東北の縄文文化から学ぶ |
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2007年08月11日
インカのミイラNo3 ミイラになった生贄
1995年、アンデス山脈にあるアンパト山は標高6310mの山です。その氷が溶け、氷の中から一人の少女のミイラが姿を現しました。それがこのフワニータ。 インカ帝国にはカパコチャという、子供をいけにえにする習慣があり、彼女は山の神に捧げられたのです。
インカ王の支配下に入った地方の首長たちは、10歳くらいの男女の子供を織物や金銀で作った家畜の像などと一緒にクスコに送るよう命じられました。子供たちは、クスコの広場にある創造神ビラコチャや太陽、雷、月の像のまわりを2回まわったあと、一部はそれぞれの地方に持参の品物とともに連れ帰られ、その後、子供たちは各地の重要な神殿や聖地でいけにえとして神や太陽に捧げられたのです。
「フワニータ」はそのようなカパコチャの儀礼の際にいけにえとされた哀しい少女なのです。
インカの人たちは、自然現象の一つひとつを神秘的なものとして崇めていました。ところが、550年ほど前、火山の大噴火によって町が破壊されたため、インカ王は神様の怒りをしずめようと、フワニータをささげたという考えもあるようです。
氷づけになったため自然にできたミイラで、内臓もきれいに保存されていることから、最後に食べたものまで分析することができました。それによると、野菜などを中心とした簡素な最後の食事をしてから6~8時間かけて山を登り、美しい衣装に身をまとい、数々の副葬品とともに氷の中に眠ることになったのです。
このブログで、以前に様々なミイラ文化を紹介しました。インカでは、人は死後もミイラとして家族と共に生活を送り、家を守っていました。
~山岳地方においては遺体は埋葬でなく、洞などへの安置が通常でした。彼らは共同体の起源となる偉大な祖先達の死体をミイラ化し、生きている者のように扱いました。王族の場合、死者は豪華な衣服を着せられ、飲食をさせられ、性生活まで行わされました。インカ帝国の代々の王達は、死後も、自分の財産や土地を保つことができたので、後継者は財産や土地を受け継ぐことができず、他民族と戦争し、領土を奪い、拡張することによって自分の財産や土地を獲得せねばなりませんでした。一族の結婚や戦争などについては、祭司が死者である祖先の託宣を聴き、個人や共同体の将来を決定しました。~新大陸の古代王朝 インカの国家宗教と政治より引用
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10005011/0/kouza/section5.html
生贄というと現代では、残酷な儀式として感じられますが、インカのこういった文化的背景を考えると、フアニータは、神に捧げられる子として、特別に選ばれ、大切に育てられ、そして彼女が捧げられたあとも、山ノ神と共に人々を守ってくれるものとして崇められたのでしょう。
それにこの神々しいアンパト山の頂に捧げられたフアニータは、インカの人々の心にいき続けていたのではないでしょうか?
投稿者 hiroshi : 2007年08月11日 TweetList
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コメント
投稿者 さーね : 2007年8月30日 22:15
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投稿者 magazinn55 : 2007年8月30日 23:07
>さーねさん
コメントありがとうございます。
僕自身は神話やら民間伝承などは好きなんですが(じゃなきゃこんなエントリーは投稿しないですね笑)、
特に民間伝承は、自然に対する畏怖や、何とか力になってもらおうとする姿勢というのが、ありありと描かれている場合が多いですよ。
村にありがちな生贄の話なんてのも大体は、自然の神の怒りを収めるためだったりしますし。
縄文人の意識が続いている!と言えるかはわかりませんが、近代以降はホントに欧米との意識の違いは顕著なようです。
ただ、日本人が本源的な意識を持ち続けているというのがわかるエピソードかな、と思ってます。
投稿者 ○ : 2007年8月31日 22:39
「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
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投稿者 石垣眞人 : 2008年8月24日 16:12
僕自身、なかなか神話や昔話は面白いと思っても、それを何か否定しているようなところがありました。史実として、何か事実と離れているなーと。
>大元には精霊信仰があるんですね。
なるほどと思いました。
きっと、彼らにとっては大事な物語であり、信じる対象であったのだろうと思います。