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2012年10月08日

アンデス・マヤ2大文明の“伝え”1~マヤ文明は諸王国と共存したネットワーク社会

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<マヤ文明:ジャングルにそびえるティカル神殿ピラミッド>
こちらのサイトからお借りしました
みなさんこんにちは。
アメリカ大陸2大文明を探求しよう!ということで本日から第一弾が始まります。記念すべき第1弾は『マヤ文明』です。
ところでみなさんは、『マヤ文明』というとどのようなイメージをお持ちでしょうか?
高校の教科書や副読本では、実際にはそれほど行われていなかった「生贄」が過度に強調されていたり、ハリウッドの映画インディージョーンズでは禍々しい儀式や風習を持つ神秘と謎に包まれた文明として描かれています。また最近ではマヤ歴と終末説が結びつけられ、少しオカルトチックな文明?という感覚をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
本ブログでは基本スタンスの事実の探索をベースに、潜入感無しで読み解きマヤ文明の実態に迫ってみたいと思います。
今回はマヤ文明が、そもそもどのような文明であったか、他の文明とはどんな点が異なっているかを探ってみたいと思います。
みなさんいつも応援ありがとうございます。

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【マヤ文明ってどんなところにあるの?】
マヤ文明は現在のメキシコ、グアテマラ周辺の、大きく3つの地域に存在します。
・マヤ低地南部:
この地域は熱帯雨林の密林が広がる、高温多湿地帯です。平均年間降水量は2000~3000mmと大量の雨が降る地域です。ウスマシンタ川やパシオン川といった大河が流れる地域でもあり、セイバやマホガニーのような高さ40~70mに及ぶ木がそびえ立ちます。
・マヤ低地北部:
この地域は低木の密林が広がる乾燥した熱帯サバンナ地帯です。平均年間降水量1000mm。川や湖沼はほとんどなく、天然の泉が貴重な飲み水を提供してくれます。
・マヤ高地:
冷涼かつ湿潤な地域。松などの針葉樹林が広がる、海抜800m以上の高地です。多くの火山がそびえ立ち、大小様々な盆地が分布します。
マヤ文明は、1箇所だけでは無く、かなり広範囲で地域に分布し、気候条件もかなり違いがありました。
四大文明(エジプト、メソポタミヤ、インダス、黄河)を見ると、「半乾燥地帯の大河流域」というのが文明発起の条件のように思われますが、必ずしもそうではないことがわかります。
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画像は青山和夫氏の著書「マヤ文明-密林に栄えた石器文化」よりお借りしました
【マヤ文明は統一王朝では無くネットワーク化された諸王国集合体】
四大文明では地域全体を支配する王、そして統一王朝が存在しました。
ところが、マヤ文明では地域全体を統一するような者は存在せず、地方色豊かな諸王国が共存していました。マヤ国家があったのではなく、マヤ地域の多様な諸王国が交換ネットワークを通じて様々な文化要素を共有していたので、一つの文明としてくくられているのです。
ちなみに交換されていたのは、物質だけではなく、文字や数字、暦や宗教体型、そして農作物の栽培技術など多岐に渡りました。
また、古典期マヤの都市では、四大文明のような王朝が食糧を管理する大きな倉庫は無く、輸送力の制約を越える強力な国家イデオロギーや、発達した官僚組織に支えられた広域国家を形成するには至らなかったことも注目すべき点です。
【マヤの宗教は精霊信仰に近いのでは?】%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E7%A5%9E%E6%AE%BF.jpg
 <ティカル神殿>
こちらのサイトからお借りしました
上はマヤの遺跡ティカル神殿の写真です。一度は見た事がある方も多いのではないでしょうか?マヤ人はなぜこのような神殿ピラミッドを作ったのでしょうか?
古典期のマヤ文字では「ウィツ(山)」と呼ばれ文字通り山信仰と関連する宗教施設です。
マヤ低地は比較的平坦なのでマヤ人は、人工の神聖な山を建設しました。それだけでなく、日本の山岳信仰と同じように自然の山を崇拝していました。
また、マヤの山信仰は洞窟信仰とも深い関係があります。マヤの神殿ピラミッドはエジプトのピラミッドと違い上部が平坦になっており、神殿が築かれています。この神殿の入口は洞窟あるいは超自然界への入口を象徴していました。王は神殿の部屋に入って宗教儀式を行なったのでした。
このように、マヤの宗教は縄文人達と同じく、『精霊信仰的要素』が強かったことがわかります。
【牧畜・遊牧のない=支配意識のないマヤ文明】
マヤの人達は、多様な農作物を主食としていました。では、動物性蛋白質はどのようにして摂取していたのでしょうか?
マヤ人は狩猟や漁労によってによって動物性蛋白質を摂取していました。
四大文明では家畜を飼い、ミルクやバター、チーズを摂取する畑作牧畜民でしたが、マヤ人達は家畜は七面鳥と犬のみで、その他は必要な時に必要な分だけ狩猟する文化でした。
四大文明では1つの王朝が遠く離れた王朝を征服して奪いつくし、直接統治を行います。この支配意識は元々、多様な家畜を飼う=支配意識と関係あると考えています。
それに対し、ほとんど家畜を飼わないマヤ人と、統一王朝の無い共存路線の諸王国ネットワーク文化マヤ。ここでもマヤ人の意識が垣間見れます。
これまで見てきたように、マヤ文明は四大文明とは様相が違い、
・ネットワーク化された諸王国集合体であること
・宗教観が精霊信仰に近いこと
・家畜をほとんど飼わない文化であること

上記のことからマヤ文明とは、自然や人を支配しようとした四大文明とは異なりマヤ文明は自然を崇拝し諸王国と共存したネットワーク社会であったことがわかります。
次回はマヤ文明の『農耕』について扱ってみたいと思います。『農耕』からマヤがどのような意識を持った人々であるかが見えてきますので楽しみにしておいてくださいね。
参考文献:青山和夫氏の著書「マヤ文明-密林に栄えた石器文化」
※綿密な調査を基に、マヤ文明の実態がわかりやすく書かれた優れた書籍です。興味のある方は是非一読ください) 

投稿者 shinichiro : 2012年10月08日 List  

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