【縄文再考】渡来人と縄文人の相互依存による進化 |
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2021年12月23日
縄文再考:縄文人のルーツ⑤~原日本人はどこから来た?~
みなさん、こんにちは!
今年の秋ごろから追求を深めてきた縄文人のルーツについて、今回記事で一旦の区切りとしてまとめておきたいと思います。これまでの追求で、現代日本人につながる祖先集団のルートを探索してきましたが、改めて【旧石器→縄文→弥生→古墳】の時間の流れをしっかりと意識することが重要であることがわかってきました。特に、時代の移り変わりの時期に何があったのか?が重要です。
その中でも、そもそも遺跡の数が少なく、つい最近までその存在自体が国内で認知されていなかった「旧石器時代」からどうやって「縄文時代」に移ったのかは重要です。国内の旧石器時代が公式に確認されたのは、昭和に入ってから。旧石器時代の概念とともに、同時代をもたらした旧石器時代人のルーツ探しの現状を改めて概観し、縄文人のルーツの仮説を整理します。
日本列島の旧石器時代
「旧石器時代」とは、考古学上の学術用語です。考古学では、人類が使用した道具、特に利器の材質によって、「石器時代」「青銅器時代」「鉄器時代」と時代区分しています。「石器時代」の中でも、打製石器(打ち欠いたのみで人為的加工を施していない石器)を使用している時代を「旧石器時代」、磨製石器(打ち欠いたあと磨いて人為的加工を施した石器)を使用していた時代を「新石器時代」と分けられていることは、一般的にも周知のことです。
日本列島で旧石器時代の存在が初めて確認されたのは、昭和4年(1949)のことです。行商をしつつ独学で考古学を勉強していた相沢忠洋さんが、群馬県の岩宿(現在の群馬県みどり市)の切通しでむき出しになっていた関東ローム層から、黒曜石製の石槍を発見したのがきっかけとなっています。関東ローム層は、更新世末期に堆積した火山灰の層のことで、見た目の色から「赤土」と呼ばれ、圧縮されてガチガチに固い特徴があります。そのため「赤土層に遺跡は存在しない」というのが長年の定説とされていました。しかし、この層から打製石器が発見されたことにより、日本列島における旧石器時代の存在が判明したのです。旧石器時代の存在が知られる以前、日本ではこの時代を「先土器時代」「先縄文時代」と呼んでいたそうです。岩宿遺跡の発見以降、国内でも縄文時代以前は旧石器時代と呼称されるようになりました。ただし、後続の時代に関しては、新石器時代とは呼ばず、「縄文時代」「弥生時代」と呼ぶことが定着しています。
世界的な石器時代の区分は、猿人・原人時期を前期(下部)旧石器時代、古代型ホモ・サピエンスなど旧人の時期を中期(中部)旧石器時代、現代型ホモ・サピエンスに代表される新人の時期を後期(上部)旧石器時代と呼んでいます。ただし、日本の場合、学問的論争の結果、2万9000年以前を「旧石器時代後期前半」、2万9000年~1万5000年前を「旧石器時代後期後半」とする独特の分け方がなされています。
旧石器時代に相当する時期、地球は氷河期であり、海面が低かったこともあって日本列島は、ユーラシア大陸と陸橋でつながっていました。この陸橋をわたってオオツノジカ、ナウマンゾウ、ヘラジカなどの大型草食動物が流入したと考えられています(実際に化石も見つかっています)。これらの動物を食糧とする人類もまた、獲物を追って日本列島に流入したと考えられます。本ブログでは、その人たちを旧石器時代人=原日本人と呼びます。
原日本人の起源地は、南方アジアか?北方アジアか?
では、彼ら原日本人は、そもそもどこから来たのでしょうか。日本人のルーツ探しに関して著名なのは「二重構造論(①日本列島の先住民は東南アジアから北上して日本列島に流入した旧石器時代人であり、これが縄文人の祖先になった。②弥生期に北東アジアから別の系統の集団が日本列島に渡来し、先住の集団と列島内で徐々に混血)」ですが、本ブログでは、現代日本人につながる祖先集団として「三重構造(①東南アジアと北東アジアから流入した縄文人。②北東アジアから流入した渡来系弥生人。③東アジアから流入した渡来系古墳人)」を仮説として立てています。
旧石器時代人=原日本人のルーツ探しに関しては、ミトコンドリアDNA解析が相当に進展し、次々と新しい説が生まれ、これまで定説とされてきた内容も徐々に見直され始めています(DNAとは、遺伝子を内蔵した「デオキシリボ核酸」であり、生物の細胞に含まれる。イメージとしてはDNA=箱、遺伝子=遺伝情報/遺伝情報とは、人を作るための設計方法と設計図)。生物学を含む科学の大きな進展により、ミトコンドリアDNA解析による遺伝子レベルの情報を手がかりに、古代人類の足取りをたどることが可能になっています。
DNA解析による日本人のルーツ探しに関して、最近では白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけつ)での成果が注目を集めました。沖縄県石垣市にある同遺跡から検出された旧石器時代人の人骨10点をDNA解析し、そのうちゲノム抽出に成功した人骨は5点。このうち4点は2万年前から1万年前、南方アジアから北上したことが判明したのです。ただし、このDNAが石垣島から沖縄本島を経て、本州につながるかは不明です。現時点でわかっているのは、「石垣島にいた旧石器時代人は南方アジアがルーツ」という点のみ。今後も人骨のDNA解析から多くの発見が生まれてくるでしょう。
現代人の各地域のハプロタイプ(HLA遺伝子の組み合わせ)をもとに人類の移動ルートを推定した図を以下に示します。上記の図2と比較すると、南方系アジア人(古モンゴロイド)と北方系アジア人(新モンゴロイド)の移動推定ルートがほぼ合致していることがわかります。
原日本人たる旧石器時代人のルーツに関しては、さまざまな研究分野からアプローチがあり、まだまだ百家争鳴の観があります。そのため、本ブログにおける今のところの結論としては、これまでの縄文再考の追求を踏まえて以下を固定したいと思います。
①旧石器時代にシベリア経由で到達
(北方ルート:陸路)
⇒縄文人への系統
②旧石器時代に華北・朝鮮半島経由で到達
(対馬ルート:陸路)
⇒縄文人への系統
③南方から沖縄経由で到達
(南方ルート:海路)
⇒縄文人への系統
④縄文時代に華北・朝鮮半島経由で到達
(対馬ルート:海路)
⇒渡来系弥生人への系統
⑤弥生時代に華北・朝鮮半島経由で到達
(対馬ルート:海路)
⇒渡来系古墳人への系統
投稿者 asahi : 2021年12月23日 TweetList
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