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2008年09月09日
埴輪の種類と役割
埴輪は古墳の上やまわりにたて並べられ、古墳を飾りました。種類も多くあり、役割もそれぞれにあったようです。
(参考サイト:芝山町立芝山古墳・はにわ博物館)
●円筒埴輪
埴輪のうちで最も多く、また最も早くから作られた物が円筒埴輪です。「埴輪」という言葉も、もともと円筒埴輪を指しているように思われます。
円筒埴輪は、古墳のまわりや中段を取り囲むように例をなして出土する場合がほとんどで、墳丘の崩れを防ぎつつ、古墳という聖域を区分する目的で配置されたものと考えられています。
●人物埴輪
男にはよろいかぶとを身をつけた武人、正装をした身分の高い人物、鍬や鎌を持つ農夫、鷹匠、琴や太鼓を持つ楽人、しこを踏むことで悪霊をおさえる力士などがあります。女には祭りをつかさどる巫女を現したもの、美しく着飾った貴婦人、捧げものを持つ人物などがあります。特に古墳の前での儀式に直接かかわる巫女は重要な位置をしめています。男女の違いをどこで区別すると思いますか?(ヒント:髪の型と胸に注目!)
●動物埴輪
動物埴輪は、馬、牛、犬、鶏などの家畜、猪、鹿、水鳥、魚などの獲物といった、古代の人々のくらしのなかのにいた動物ばかりです。なかでも儀式用に飾られた馬形埴輪の出土が多く、馬を持つこと自体が、財力と権力のあることを示していたことがわかります。動物埴輪のなかで最初につくられたのは鶏や水鳥で、鳥は、魂を運ぶと考えられ、ほかの動物も儀式のささげものだったのでしょう。
動物埴輪は主に古墳時代の中期から後期にかけて全国的に作られましたが、とりわけ関東地方は種類も多く、形のおもしろいものがみられます。
●器財埴輪
武器や武具、首長しか持てないような特別な道具を形どった埴輪を、古墳の外側へむかって並べました。亡き首長の権威を示し、神聖な場所を囲んだ盾などの武器埴輪は、邪悪な霊が外から入り込まないよう、首長を守っているようです。
道具を形どった埴輪は当時の生活様式を教えてくれる貴重な資料ともなります。また、古墳時代を通じて(4~7世紀)作られましたが、大形で写実的なものから小形で抽象的なものへと作風の変化が見られます。
●家形埴輪
首長霊のよりどころ、やどるところとして、その古墳の中心部分で、最も重要な場所に置かれました。死んだあの世(死者の世界)と生きているこの世(生者の世界)をつなぐ入り口が家形埴輪だったのでしょう。
家形埴輪には、豪族の家や倉庫・納屋などの屋敷のようすを表現したものもあります。
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投稿者 dai1028 : 2008年09月09日 TweetList
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コメント
投稿者 案山子 : 2008年10月21日 21:11
案山子さん
>なぜならば本当に知る為には常にそのような意識が必要だからです。
>古事記や日本書紀の研究をしていますが、いまだに神話が支配の為ではなく同化の為にあるような気がして。
なるほど。案山子さんの推測からすると整合するようですねー与えられたものを何かより生かすような思考をしてる感じがすんですよね。
それは、同化という概念でくくれるかもしれませんね。
投稿者 さーね : 2008年10月26日 18:01
はじめまして。
授業で習って、良くわからなかったので質問させてください。
「知る」には、大和朝廷が成立する前に、「生まれる」とか「生まれたままの真っ白な状態」を意味していたとのことですが、その論拠はどこから来たのでしょうか?
大和朝廷が成立する前の資料とは、どんなものなのでしょうか。
あと、東北地方に「白石」と書いて、「しろいし」と読む地名があるのですが、これは関係ないのでしょうか?
読解力が無くてすみません。また、失礼なことを書いていたらすみません。
投稿者 さらさら : 2012年6月14日 22:28
知るの原点に「生まれたままの真っ白な状態」という意味があったのは驚きです。なぜならば本当に知る為には常にそのような意識が必要だからです。
ひょっとすると日本に来た渡来人が最初に行ったのがこの意識なのかもしれません。生まれたままの真っ白な状態で日本に同化したからその後の支配が成立したのかも・・・。
古事記や日本書紀の研究をしていますが、いまだに神話が支配の為ではなく同化の為にあるような気がして。