2009.08.26
“儒教”や“道教”がどのようにして生まれたのか?
こんばんは。
只今、中国について勉強をはじめたばかりのmrranです。
中国・・・勉強を始めるといっても何から始めたらいいのか???
ということで“儒教”や“道教”がどのようにして生まれたのか?とここから始めたいと思います。
そんなこんなでネットサーフィンの末、非常に説得力のあるサイトを見つけましたので、今日はそれを紹介したいと思います。いきなりミクロに入る前にマクロ的視点で捉えているので、それこそ取っかかりには非常に良いと思います。
このサイトです。是非みなさんも本サイトをご覧あれ!
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posted by mrran at : 2009年08月26日 | コメント (10件) | トラックバック (0) TweetList
2009.08.25
闇の支配勢力は、清の時代に中国に進出?
ウィキペディアで、中国の反乱というサブカテゴリを見ていると、どうも「清」の時代に内乱がかなり多いと気付きました。
清:1636年~1912年
三藩の乱 (1673年~1681年)
白蓮教徒の乱(1796年~1804年)
太平天国の乱(1850年~1864年)→これがポイント??
パンゼーの乱(1855年~1873年)
陝西省・甘粛省を中心に発生した蜂起(1862年~1873年)
戴潮春の乱(1862年~1864年)
号軍(ごうぐん)は太平天国と同時期に清に反抗した貴州省の民衆蜂起軍。
艇軍(ていぐん)とは、太平天国の乱の時期に蜂起した部隊。
捻軍(ねんぐん)は太平天国と同時期に清に反抗した華北の武装勢力。
幅軍(ふくぐん)は太平天国と同時期に清に反抗した山東省南部の民衆蜂起軍。
長槍会(ちょうそうかい)は清末に山東省で蜂起した民衆反乱軍。
大成国(だいせいこく)は清末の1855年から1864年まで存続した、天地会の蜂起軍が広西省に建立した政権。
これだけの内乱に、大規模な民衆蜂起軍,勢力,秘密結社も形成されている。
この時期、中国国内は一体何が起こっていたのか?まずは、問題提起をしたいと思います。
byさーね
応援よろしくお願いします
posted by sawatan at : 2009年08月25日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2009.08.22
裏の支配勢力~その起源は?~
古代国家成立後、国家に蓄積される富を掠め取る「商人」が生まれた。商人の財産は、古代市場だけでなく近代市場、そして現代の金融市場を操る金貸しのさらに奥の院たる金主としての力を持っている可能性が高い。(従って彼らを「裏の支配勢力」と呼ぶ)
彼らが手を結んでその財力を行使すれば、基軸通貨であるドルと米債の大暴落もありうる。
この間、裏の支配勢力を暴く記事が多数アップされてきています。
そこで、彼らの出自と変遷について大まかな図解を描いてみます。
写真はスイス銀行の金塊です。
↓続きを読むときはポチッと押して応援してくださいね。
posted by nandeya at : 2009年08月22日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2009.08.21
テンプル騎士団はやがてフリーメイソンに・・・
こんにちわちわわです。
カッピカッピさんに引き続き、テンプル騎士団についてお送りします。
●オカルト化したテンプル騎士団
現在、テンプル騎士団の名前は、怪しげかつオカルトチックに語られています。映画でも大ヒットした「ダ・ビンチ・コード」などがその最たる例でしょうが、これはやはりフィリップ4世の不当な弾圧によるところが大きいと思われます。
彼は騎士団の資産を乗っ取るため、騎士団が悪魔崇拝や黒魔術を行なっていたとのウワサをばら撒いてその地位を失墜させました。無論それは真っ赤なウソなのですが、19世紀に歴史学者らによって研究されるまで、騎士団の汚名が晴らされることはありませんでした。
また、俗に言う「ジャック・ド・モレーの呪い」も、騎士団の怪しいウワサを世に広めさせました。
ジャック・ド・モレーはテンプル騎士団の最後の総長だった人物です。フィリップ4世が強要する異端審問に際しては、過酷な拷問にも耐え、最後まで異端崇拝を全面的に否認していたといわれています。
1314年モレーはセーヌ河の中洲で十字架に架けられて生きたまま火あぶりに処せらました。そのとき、彼は「私は国王と教皇を許さない。1年以内に、必ずや神の法廷に引きずり出す」と呪いの言葉を吐き、その言葉どおり、、ひと月後にはクレメンス5世が、8ヶ月後にはフィリップ4世が46歳の若さで急死しています。
テンプル騎士団あやしいと思った方↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa at : 2009年08月21日 | コメント (5件) | トラックバック (0) TweetList
2009.08.20
テンプル騎士団の栄光と衰退までの道のり
こんばんは、カッピカピです。
ここ最近、【チーム宗教】では、
『ローマ・カトリック教会と東方正教会って何が違うの?』
『ローマ・カトリック教会が国=皇帝を超えて組織化されたのはなんで?』
で、ローマ帝国の西と東について記事を書いてきました。まだまだ追及していくべき点はあると思いますが、それはオイオイ書いていくとして、今日は、次の論点となる、『十字軍』にまつわる出来事について書いてみたいと思います。
十字軍については、これまで
『十字軍って実は侵略軍だったって・・・ホント!?』
『「十字軍の遠征」の目的(表)』
『十字軍の遠征の目的(裏)とその結末』
で一通りの事は書いてきましたので、今回は十字軍と非常に関わりが深く、且、キリスト教世界で強大な存在となった『テンプル騎士団』について書いてみようと思います。
「騎士団」とは、騎士修道会という別名からもわかるように、修道会の一種としてはじまりました。第一回十字軍が奪還したエルサレムへ向かう巡礼者を保護するために、武器を持って戦闘にも従事する修道会として設立されたのが「騎士団」であり、その最初の騎士団がテンプル騎士団なのです。
騎士団はその多くが個人的な発案・理念にもとづいて結成されたもので、権力者や地方の君主によって大々的に設立されたものではありませんでした。テンプル騎士団も例外ではなく、発足時のメンバーはわずか7人ほどだったと言われています。それが全盛期には2万人を越す騎士が所属する最大規模の騎士団へと成長していくのです。
”テンプル騎士団おそるべし”と思った方、『ポチッ』と押してから続きへどーぞ。
posted by hi-ro at : 2009年08月20日 | コメント (1件) | トラックバック (1) TweetList
2009.08.19
万葉集と親しもう 入門編 1
残暑お見舞い申し上げます
ただでさえ暑いこの季節、ここ1ヶ月ほど、院政時代前後の探索をし続け、
情念というか怨念というか、白河や鳥羽・崇徳、後白河や後鳥羽・後醍醐といった
同じ日本人とは思われないギトギトした世界をさまよっておりました。
ア~、とにかく暑い!暑苦しい
・・・という訳で、古代の一服の清涼水。となるとやはり万葉集です。
今回から、(ご期待があれば)シリーズで、万葉集の世界をご紹介します。
まずは、入門編その1。
NHKが年初にとったアンケートの結果、「好きな万葉集ベストテン」の
10位~6位を紹介します。
デハデハ、応援よろしくお願いします。 😀
posted by urara at : 2009年08月19日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2009.08.18
地名から歴史を読み解く☆宇陀☆
こんにちは~
カナです
今回は奈良県・宇陀の地名から、歴史を読み解きます
地名の由来から、どんな地理的特徴があるのか
どんな人が住んでいたのか?いろ~んなことがわかるんです
では今回も楽しんでいってくださいね~
いつもありがとうございます
posted by kana0444 at : 2009年08月18日 | コメント (23件) | トラックバック (0) TweetList
2009.08.17
ローマ・カトリック教会と東方正教会って何が違うの?
こんにちわ。
くまなさんの「ローマ・カトリック教会が国=皇帝を超えて組織化されたのはなんで?」に引き続き、西と東と見ていきたいと思います。
第一回コンスタンティノープル公会議を召集したテオドシウス1世は、392年、キリスト教をローマ帝国の国教としました。しかし、わずか3年後の395年、彼は死ぬことになるのですが、「自分の死後は帝国を2つに分け、2人の王子それぞれに継承させるように」という彼の遺言により、ローマ帝国が東西に分離することになりました。つまり、それぞれ独自の首都と国家組織を持ち、国境によって隔てられた2つの別々の国になり、異なる教義、慣習、制度、文化を発展させることになりました。今回は、西ローマ帝国のローマ・カトリック教会と東ローマ帝国(後のビザンチン帝国)の東方正教会の違いについて見ていきたいと思います。
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posted by staff at : 2009年08月17日 | コメント (1件) | トラックバック (1) TweetList
2009.08.17
中国と北方遊牧民の関わりをはじまりから考える
中国の歴史は、当の中国の脅威を冷静に分析するためにも、また我々日本人の起源を解明する上でも、不可欠なテーマですね。
中でも、日・韓・中各国に共通的に影響を与えている北方騎馬民族の影響を知ることは、北方騎馬民族を通じて、西方の歴史とも連続してくるため、とりわけ重要なテーマだと考えています。
そこで、以前にも紹介した岡田英弘先生の著書から中国と北方騎馬民族のつながりにアプローチしてみたいと思います。今日紹介するのは「世界史の誕生」からです。
今回は中国のはじまりの時代、「夏」「殷」「周」について、みてみましょう。
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posted by staff at : 2009年08月17日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2009.08.16
“商業”を発明したフェニキア人とは?
こんにちは、saahです。
現代の金融と商人の起源については、「金融と商人の起源:「バビロニア」、そして「フェニキア商人」へ」でも紹介されています。
さらにその後、フェニキアの一植民市であったカルタゴからローマ、ベネチアの商人へとその系譜が移っていきます。(「ユダヤ・フェニキア勢のカルタゴ脱出→ローマ帝国解体→ヴェネチア」)
今日は、世界史上まれに見る商才を発揮し、古代地中海において一大商業都市を発展させ、「商業を発明した」と言われるフェニキア人とは一体どのような人々だったのかを追ってみました。
いつものように応援よろしくお願いします。
posted by saah at : 2009年08月16日 | コメント (10件) | トラックバック (0) TweetList