なぜ仏教がインドで根付かなかったのか?5~古代インドの社会構造 |
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2013年01月13日
アンデス・マヤ2大文明の“伝え”8~アンデスは事実認識に基づく超集団統合を実現していた
アンデス・ティワナク遺跡 太陽の門
みなさんこんにちは、前回はマヤ文明の時間の概念について追求してきました。天体の動きやそのリズムをさえも対象化し、宇宙全体をも生命体として捉える彼らの感性は、私達に自然の摂理の中で生きるとはどういう事なのか?という本質的なヒントを与えてくれたように思います。彼らマヤ・アンデスの人達の精神世界の奥深さにはいつも驚かされます。
さて、今回は彼らの精神世界を識る上で欠く事のできないアンデス文明の「神殿(?)」について扱います。
私たち縄文人と同じく共同体的なアンデスですが、彼らは縄文人とは異なり、古くから石の「神殿」を作っていました。
神殿に、(?)をつけたのは、追究していく過程で、これは本当に「神殿」という捕らえ方でいいのだろうか?と疑問を持たざるを得なくなったからです。そして、アンデスの「神殿(?)」を突き詰めると、彼らの歴史の驚くべき側面、そして現代に繋がる大きな可能性を感じるようになってきました。
今回は、地域も歴史も違うアンデスの人達から一体何を学べるのでしょうか?
●神殿ではなく「事実認識の形象」
アンデスでは文明の形成期(約5000年前)に、すでに神殿が建設されていました。「神殿」というと一般的には「神を祀る場」です。ところが、アンデスの神殿は異なっていました。
それは、次に紹介する、アンデスのティワナコ文明の神殿を見ていくと明らかになってきます。彼らの神殿は神を掲げていたわけではなく、彼らが発見した自然界の法則を丹念に形象化していったものであった事がわかります。
前200年ごろから紀元後1100年ごろまで続いた、ティワナク文明のアカパナ・ピラミッドの復元図
アンデス・シャーマニズムには一つの重要な表象が存在する。この十字架の形をしたシンボルはティワナコの十字架、階段状の十字架、チャカーナ、アンデスの十字架など、様々な名称で呼ばれている。(投稿者注:復元図左のピラミッド頂部にみられる十字架がそれ)(中略)
アンデスの十字架はティワナコ文明においてまず農業暦であったと思われる。現在でもティワナコのシャーマンはこの農業暦を使って、天候の予言、農事の指導などを行う。だが次第に思想的意味が加わり、ティワナコ宗教文化のシンボルとなった。
この十字架は何を表すのか。カレンダーとしての役割はすでに述べた。12段は太陽暦の12ヶ月を意味する。他に、東西南北の基本方位、そして世界の四大要素(火、大地、水、空気)を表す。また、後述する、四つのパチャ(世界)を表す。地域によって差はあるが、一般的なのは過去、現在、未来、永遠の世界である。つまり十字架が表しているのは世界そのものである
「アンデスの十字架」
(アンデスシャーマニズムとその世界観より引用)
このように神殿は、研究者たちが呼ぶような宗教では無く、古代人が厳しい生存環境の中で獲得した自然認識、つまり、精霊信仰⇒事実認識の形象であることが分かります。
冒頭で「神殿?」としたのは、神を祀り、祈る場とは決定的に異なるからです。
考えてみれば、多くの宗教ではただただ祈り、何かを与えて欲しいと神にお願いする事が多いのに対し、アンデスの人達は自然に対し、ひたすら注視し、その中から法則を見つけ出し形象化する。これらから「事実追求」とは自らが謙虚に現実を対象化する事で学ぶ行為に対し、多くの宗教が行う「祈り」とは他力的な不可能視観の心情である事も見えてきます。
●アンデスは事実認識に基づく超集団統合を実現していた
さて、この「神殿」に関しては、もう1つ着目すべき、不思議な点があります。それは、アンデス初期(形成期=約5000年前ごろ)の神殿は、集落もなければ共同墓地も無い、何もない、およそ人が住んでいたとは思えない所に建設されていると言う点です。
ディテイルにおいて差はあるものの、神殿を建設すると言う点は形成期に共通する。世界の他の地域でも神殿はあるが、アンデスの場合は複数の地域で諸神殿が並存し、何度も立て直された点、また神殿を中心とした儀礼活動以外に、社会のまとまりを示す証拠がほとんどない点が特徴である。集落や共同墓地が見つかっておらず、大規模な灌漑水路を用い食糧生産を集約的に行っていた証拠もない。町をつくらず、周囲にばらばらに住んでいた人が儀礼のときだけ神殿に集まってきたようだ。つまり神殿に社会活動の大部分が集約されているような社会であった。
杉山 三郎・嘉幡 茂・渡部 森哉著「古代メソアメリカ・アンデス文明への誘い」より引用
普段は誰もいない所に、あちこちから人が集まってきたということは、集団間を繋ぐ役割を果たしていたと考えるのが妥当です。
そしてそれは神殿の形状とも関係しています。
アンデス・マヤの神殿は、ピラミッド状ですが、例えばエジプトのそれと比べると形態に大きな違いがみられます。それは頂部が平になっている事です。明らかに人々が頂部に上って活動を行なうことを想定しています。
著書「マヤ文明」には、以下の事が書かれています。
「神殿では様々な国家儀礼が執行され、王国の住民が参加した。そこでは先祖崇拝、王の即位、後継者の任命、暦周期の完了記念日などの儀礼が行われていた。諸王国は劇場国家的な側面があった。」
メキシコ「月のピラミッド」の前で行われている儀式。古代アンデスの神殿でもこのように人々が集ったのではないか。
この事から、アンデスでは「事実認識の形象」に集うことで単一集団を超えた『超集団』の統合を計ったと考られます。しかも5000年も前からそれをずっと行なってきたことは注目に値します。
各集団がそれぞれ「事実認識」獲得し、競い、互いに共有する事で互いの集団が守られた事。そしてこの事が結果として集団に外向きの意識を形成し、集団自我を制御しつつ力で決する戦争を抑止する事に繋がっていたのです。
●アンデスに何を学ぶか
さてこの事は、実は現代の私たちに対しても重要な意味を含んでいます。
これまで歴史的には、超集団は武力による力の原理と宗教という2重構造によってしか統合できないと、学者をはじめ多くの人々は考えてきました。
ところが貧困が消滅した現代では、理不尽な武力支配(現代は資本)はもちろん、現実に立脚しない宗教(現代は近代思想)では『超集団』は全く統合できない、絶対矛盾を孕んでいる事が明らかになってきたのです。
そしてこれこそが、現代の閉塞状況を生み出す元凶になっているのです。
それに対し、今回の古代アンデスの史実追求では「事実認識」により、『超集団』が統合されていたという歴史事実が発掘されました。これはとても画期的で大きな可能性を感じます。
自然の摂理に則った「事実認識」によって超集団統合は可能であり既に実現体があった。そしてそれは何千年もの長きに渡り秩序を作り出してきたのです。
改めて、社会(=超集団)をどう統合していけばよいか?を突きつけられている現代、5000年の時を超えて、このアンデスの社会が私たちの進むべき方向性を示唆しているように思います。
投稿者 fwz2 : 2013年01月13日 TweetList
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