我氏』など)
→恐らく、それらの豪族のほとんどが朝鮮からの渡来人(侵略部族)と考えられます

今後の追求課題は、「神社の系統(稲荷、八幡など)と豪族の関係は?」「同じ系統の神社が、全国に多数ある理由は?」「日本神話の神々がベースとなっている祭神って何?」「神社と寺との関係はどうなっていた? 」といったあたりかと考えます・・・ 😉

■■■古代日本の社会構造(仮説)■■■
日本古代史の本質は、朝鮮半島から渡来してきた渡来人同士の勢力争い!?
→大枠は、百済系と、新羅系(+任那系)との争いと捉えることができそうです

・百済(南朝鮮の西側)→北九州→ヒミコ?→天智天皇、藤原氏&現天皇系
・新羅(南朝鮮の東側)→出雲→スサノオ→継体天皇、天武天皇 
・任那(南朝鮮の中央)→↑       、蘇我、物部、秦氏?
・高句麗(朝鮮半島上部)は?→騎馬民族???


注:もちろん、詳細を追求すれば、百済系や新羅系の中にも系統が多々あったりはするのでしょうが、大枠は外していないと想われる。

日本の古代史を捉える上でよりどころとなる史書(記・紀)
日本書記は、新羅系の天武天皇が作らせたものですが、完成したのは天武天皇の死後30年以上たってからです
→過去の記事に見られるように、日本書紀は、天武天皇死去後に政権を奪った百済系の藤原氏が都合のいいように改竄した書物といって間違いなさそうです

これらを前提にして、神社の視点から、古代日本の社会構造を推測してみます

古代神社勢力から百済系・新羅系の関係を推察
8世紀までに建てられた神社の数は3000~5000社。そのうち、新羅・出雲系スサノウ一族関連の神社が7割、百済・九州系関連の神社が2割、その他少々と言われています。(根拠は要確認!!)

これが事実だとすると、体制側である天皇系が、すべての神社を伊勢神宮を頂点とする百済系の神社(祭神)に塗り替えていてもおかしくないはずです しかし、実際は新羅系(スサノオ系)の神社が多い
なぜでしょうか
ここにはまちがいなく、全ての神社を天皇系(百済系)で塗り重ねることが出来なかったなんらかの理由があったと考えられます

例えば、最初に日本に渡来してきた新羅系スサノオ一族は、大陸で獲得した(稲作や建築などの)技術を提供して縄文人とすでに融合していたと考えられる。(→融合方法は道教と関係がありそう)
そして、後から日本に渡来してきた百済系が律令国家体制をつくるころには、すでに土着民の意識上では、新羅系(スサノオ一族)の神様への信仰が出来上がっており、ムリヤリ塗り重ねて共認支配することができなかったとか 考えてみれば、日本書紀において、スサノオを暴れん坊に見立て、悪く描かれているのも、スサノオ一族の偉業を抹殺しようとしている証では などなど・・・。
ここには大きな謎があるように想います 8)

一方で、百済系と新羅系とが完全対立構造にあったとは一概には言えないのでは?と考えられる事象が2つほどあります。
それは です

新羅系スサノオ一族である大物主大神(おおものぬしおおかみ)を祭っている三輪山を天皇系(百済系)は、伊勢神宮よりも格段上位とみなして畏れ敬っていた点。
(三輪山と大物主は、記紀にも特別な存在として記載されている)

百済系天皇の祭祀を担当してきたのが新羅系の豪族だという点
(あくまで祭祀を所等していた氏族なり豪族が新羅系という前提です・・・)

以上から、象徴となる飾り(=天皇)は百済系で、祭祀関連は新羅系など役割分担されていた疑いもあります。または、表の支配者を百済系に見たてて、新羅系は表舞台に出ることはなく、黒幕として百済系を操っていた?(国家を背後から操る中世以降の金貸し構造と似ている・・・)などなど、謎は深まるばかりです 🙄

このあたりを、今後もう少し追求していってみようかと想ってます
最後は取りとめのない疑問になってしまいましたが、今後の追求を楽しみにしておいて下さい
以上、「やっさん」がお送りしました~

投稿者 marlboro : 2009年01月05日 List  

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コメント

天皇家や豪族が朝鮮由来というのは史実に反すると思います。朝鮮半島は文化の形跡が希薄なところでした。何でも朝鮮や中国を起源にするのは、戦後のGHQが行った、日本の誇りを奪うためのプロパガンダです。

投稿者 いしい : 2015年1月29日 06:32

近年、韓国考古学者の発見で朝鮮人の骨が半島で現れるのは3千年くらい前からで、それ以前では縄文人の骨が5千年前から存在するとのことです。なので、朝鮮半島には縄文文化が存在し後に半島人に押し出される様にして現在に至るのでしょう。
 また、高句麗・百済・新羅時代でも半島下部には日本エリア(倭国)があり反対に影響を与えていた様に思います。

投稿者 よした : 2015年2月6日 04:37

「百済系の藤原氏」藤原氏が百済系とは新説でしょうか?
どんな根拠をお持ちなのでしょうか?
そもそも百済などと言う地域は日本の地方豪族一国に相当するような小国が一体どんな力をもっていたと言うのでしょう? 大和政権の勢力圏とGDPと軍事力と比較すれば、どちらに優位性があったのかは簡単に想像できるでしょう。

また、「融合方法は道教と関係」道教なるものは、宋代からもので日本の弥生期に影響するはずもありません。

投稿者 うののさらら : 2015年5月2日 12:06

百済、新羅って倭国人なんでしょ!やっさんとやら、だるい事言ってるんじゃないよ!
日本はシナの影響はうけたと思うけど朝鮮の影響は皆無。
単なる文化が通過しただけだわ。
朝鮮で作られたものは乞食文化だけでしょ?

投稿者 日本人 : 2017年3月16日 21:20

もともと、稲は南方の植物です。大陸のような寒冷地の北方から稲作の文化が伝わったというのは考えにくいのではないでしょうか。
水田とは稲という植物に雨期の来たることを錯覚させて、稲を育てる技術であると聞いたことがあるのですが、間違いでしょうか。

投稿者 ドン : 2018年9月9日 23:25

藤原が 仏教を押した 百済けい
神社 にシュメール文字がある いみ 前方こえんふん の坪の形

投稿者 f : 2018年10月21日 15:43

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