アンデス・マヤ2大文明の“伝え”3~マヤ盛隆の原動力は人々の評価共認にある |
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2012年10月17日
弥生時代再考~プロローグ
みなさん、こんばんわ。 😀
311の震災から1年半が経過しました。福島では現在も放射能が漏れ続け、あるいは放射能を浴びた土や建材の処分地も決まらないまま除染が進まず、震災復興は阪神大震災の時に比べ、遅々として進みません。さらに政治はこの状況下でますます混迷を深めており、対中や対米など緊急の課題を目前に判断保留が続いております。
マスコミや金貸しなど諸所の作為や思惑が背後にあるとは言うものの、日本中が思考停止に陥り続けている現在、改めてこの国の成り立ちと国民の本質である受け入れ=縄文体質について検証しておく必要を感じています。
今回はその第一弾として日本が大きく転換する事になった弥生時代について再度検証しておきたいと考えています。弥生時代再考はその為のテーマとして設定しました。
これまで当ブログでは弥生時代は渡来人と縄文人の平和裏の融合の時代であり本格的な支配、被支配、固定階層化による序列社会の登場(=私権社会)は騎馬民族が登場する古墳時代を経てというように考えておりましたが、そこが本当だろうか?というところが疑問の原点です。
私権原理がどのように登場したのか?まずは世界の文明史を貫通する歴史構造から押えていきたいと思います。
遊牧と農耕(遊牧の画像はこちらよりお借りしました)
【始原人類~1万年前】
人類は500万年前に誕生したと言われていますが、約1万年前、弓矢の発明をするまでは洞窟の中で生活していました。10人から20人の小さな集団で暮らしており、夜間に洞窟から出て死肉や骨を密漁してぎりぎりの生活をする弱く貧しい存在でした。人類を取り巻く自然環境は外圧でもあり、どうする事もできない事から脅威と畏怖の対象でした。それでもその自然にひたすら同化し対象化することで自然の法則(=精霊)を発見し、その後の言語や文字、道具、科学の発明へと展開していくのです。
火や石器、弓矢の発明により洞窟から地上に出た人類は採取、狩猟といった生産基盤を獲得、ようやく動物と互角に戦える存在になっていきます。自然はそれまでの畏怖と驚異という超越存在から時には恵みを与えてくれる身近な存在になっていきました。
採取民はその後、植物の観察から栽培技術を見つけやがて乾燥地から農耕が発明されます。また、狩猟民は捕獲した動物を飼いならし管理する事により牧畜を発明しました。
この牧畜の発明が自然をコントロールする端緒になり、これによって家畜に対する支配意識が誕生しました。(後の時代を振り返ればこれが私有意識の母胎になっている可能性があります)
【1万年前~七千年前】
牧畜民は8千年前の乾燥化を機に遊牧を発明、広範な移動領域を縄張りとします。それまでは誰のものでもなかった大地がある時から所有の対象物に変化していきます。
遊牧は10人程度の家族単位で家畜と共に移動しながら生産していく様式で、縄張り意識だけでなく防衛意識(他の遊牧集団からの)や、排他意識、いわゆる自集団第一の価値観=集団自我により結束していきます。
【農耕】と【牧畜⇒遊牧】という2つの生産様式がほぼ同時代に登場しますが、後の世界史では常に遊牧民が農耕民の上に立ち支配してきたのは明らかで、この遊牧発の攻撃性や否定視、支配視がその後に登場する文明化の原動力になっていったのです。
【七千年前~五千年前】
遊牧民は遊牧生活を続ける中で農耕民と接触、遊牧民の生産物である乳製品や肉と農耕民の穀物を交換する交易集団として特化していきます。また遠隔の交易物を運ぶ為、財の管理の必要から武装集団化していきます。さらに交易を続ける中で商売の原点=騙しの方法論に長けていきます。
そして五千五百年前の乾燥と飢餓を契機に交易集団から略奪集団へ転化します。武装化した遊牧集団が農耕民を襲い、食料を獲得、さらには皆殺しにして集落から女や家畜を搾取していきます。一旦略奪が始まると、その報復や防衛から次々と武装化が強化され、玉突き的に広域に拡大していきます。こうして農耕地帯から勝ち抜き戦を潜り抜けた最初の遊牧集団が都市国家を形成していくのです。そうして誕生したのが4大文明発祥の各地であり、中でも乾燥地帯の一角に肥沃な農耕地があるメソポタミア地域では約5千5百年前、世界最初の私権国家が登場する事となりました。
私権国家誕生以降は遊牧時代に培った支配意識と武力による力の統合、交易による騙しの原理で農耕民を支配し、同時に国家拡大、武力拡大の為に農業を発達させ農民から搾取した財力で自らの地位を不動のものにしていきました。
これが古今東西の私権社会の基本構造になっているのです。
人類の統合原理を改めて見て行きます。
極限時代(共認原理)⇒牧畜、遊牧(私権意識の母胎)⇒文明化・国家形成(私権原理)⇒現在(私権原理)
そして現在、この私権原理での社会=私権社会は豊かさの実現と共に圧力が消滅し、また際限のない自然破壊、過度な人間中心主義により行き詰まりを呈し、方向転換を求められています。人類史には共認原理と私権原理しかないわけですから、私権原理に限界が来れば再び共認原理による社会の再構築が始まる事は十分に予測されます。
そう考えると、大きく人類史は約5千年間の私権社会を挟んで以下のように動いています。
★共認原理⇒ ★私権原理⇒ ★共認原理
ここで重要な視点を提起しておきたいと思います。
「よく文明社会は農耕の始まりによって人口拡大、土地の争いによってもたらされたというのが通念で教科書や歴史書にも農耕革命としてそう書かれています。しかし、歴史をつぶさに見ると文明=私権社会を辿ると牧畜、遊牧発の私有意識、集団自我に端を発しており、彼らが武力を用いて支配を進める為に国家が誕生、そして農業が灌漑技術を伴い急速に拡大、発展していったことがわかります。
つまり、私権社会は農業発ではなく牧畜⇒遊牧⇒私権意識発で登場したのです。」
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さて、本題に戻ります。
日本において弥生時代は私権社会の始まりです。
上記の歴史認識から押えなおすと農業が一気に拡大した弥生時代もまた渡来人により私権意識が持ち込まれ、彼らの支配を確立するために農業が拡大したということになります。
これまで当ブログでは弥生時代について以下のような見方をしていましたが、今回、あたらめてその根幹となる融和、融合という見方を改める必要を感じております。
【従来の弥生時代史観仮説】
弥生時代は中国の呉越の敗者が少数で日本に渡来し、九州、中国地方を中心に農業生産を始めた時代であり、農業は渡来してわずか500年で日本の7割の地域に拡大した。
しかし、弥生時代とは局地的な渡来人同士の戦争はあったが、総じて戦争は少なく、縄文人と渡来人が平和的に融和し、現日本人の母集団を作り出した時代である。
従って弥生時代には明確な階層化はなかった。神話や祖霊墓を中心に氏族農耕集団が統合される緩やかなもので首長はいたが、縄文社会の長老や巫女の延長に近いものであった。明確な私権社会への移行は朝鮮半島から集団丸ごと移動してきた古墳時代~大和朝廷時代と設定した。
【あたらな弥生時代史観仮説】
弥生時代は中国、朝鮮半島から次々と農耕技術を携えた小集団が渡来し、日本国内で彼らの基盤を形成した。武器をちらつかせながら土着の縄文人を従えて渡来集団ごとにクニ作りを行なった時代である。
そこでは母国で既に形成されていた私権意識を持ち込み、母国で行なわれていた私権原理に基づいた序列階層社会を形成していった。
最も役に立ったのが稲作農耕で、それに基づく土地信仰、祖霊信仰、太陽信仰が支配の為に作られた。また、実質的にも農業技術を拡げる事で縄文晩期の寒冷化で食料にあえぐ縄文人を飢えから救い、土着人と婚姻関係を結んで人口を拡大する事でより渡来系の基盤を磐石にした。ただ、年代を重ねるごとに新たな青銅や鉄の技術をもった渡来集団が登場し、渡来人同士の縄張り争いが繰返された。それらが収束し安定するのが古墳時代であり、その後の日本建国に繋がる大和朝廷の誕生である。
つまり弥生時代の水田稲作は渡来人が私権原理によって社会を作るための手段であった。
本シリーズでは上記の仮説を裏付ける歴史データー探索や史実の整合を図っていきます。
日本国もまた私権社会形成の為に農業拡大は行なわれたのですが、他地域と異なるのが被支配者の側の縄文人の方です。元々農耕民ではなく財も土地もない縄文人は皆殺しや略奪を受けずにいわば ”いとも簡単に”渡来人に集団丸ごと労働力として取り込まれていきました。この縄文人の支配のされ方=“いとも簡単に“のほうも日本人の意識を解明する上で土台になってくるように思います。
それでは弥生時代再考初めていきます。
各記事は以下のように進めていく予定です。
1.渡来人と縄文人集落にどのように食い込んだか?
2.弥生時代の武器の登場と使われ方
3.渡来人が伝えたものは水田稲作と私権原理がセット
4.神話、信仰による縄文人支配の手口とは
5.古墳築造の謎を解く
6.縄文人は本当に“いとも簡単に”支配されたのか?
よろしくお願いします。
投稿者 tano : 2012年10月17日 TweetList
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コメント
投稿者 三ツ星 : 2013年11月16日 03:17
初コメントです。
5分ほどで読み切ってしまいましたが、すごい迫力がありますね。我を捨てて時空を超えて生物を超えて相手と対話しきったという信念なんだと思います。究極のサービス業を感じます。