2012年9月18日

2012年09月18日

日本の源流を東北に見る(3)~水稲を拒否した縄文人

こんにちわちわわです
今回は東北の産業としての農業に焦点を当てる前に日本における農業の変遷について押さえていこうと思います。
イネ科植物が枯れたとき、有機物は分解されて土に還りますが、珪酸体はガラス質であるため腐ることなく、そのまま1万年でも土の中に残留することになります。その珪酸体をプラントオパールと呼び、植物の種類によってその形状が異なるため、土中から検出されるプラントホールを分析すれば、その植物の属や種を特定することが出来ます。%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB.jpg
1999年時点でプラントホールが出土した遺跡は表の31例に及んでいます。
さらにその後2005年には、岡山県の難崎町にある彦崎貝塚の縄文前期(約6000年前)の地層から、イネのプラントオパールが大量に見つかりました。その量は土1g当り2000~3000個という大量のもので、上表の縄文前期の遺跡、朝寝鼻貝塚の数千倍の規模であり、これは、単にイネが何らかの理由で持ち込まれたというレベルではなく、まさに栽培されていたというレベルです。
世界最古級の稲作遺跡である長江下流の河姆渡遺跡から、わずか600年でこの列島にイネが伝播したことになります。
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投稿者 tiwawa : 2012年09月18日