日本の源流を東北にみる(2)~賢治にみる東北・縄文の世界 |
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2012年09月13日
アンデス・マヤ2大文明の“伝え”~プロローグ
2012年12月21日から23日。
マヤ歴では人類が滅亡すると予言され、近年まことしやかにこの予言が書籍やネット界を通じて広がっています。ノストラダムス予言と同様、この予言もマスコミが取り上げ広げている眉唾物のひとつのように思われますが、昨今の世界経済の不透明感や進行する自然破壊、地球限界から来る終末観から、決して噂や絵空事ではないように感じられてきています。
今回のシリーズではこのマヤ、アンデスを取り巻くアメリカ大陸の歴史を扱っていきます。初回はこのシリーズを始める問題意識から始めていきたいと思います。
リンクよりお借りしました。
世界史では文明といえばアフリカ、ユーラシア大陸に6000年前から4500年前に誕生した4大文明を文明発祥とし、その後のヨーロッパ世界を通じて現在の文明社会に発展したとされています。文明とはヨーロッパ史観であり、その中に中国も日本もそしてアメリカ大陸も辺境として組み込まれてきました。ところが、アメリカ大陸では4000年前にマヤ、アンデスで同様の都市文明が誕生し、その後スペインに征服される16世紀まで独自に繁栄します。
マヤ・アンデスの代表的遺跡です。こちらとこちらからお借りしました。
アステカ、インカを征服したスペイン兵が当時のその文明や技術の完成度に驚愕、母国に報告したとされます。中南米に発展した文明は4大文明とは一度も歴史的に交わりがなくまったく独自に発展した一次文明としてこれまでも歴史家の中で研究されてきました。ただ、その注目度が生贄や暦の謎にばかりに集まり、オカルト的、超常的なものとして扱われてきた経緯があります。ところが最近マヤ文字の解明や考古学資料の集積によりそれらが少しずつ修正されてきており、この2つの文明が4大文明とは異なる要因、経過で同格に存立してきたことが徐々にあきらかにされてきています。
4大文明はいずれも大河のある乾燥地に発生、農耕⇒牧畜⇒遊牧から戦争、略奪を経て、武力による帝国を形成しました。巨大国家と奴隷によって国家が始まり私有と私婚を認めることにより国家が国民を支配、また国家同士で領土を巡り戦争を繰返す中で鉄器や農業、さらに高度な科学文明が作られてきました。文明とは国家も国民も私有を認め、私権を獲得しなければ生きていけない事から私権社会=文明であったと総括できます。
ところがマヤ、アンデスに生まれた2大文明は戦争こそあれ最後まで完全な私権社会とはならず、国家や王が民から祀り上げられ、また民の労働や共認によってそれらが維持され、4大文明とは異なる価値観、統合軸で作られてきたように思われるのです。
また、マヤ、アンデスとも4大文明やその後の世界史では当然のようにあったいくつかの要素が凡そ見当たりません。それは鉄であり、遊牧生産であり、奴隷社会であり、一神教であり、略奪を目的とした戦争です。そしてこれらの文明が立脚したのは自然を究極まで注視した中で生まれた天文学、数学、暦であり、それによって裏付けられた自然を対象とした多神教の世界です。これらの文明がなぜ誕生し、どのように繁栄し、なぜ滅んでいったのか、非常に興味関心が湧く部分です。
今回シリーズでは加えて(欲張って)、この異なる文明史観に着目、アメリカ大陸2大文明と4大文明の違いを明らかにし、そこから現代社会に警鐘する“伝え”を導き出していければと思っています。
巷の歴史書では描かれていない非常に難しいテーマではありますが、史実から学び取り、マヤ、アンデスの人に同化する事で見えてくるのではと期待しています。シリーズを通して、その中で発見できた有意義な内容をいくつかでも“伝え”ていければと思います。
このテーマの進め方を章立てしてみました。いつものように章のタイトルは変更ありという事でご了承下さい。
1)マヤは農業革命はなかった~トウモロコシ発見の軌跡
2)マヤ文明の曙~発生の要因分析
3)マヤ文明繁栄の秘密
4)アンデス文明の発生とマヤとの関係
5)アンデス文明はなぜ国家形成したか
6)マヤ文明崩壊と生贄の劣化サイクル
7)インカ帝国は強かった!?
8)アステカ王国はなぜ巨大化したか?
9)マチュピチュは(アメリカ古代)文明の結晶物
10)アメリカ2大文明の統合原理
11)インディアン、インディオはなぜ文明化しなかった?
投稿者 tano : 2012年09月13日 TweetList
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