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2009年05月30日

■気候変動と東アジアの政治情勢::::寒冷期は北方発の戦乱期、温暖期は中原発の中央集権化

歴史を振り返ると気候(冷涼・温暖)と政治情勢(群雄割拠・中央集権)には相関がみてとれる。
大きくは、寒冷期は北方発の戦乱期であり、温暖期は中原発の中央集権化が進む時代である。ただし、北方と中原の双方から攻め込まれる朝鮮半島は、常に戦乱期で中々まとまることが難しかった。
年表にまとめてみました。みなさんのご意見をお聞かせ下さい。(年表は↓です)

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特に、稲作に関わる点について以下に要点をまとめる。
1. 稲作は呉越の難民たちによって縄文晩期のかなり早い時期に日本に持ち込まれている。しかし、それは全体として寒冷化に向かう時代であったため九州に限定され、日本国中に広がることはなかった。
2. しかし、弥生時代になり温暖化に転じると水田が青森まで広がる(田舎館遺跡)。銅鐸は水田土木事業の象徴であり、この時代の神話がオオクニヌシ神話であろう。
3. 古墳時代に入ると東日本は寒冷化でソバ等に切替、稲作が可能は地域が温暖な九州、畿内等に限られ、半島からの難民の急増も合って、畿内で大規模水田開発が進んだ。半島そして九州を終われた没落貴族たちにとって、大湿地帯であった奈良盆地と河内湖は、最大のフロンティアとなり、豪族たちはこぞって土木事業記念碑としての巨大古墳を競い合った。
4. 古墳時代も終盤に入ると温暖化に伴い東国の水田開発にも力をいれ、次第に豪族連合から、官僚制の中央集権社会へと移行していった。
(参考文献)
山中光一氏「古代史巨視考」2008年4月名著出版刊
原遥平氏「日本古代史と考古学の謎」2001年彩流社刊
田中俊明氏「朝鮮の歴史」2008年4月名昭和堂刊

投稿者 staff : 2009年05月30日 List  

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コメント

古墳時代の仏教が、支配者階級の範囲に留まっていたとありますが、仏教伝来以前から、民衆レベルでは、渡来人を通じて、広まっていたと思います。
その広まりは、飛鳥時代からあり、奈良時代、平安時代を通じて、より民衆に広まっていったのではないでしょうか。
鎌倉でいきなり、必要としたわけではないと思います。

投稿者 トライ人 : 2009年7月14日 22:22

仰るように、鎌倉が一つの転換点ならば、そのシステムを考案した頼朝は、どこからその発想を得たのでしょうか?
それとも、北条氏の考案でしょうか?

投稿者 たかし : 2009年7月15日 17:11

トライ人さん、たかしさん、ありがとうございます。
>仏教伝来以前から、民衆レベルでは、渡来人を通じて、広まっていたと思います。
なるほど。
民衆にいつ頃からどのように根付いていったのかは実は良く分からないところもあり、宗教としての仏教はもっと後ではないかと思ったものです。
仏教伝来以前から広まっていた内容、是非教えて欲しいと思います!
>鎌倉が一つの転換点ならば、そのシステムを考案した頼朝は、どこからその発想を得たのでしょうか?
頼朝という“人物”が変えたのでもなければ、“システム”があるというものでもないと思いますが、、、

投稿者 nishipa : 2009年7月16日 21:06

犬山城

oojijisunです,青春18切符で行きます お城巡りを準備中です、参考になります。

投稿者 青春18切符で行く,日本の「城」巡り57 : 2011年1月26日 08:22

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