シリーズ「日本人はなにを信じるのか」~4.儒教の影響 |
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2012年07月11日
始原の言語・日本語の可能性~(4) 実体(対象)と発音体感の一致 ラ行(R)は哲学の響き/ナ行(N)は抱擁の感覚/ハ行(H)は熱さをあらわす
日本語は、実体(対象)と発音が一致した美しい言語。その音を発する時の口腔内感覚→発音体感が、それが指し示す対象(実態)の様子と密接に関わっている。
前々回、カ行、サ行、タ行の発音体感、リンク
そして前回は、ヤ行、ワの発音体感をお伝えしました。リンク
今回は、ラ行、ナ行、ハ行を扱います。もう飽きてしまいましたか?そんなことは言わせません。いずれも、やはり独特の音感を持っており、対象の様子(または、主体の状況)と見事に連関しています。今回もフムフムと言って頂けるのではないかと思います。
以下、囲み部分は、黒川伊保子氏「怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか」からの引用です。
【Rは哲学の響き、リズム、法則性の音】 ら、り、る、れ、ろ
R音は、丸めた舌の先を、上の歯の付け根あたりで弾いて出す音である。この弾く動きは軽やかなリズム感を生み出すため、語の先頭よりは後方について語のリズム感を作り出す役割を担っていることが多い。
擬音・擬態語では、語末にラ行音を使っているものが比較的多い。特に「うっとり」「しっとり」「きっちり」「サラリ」「ひらり」「からり」のような、同音の繰り返しで無い擬音・擬態語は、リズム感創生をR音に頼っているものが圧倒的に多い。また、日本語の文末の締めのことば、「する」「いる」「である」なども語尾拍の子音はRである。R音ならリズム感がいいので、何度か聞いても気にならないのだ。「だ」止めの文を続けることは、「絶対語感」のある日本人にはとても我慢が出来ない。
このような語尾拍のRの弾む感じは、「まだまだ続く感じ」を作り出しているのである。ホップ、ステップ、ジャンプのホップやステップのようなイメージだ。文尾にありながら、文がまだ続く感じや、語尾にありながら、その語のサブリミナルインプレッションが累々と続くことを暗示する。コロコロ、サラサラなどの擬音・擬態語では、KoやSaのクオリアが、弾むように、流れるようにずっと続くイメージをR音が与えているのである。
このように、ある質感が永続的に繰り返されることは、自然法則のイメージにも繋がる。R音はものごとの理を見極める知性を感じさせる音、すなわち、哲学の音でもある。
りんごが、ぽと「り」と落ち、自然の「理」を感じ取る。
リズムの「り」、理の「り」、命令に「れい」。Rは確かに、繰り返す様子→自然法則→規則と繋がっていっているようですね。次は、50音の中盤に戻って、ナ行です。
【抱擁の音 N】 な、に、ぬ、ね、の
N音は、鼻腔を響かせて出す音(鼻音系)である。上あごに舌のほぼ全体を密着させ、鼻腔音を出しつつ舌をはがすことによって発音する。上あごと舌の密着感、頭蓋内にこもって響く音のため、非常に私的な、内向的なイメージになる。また、頭蓋内にこもる鼻音は、息を使って出す他の音に比べてスピード感がないため、遅い、停留のクオリアをもつ。
(中略)
鼻音(な、に、に、ね、の、ん)は、頭蓋の真ん中、鼻腔に響くので、自分の最も内側にある音だ。その上、上あごに舌を密着させる感じは、誰かにしっかり肌を密着されて抱擁されている心地よさを誘発する。(中略)
この赤ん坊のおしゃぶりは、擬似おっぱいではなく、擬似抱擁だ。お腹の空いた赤ん坊におしゃぶりをくわえさせても怒って泣くだけだが、おしゃぶりをくわえている赤ん坊は、抱っこをせがむ回数が明らかに少ない。このように、N音の発音構造の一つ、上あごと舌の密着は、抱擁を感じさせる。したがってN音は、自分で自分を抱擁する癒しの音なのである。(中略)
母の素肌の抱擁に代替したN音は、非常に私的な感情も喚起する。ナナコという名前にどこか家庭的な印象を受けるのは、松嶋菜々子さんの影響ではない。そもそも実際の松嶋さんはバリバリ外で働いている。きらめく大スターでもある。なのに常に傍にいる「お姉さん」のイメージが消えなかった(これからは「お母さん」になってゆくのだと思うけれど・・・・)。ナナコさん、ナエさん、キリコさん、キョウコさんでは前者のほうがどこかおしとやかに感じられないだろうか。
密着:ナメナメ(幼児語)、ねえねえ(呼びかけ)
粘性:ねとねと、ぬるぬる、
癒し:にこにこ、ニャーニャー、
遅さ:のろのろ、のそのそ、
【体温の熱さ H】 は、ひ、ふ、へ、ほ
H音は、舌の付け根周辺をほっこりと開け、器官から出てくる息をブレイクさせたり擦ったりせずに、そのまま一気に口元まで運ぶことで出す音である。同じ要領でも、息をゆっくりと運ぶと音はでない。ある程度の量の息を一気に出すことで喉壁と息の摩擦が起こり、音が発生する。(中略)
物理抵抗を受けない息は、器官の体温を温存したまま外へ出てくるので、温かさの質を持っている。この温かさの質は、後続の母音によって色合いが違っている。器官からの息をそのまま口元まで一気に運ぶHaの温かさは、かじかんだ手を温められるほどだ。器官からの息を、喉奥の大きな空洞でやんわりと包んで外に出すHOも、口元の温度が高い音になる。
これに比べて、Hi、Huは、口元の温度が低い。この2音を「温かい」と言われると首を傾ける方も多いだろう。Hiは氷にも当てあられる音(氷雨、氷室)であり、フーフーは熱いものを覚ます息の音。「冷たい」というご叱責さえ受けることもある。
しかしながら、このHi、Huは、熱いくらいのサブリミナル・インプレッションを持っている。実は、口腔空間を小さく使う母音I、Uのおかげで、喉まで体温を温存してやってきた息の熱は、喉や口腔中空にぶつかり、ここに熱さを感じさせている。喉や口腔に熱を与えることによってエネルギーを消失した息は、口元に出てきたときには、もう冷たいのである。
口元の息がクールなので顕在意識は気づかないが、喉に直接与えられるHiは、ハ行の中で最も熱い。というより、Iの鋭さの印象が効いているので、痛いほどに熱い、と言う方が正しいかもしれない。日(Hi)、火(Hi)は、その素直な表出語である。
温かさ:ホカホカ、ホクホク、フウフウ、ヒリヒリ、
開放感:ホっとする、フワフワ、ほわほわ
解けるイメージ:ヒラヒラ、ハラハラ、ホロホロ、
以上、概ね全ての子音を扱いました。詳しく言うと、濁音、半濁音などを扱っていませんが、またの機会にとっておきましょう。
ここに上げられた、発音体感と対象(実体)の精密な対応関係は、(必ずしも日本語だけのものではありませんが)、擬音語・擬態語などに特に特徴的に見られるように、日本語にはその関係が、特に鮮明に豊かに存在する(残存している)ことが分かります。
日本語が、実感・潜在思念を観念にがっちりと結びつけた豊かな言語であることが分かり、日本語の可能性を改めて認識できますね。次回は、いよいよ、日本語は「母音言語」といわれる、その「母音(アイウエオ)」を扱って行きます。
投稿者 fwz2 : 2012年07月11日 TweetList
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