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2008年09月11日

古代日本人の意識:「分け命」を示す 「まがたま」

「ヒスイ」は古代から象徴的なものに使われてきました。中国では代々の皇帝の象徴としての指輪に、マヤ文明では王のデスマスクに。序列のトップ=唯一人の「王」を示すものがほとんどでした。
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では日本はどうだったのでしょうか?写真の「まがたま」に秘密がありそうです。「まがたま」にはどのような意味があったのでしょうか?どうも「まがたま」が糸に結ばれていることが大切なようです。興味のあるかたはポチットお願いします。
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では、古代日本人の意識を以下の投稿を元に辿ってみましょう。
「まがたま」の象徴するもの
ヒスイやメノウなどに穴をあけて糸でつなげた「まがたま」に秘められた宗教的・政治的理想とは国際派日本人養成講座からの抜粋
長くなりますがお付き合い下さい。
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以下引用
■3.すべては神のいのちの表れ■
これは非科学的な迷信でしょうか? 現代の分子生物学では、人間の遺伝子情報は30億もの配列を持つDNAによって保持され、それが子々孫々に伝えられ、その情報に従って人体が形成されていく、とされています。DNAを「分けいのち」の表現、あるいは媒体とすれば、日本神話の人間観は現代の最先端の科学とも非常に親和性の高いものなのです。
しかもDNAと同じく、神の分け命は人間だけはありません。すべての生きとし生けるものに共有されています。古代人は、ものをただの物体とは見なかった。
そして、すべてを神のいのちの表れ、神の恵みとみた。すべてのものに神の命を見たからこそ、ありとあらゆるものに神の名をつけた。例えば、小さな砂粒にさえ石巣比売神(いわすひめのかみ)、木は久久能智神(くくちのかみ)、山の神は大山津見神(おおやまつみのかみ)というように。それぞれにふさわしい名がつけられている。それがのちに、「神話」の中でも、ありとあらゆるものが生き生きとした神の名をつけられて出てくるのだ。
朝になれば太陽が上がって万物を照らし、鳥がさえずり始める。春になれば山の雪が解けて、草木が芽生え、動物たちも動き出す。我々の祖先は、すべての生きとし生けるものは、神の「分け命」として、その無限の恵み、慈しみによって生かされている。それを実感し、そこから湧き上がる畏敬と感謝、喜びが我々の先祖の信仰の中心にあったのでしょう。
■5.日本国家の理念■
我が祖先たちは、生きとし生けるものはすべて神の叡智と慈愛によって生かされている「分け命」という「天地の理法」を直観したのですが、それを個人的信仰に留めておきませんでした。
私たちの先祖の古代人に対して最も驚嘆することは、この大宇宙の理法を自分の生まれ住んでいる日本国家の原点に、国家の理念にすることを忘れなかったことだ。

天照大神は御孫・天津日高日子番能瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと、「天の高い所からにぎわしい恵みをゆきわたらせる日のみ子」)が豊葦原水穂国(とよあしはらみずほのくに:日本)に天降られる時に、「三種の神器」をさずけられます。
 神器の一つは「八咫鏡(やたのかがみ)」です。この鏡は私心のない澄みきった神の叡智の象徴であり、まず自分の心を映して、そこに私心がないか省みよ、との教えが含まれています。
 第二の「八尺勾摠(やさかのまがたま)」は、ヒスイやメノウなどをオタマジャクシの形に磨いたもので、これらに穴をあけ、糸でつないで飾りにしていました。すべての人はこの玉飾りのように一つの命で結ばれている事を暗示し、豊かな慈しみを象徴していました。
 第三の「草薙太刀(くさなぎのたち)」は、須佐之男命(すさのおのみこと)が、八またの大蛇(おろち)を退治した時に、その体内から出てきたもので、天照大神に献上された太刀です。八またの大蛇、すなわちこの世の悪と戦う勇気の象徴です。
 このように天照大神は、無私の叡智、万人に対する慈しみ、悪と戦う勇気を御孫に授け、地上での国家建設を命ぜられたのです。
皇孫・瓊瓊杵尊のさらに御孫が大和に東征されて建国し、初代天皇となられた神武天皇です。その建国の詔には、人民を「大御宝(おおみたから)」とし、「八紘一宇(あめのしたのすべての人々が一つ屋根の下に住む)」を理想として掲げられています。これはすべての人が「神の分け命」を通じて一つに結ばれた「まがたま」の思想を、政治的理想として表現したものと言えましょう。
引用終わり
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一般的に見られる唯一の王を示すもものとは異なりますね。 😥
生きとし生きるものの全てに精霊を見た始原人類の意識を濃厚に引き継いでいます。この「まがたま」は日本と朝鮮半島の南部で伝えられる以外には、世界に類をみない独特の形をしたもののようです。
ということは、精霊信仰を残した人類は南朝鮮半島から日本ということになりそうですね。 😀
これは仮説ですが、まがたま信仰を持った南朝鮮から渡来した人が日本を支配したとも取れそうですね。次は、南朝鮮と日本の関係を追求してみようと思います。 😛

投稿者 sakashun : 2008年09月11日 List  

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