伽耶を知れば古代日本が見える(2)~『伽耶』とは最後まで抵抗した倭人諸国 |
メイン
2013年04月06日
「大和政権の源流と葛城ネットワーク」 プロローグ
「和尚の大和路」葛城山より引用
大変、長らくお持たせしましたが、今回から新シリーズを立ち上げます
そのシリーズ名は「大和政権の源流と葛城ネットワーク」です。
大和政権の成立は、古代史の大きな謎 の一つですが、これまでも多くの歴史家や研究家から様々な仮説が提起されてはいるものの、いまいちピンとくる説がないというのが現状です。
そこで、本シリーズでは、大和政権はいったい何が源流となって、どういう過程を経て成立していったのか?の解明に挑戦していきます
先に半答えを提示すると、私たちは大和朝廷成立の背景に『葛城ネットワーク』の存在があったと考えます。葛城ネットワークと聞いて いう方も多いかと思いますが、続きに進む前に、ポチッと応援よろしくお願いします 😀
応援、ありがとうございます
そもそも、『葛城ネットワーク』とはなんなのか?
葛城ネットワークとは、その名の通り、古代豪族葛城氏を中心としたネットワークのことを指します。
葛城氏と聞いてピンときた人は、かなりの古代史通 😉 そうです。葛城氏は謎多き豪族として、未だ古代史マニアの心をくすぐっている豪族なのです。
古代豪族でよく聞く名は、葛城氏の他に賀茂氏、物部氏、大伴氏、蘇我氏、秦氏、藤原氏などなどおりますが、教科書的には、物部氏と蘇我氏が神仏紛争を行っていたとか、蘇我氏は藤原氏(中臣氏)に滅ぼされたとか各豪族は敵対していたと考えられています。
各豪族は権力争いをしていたという見方に立った考え方ですが、これこそが古代史を難しくしている原因だと考えられます 👿
もし、各豪族が敵対していたとしたら、考古学的にも、もっと戦争の痕跡が残るはずですが、そんな事実はありません。
そこで、私達は、見方を180度変えて考えてみました。実は、これら豪族は『同族』だったのではないでしょうか?
たとえ同族でなかったとしても、様々な文献に葛城王朝の存在や、日本の各地に葛城の名が付く地名や山があることから、葛城氏は間違いなく実存した豪族で、各豪族の中心に葛城氏がいたと考えられます。
さらに、葛城氏の起源を探ると、約2300年前に日本にも伝説が残っている徐福と関係している可能性も否定できないのです
しかし、この葛城氏、ある日を境に日本の歴史から忽然と姿が消していまうのです。あれだけの大豪族が姿を消す背景にあるものは何なのでしょうか
本シリーズの追求はすでにある程度のところまで達していますが、葛城ネットワークという切り口をもとに、当ブログでも何度も追求されている「古墳」「神社ネットワーク」「天皇制」「八咫烏」・・・を捉えなおすと、点と点を一本の線に繋げていけそうな手ごたえを感じています
詳細は本編に譲るとして、本シリーズのテーマ設定は以下となります。
1.プロローグ
2.徐福と縄文の出会い
3.古代豪族はネットワークで結ばれていた
4.母系万世一系の葛城王朝
5.半島からの外圧と葛城ネットワーク
6.父系万世一系への転換
7.オモテの藤原とウラの葛城ネットワーク
8.葛城ネットワークとは、日本を守る共認ネットワークだった
※いつものように、これらのテーマは中心となる書物も教科書もない中で、素人が様々な角度から追求していくことで記事をつくりあげていきます。
これまで積み上げてきた当ブログの追求をベースに仮説に仮説を積み上げて、テーマの解明に取り組んでいきます。したがって、追求過程で、テーマの中身が若干変更することもあるかもしれませんが、ご了承ください。
冒頭で提起した「葛城ネットワーク」は、古代のみならず、現在も脈々と続いている?ともいわれています。古代史において脈々と続いているものとなると、あるものを連想させます。
そう、古代より(形式的とはいえ)万世一系を貫いている『天皇制』です。
葛城ネットワークは天皇と関係があるのか?そもそも彼らは一体、何者なのか 目的は何なのか
それらを明らかにしていければと考えます
さて、どうなりますか、乞うご期待
投稿者 marlboro : 2013年04月06日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/04/1490.html/trackback