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■気候変動と東アジアの政治情勢::::寒冷期は北方発の戦乱期、温暖期は中原発の中央集権化

歴史を振り返ると気候(冷涼・温暖)と政治情勢(群雄割拠・中央集権)には相関がみてとれる。
大きくは、寒冷期は北方発の戦乱期であり、温暖期は中原発の中央集権化が進む時代である。ただし、北方と中原の双方から攻め込まれる朝鮮半島は、常に戦乱期で中々まとまることが難しかった。
年表にまとめてみました。みなさんのご意見をお聞かせ下さい。(年表は↓です)


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特に、稲作に関わる点について以下に要点をまとめる。
1. 稲作は呉越の難民たちによって縄文晩期のかなり早い時期に日本に持ち込まれている。しかし、それは全体として寒冷化に向かう時代であったため九州に限定され、日本国中に広がることはなかった。
2. しかし、弥生時代になり温暖化に転じると水田が青森まで広がる(田舎館遺跡)。銅鐸は水田土木事業の象徴であり、この時代の神話がオオクニヌシ神話であろう。
3. 古墳時代に入ると東日本は寒冷化でソバ等に切替、稲作が可能は地域が温暖な九州、畿内等に限られ、半島からの難民の急増も合って、畿内で大規模水田開発が進んだ。半島そして九州を終われた没落貴族たちにとって、大湿地帯であった奈良盆地と河内湖は、最大のフロンティアとなり、豪族たちはこぞって土木事業記念碑としての巨大古墳を競い合った。
4. 古墳時代も終盤に入ると温暖化に伴い東国の水田開発にも力をいれ、次第に豪族連合から、官僚制の中央集権社会へと移行していった。
(参考文献)
山中光一氏「古代史巨視考」2008年4月名著出版刊
原遥平氏「日本古代史と考古学の謎」2001年彩流社刊
田中俊明氏「朝鮮の歴史」2008年4月名昭和堂刊

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