縄文探求シリーズ【縄文時代の建築】~竪穴式住居は理想の住居形態? |
メイン
2010年12月02日
気候変動と人類の拡散
ラスコー洞窟の壁画 |
人類の歴史は、我々が想像する以上に気候変動から大きな影響を受けてきたことが、近年の研究で明らかになってきています。
気候変動は、直接的、また間接的に人類を逆境をもたらし、その逆行に適応することで進化を重ねて着ました。また、国家の繁栄や衰退にも影響を及ぼしています。
そのような気候変動とはどのようなものだったのでしょうか?
気候変動と人類の拡散・進化、歩みを見るためにも、今回は気候変動について調べてみました。
■地球の気候変動*表中の下線箇所はリンクしています。
125000年前 | エーミアン間氷期:温暖化(2℃) |
90000年前 | 寒冷化→ヨーロッパ北部でツンドラ地帯拡大 |
80000年前 | 寒冷化→スカンジナビア半島の万年雪地帯拡大 |
74000年前 | トバ火山(スマトラ島)による寒冷化(噴火後2~3年で15℃低下)→北半球で氷雪地帯拡大 ◆影響は1000年続き、生き残ったのはネアンデルタール人(※1)と現世人類のみ |
70000年前 | スンダランドが陸地に→南方モンゴロイド |
30000年前 | 針と糸→衣服の発明 |
25000年前 | 北方モンゴロイド |
21000年前~ |
最終氷期極寒期→北海が海面上に浮上、イギリスが大陸と陸続き、ドイツ北部まで氷原が南下、森林地域はイベリア半島や地中海沿岸のわずかな地域のみ |
20000年前 | 温暖化と寒冷化の繰り返し(-4~―5℃) 弓矢の発明(※2) |
17500年前 | 南半球で温暖化 |
16000年前 | 寒冷化(-8℃) |
15000年前 | 氷期末期の急激な温暖化→森の拡大・草原の縮小 |
15000年前~ 13500年前 |
北半球で温暖化(ベーリング期・アデレード期) →中・東欧に現白人 |
14700年前 | 急激な温暖化(0℃) |
14000年前 | スンダランドの縮小が始まる→南方モンゴロイドの拡散 |
14000年前~ 13000年前 |
安定した温暖化(-2~3℃) |
13000年前~ 11600年前 |
急激な短期寒冷期(ヤンガー・ドリアス期:-7~-8℃) →南西アジアは深刻な干ばつ、森林が後退し草原が広がる →地中海東部沿岸一帯が激しい干ばつに→栽培 参考:ヤンガー・ドリアスの千年間が転換点か? |
11600年前~ 11000年前 |
急激に温暖化(11300年前:急速な一時寒冷化) |
10000年前~ 8000年前 |
温暖化、亜熱帯化(0~2℃) →中東・イラン高原にニグロ(この頃までに黒色化) 牧畜の始まり、農業が中心に |
8200年前~ 7800年前 |
寒冷化と乾燥化→ヨーロッパ南東部・小アジア・地中海東部沿岸で干ばつ 参考:西アジアの気候変動①(8200~7800年前ミニ氷河時代、7800~5800年前気候最適期) |
7800年前~ 7600年前 |
温暖期→イギリスの森林限界は現在より200~300km北上 温暖化で海水が黒海に流入→原白人が西欧・東欧・中東へ移動 参考:黒海の氾濫による農耕民の移動 |
7500年前~ 5700年前 |
最も温暖な時期 ・北緯35°より北:小アジア・コーカサス南・イラン高原北は乾燥化 ・北緯35°より南:エジプト・アラビア・メソポタミア・イラン高原は湿潤化 メソポタミアの降雨量は現在よりも25~30%増 サハラ砂漠etcがステップ化→西アジアで遊牧(6000年前) |
6000年前 | スンダランド水没 |
5700年前 | 寒冷化と乾燥化 ・北緯35°より北:アナトリア高原、中央アジアは湿潤化→コーカサス集中 ・北緯35°より南:メソポタミア・エジプトは急激に乾燥化→都市文明 参考:西アジアの気候変動②(5800年前~急激に乾燥化し、遊牧民が急増) |
4200年前 | 寒冷化→メソポタミア地方で激しい干ばつ→印欧語族の大移動 |
3500年前~ 3200年前 |
寒冷化と乾燥化 |
2800年前 | 寒冷化※10000~1000年前までは概ね1~2℃温暖(グリーンランド) |
現世人類の『出アフリカ』(125000年前)からの気候変動は大きく分けて以下の3つに区分されます。
なお、11/28なんでや劇場の内容は『地球の気候変動と人種移動』にありますので、こちらも参照してください。
■125000年前~20000年前(最終氷期の寒冷化~最終氷期極寒期)
最終氷期の寒冷化が厳しく、北極・南極の氷雪が増えるとともに海面水位が低下していました。
このような時代、現世人類の『出アフリカ』は一般的に12万5千年前と8万5千前の2度行われたとされ、1度目は寒冷化により絶滅しますが、2度目に進出した人々がアフリカ以外に住む人種の共通の祖先であると言われています。
これは地球規模の寒冷化によって8万5千年前には、紅海の海面水位が一時的に80メートル低下したため、紅海入口のバブ・エル・マンデブ海峡を渡り、彼岸のアデンに移住したと考えられています。また、『出アフリカ』の2度目以降は断続的に試みられ、世界各国に拡散していったと考えられます。(参考:現生人類の「出アフリカ」から拡散)
また、東南アジア周辺にスンダランドの出現、日本列島もユーラシア大陸と地続きになっており人類の拡散が始まった時期です。しかし、74000年前にトバ火山の噴火が地球規模での急速な寒冷化と長期にわたる寒冷な気候をもたらすことになりました。そして、世界中に拡散しはじめていた人類に深刻な環境変化を強いることになります(最終氷期の気候と人類の生活~人々の生活~)。
1: ネアンデルタール人の絶滅の理由は? | |
新人が持ち込んだウィルスが原因と言われているが、ウィルスは寒さより恐ろしいものなのか。確かに、十万年もあれば変異が進んで百種くらいのウィルスができて、免疫機能が対応できなかった可能性はある(『11/28なんでや劇場を通じて顕在化した追求課題』より)。 参考:人類の絶滅 |
氷河期の期間中にはより寒冷な時期とより温暖な時期があり、寒冷な時期を「氷期」、温暖な時期を「間氷期」と呼びます。また、氷河期と氷河期の間には数百万年続く温暖な期間がいくつかあります。 最近の氷期が終わったのが約1万年前とされており、現在の地球は間氷期にあると言われています。 |
■20000年前~10000年前(最終氷期末期の気候変動)
最終氷期末期は最終氷期極寒期を終え、地球は温暖化・寒冷化を繰り返しながらも徐々に間氷期へと温暖化していきます。
この時代、人類は弓矢の発明とともに洞窟から地上へと進出し、気候変動(植生変動)に伴い食糧を求めて移動と拡散を行っていました。また、生産様式は採集・狩猟(漁撈)→農耕・牧畜への移行期にあたります。
2: 弓矢の発明時期はいつなのか? | |
人類が洞窟から地上に出たのは弓矢の発明によるものですが、その発明は寒冷期なのか温暖期なのかは決定的に重要となります。 定説の2万年前というのは、その時期の鏃が発掘されることが根拠となっていますが、その鏃の大きさは現在の何倍なのか?現在より著しく大きければ、弓矢ではなく投槍に使われたということにります。 弓矢の発明時期については、今後も継続調査が必要になります。 |
■12万年前からの気候変動 |
|
『気候変動は急激だから大問題となる』よりお借りしました |
■10000年前~(間氷期の気候変動)
10000年前以降から間氷期に入ったとされ、比較的温暖な時期が続きます。
しかし、間氷期にあっても寒冷化・乾燥化と温暖化・湿潤化を繰り返す中で、特に寒冷化・乾燥化の度に農耕地を放棄した部族が移動し、部族間衝突が起こるようになります。
また、生産様式が変化し農耕が中心になるに伴い、自然外圧への適応力が低下している(農耕は気候変動に伴う移動が不可能である)がゆえに、極短い寒冷化・乾燥化であっても部族移動→部族間衝突が生じたと思われます。
このような部族間衝突による侵略を繰り返した結果、四大文明を築いていくことになります。
まだまだ、不足する箇所もあるかと思いますが、気付いた点や疑問に感じた点はどんどん発信をお願します。
次回は人類の拡散・部族移動について見てみたいと思います。
投稿者 yoriya : 2010年12月02日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2010/12/1166.html/trackback