2008.07.10
縄文の精霊信仰~山岳信仰
今日は、縄文人の精霊信仰を探求してみようと思います。
なんで、自然を対象化したか?
原初的山岳信仰の変遷より、抜粋して探求していきましょう 

岩石信仰は現代でも残っている
byさーね
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posted by sawatan at : 2008年07月10日
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2008.07.10
マヤ文明と伊勢神宮に共通するものづくりと生命文明について
マヤ文明を知る為にネット探索をしていました。その時に、日本の弥生時代とマヤ文明はその繁栄した時代が一致し、且つ生活感他が近いとするお話がありましたので投稿します。以下の10項目にまとめられています。 🙄
1.聖なる数
2.共通した時代背景
3.太陽への崇拝
4.山への崇拝
5.鳥への崇拝
6.聖樹
7.蛇への崇拝
8.水の循環
9.魚食の文化
10.ものづくりと生命文明
出典は安田喜憲(東京財団主任研究員/国際日本文化研究センター教授)シンポジウム(伊勢)での講演(抜粋)(2007年6月9日開催)からになります。
尚、このときのテーマは「マヤ文明と伊勢神宮に共通するものづくりと生命文明」です。
★参考に、「1.聖なる数」の項目を引用します。
マヤ文明には聖なる数というものがあります。マヤ文明の人々が最も大事にした数字は「20」です。言うまでもなく伊勢神宮の式年遷宮は20年ごとにお宮を遷しますね。なぜ20なのか。なぜマヤの人々は20を大事にしたか。それは20が人間やあらゆるものの原点だからです。みなさん自分の指を数えてください。足の指10本、手の指10本ありますね。この指の数、これが人間の原点です。20年というのが人生の節目ですね。そしてだいたい20年というのが物事の区切りです。
私は1980年に環境考古学という分野を自分で確立しました。1980年に環境考古学という分野を確立した当時は、他にこのようなことを研究している人はひとりもいませんでした。しかしそれから20年経った2000年ごろから、環境考古学という本がたくさん出始めた。20年前には誰もやってなかったことが、20年経つとだいたい世の中に広まってくるのです。
マヤの人々が最も大事にした数字は20、そして式年遷宮も20年に一度。つまり、そのマヤ文明と伊勢神宮の共通性のその1は、20という聖なる数を大事にしたということです。
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引用終わり
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posted by sakashun at : 2008年07月10日
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2008.07.08
シュメールの交易
こんにちわちわわです。
ご無沙汰しておりましたが、シュメールの交易について、ちょいと展開したいと思います。
シュメールにある資源は肥沃な泥、チグリス・ユーフラテス河の水、太陽、そして瀝青と呼ばれる天然のコールタールしかありません。
彼らは泥でレンガを作り、瀝青で固めて建造物をつくり、都市をつくりました。
そして資源を持たない彼らは早くから交易にたよらざるを得ませんでした。雨の降らないメソポタミア南部を陣取ったのも、ペルシャ湾に面し、交通の便が良かったからではないでしょうか。
参考ウバイド終末期にシュメールによる交易ネットワークが構築される

都市ウルクで発掘された建造物を見ると巨大な石造建築やモザイク壁などの神殿があり、さらに遺跡分布調査の結果によると、周辺の集落が減少し、人口が都市に集中したことを示しています。ウルクは既に100ヘクタールの広さにも及んでいました。
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posted by tiwawa at : 2008年07月08日
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2008.07.06
教科書の弥生時代-2(中学編)
😀 くまな です。
前回の教科書の弥生時代は、学校で初めて日本の歴史について学ぶ小学校6年生の教科書でした。今回は、中学校編です。
中学校の教科書で、弥生時代はどのように扱われているでしょうか。
参照した教科書は帝国書院(H18.1)、教育出版(H19.1)、大阪書籍(H18.2)の3点です。
( )内は発行年月。いずれも平成17年3月検定済。

内容に入る前に、まず教科書づくりの指針となる指導要領を見てみます。
参照した教科書の指針となっている平成10年に改訂され平成14年に施行された現行の指導要領はどうなっているでしょうか。また、平成20年に公布され、平成24年に施行される新指導要領ではどう変わっているでしょうか?
比較しやすいように、同一項目は青文字にしています。
■現行指導要領
古代までの日本
ア 人類が出現し,やがて世界の古代文明が生まれたこと,また,日本列島で狩猟・採集を行っていた人々の生活が農耕の広まりとともに変化していったことを理解させる。
イ 国家が形成されていく過程のあらましを,東アジアとのかかわり,古墳の広まり,大和朝廷による統一を通して理解させる。その際,当時の人々の信仰,大陸から移住してきた人々の我が国の社会に果たした役割に気付かせる。
ウ 大陸の文物や制度を積極的に取り入れながら国家の仕組みが整えられ,その後,天皇・貴族の政治が展開されたことを,聖徳太子の政治と大化の改新,律令国家の確立,摂関政治を通して理解させる。
エ 国際的な要素をもった文化が栄え,後に文化の国風化が進んだことを理解させる。
■新指導要領
古代までの日本
ア 世界の古代文明や宗教のおこり,日本列島における農耕の広まりと生活の変化や当時の人々の信仰,大和朝廷による統一と東アジアとのかかわりなどを通して,世界の各地で文明が築かれ,東アジアの文明の影響を受けながら我が国で国家が形成されていったことを理解させる。
イ 律令(りつりょう)国家の確立に至るまでの過程,摂関政治などを通して,大陸の文物や制度を積極的に取り入れながら国家の仕組みが整えられ,その後,天皇や貴族の政治が展開したことを理解させる。
ウ 仏教の伝来とその影響,仮名文字の成立などを通して,国際的な要素をもった文化が栄え,後に文化の国風化が進んだことを理解させる。
授業時数が多くなっているにもかかわらず、「古代までの日本」についての項目や具体的な記述内容も減少しています。
「人類の出現」や「狩猟・採集を行っていた人々の生活」の記述がなくなり、代わって追加されるのが、
①世界の文明に関して「宗教のおこり」
②弥生時代については、農耕の広まりとともに変化した「人々の信仰」
③律令国家への過程での「仏教の伝来とその影響」「仮名文字の成立」
古代の日本においては総じて、縄文以前は減少し、宗教について手厚く学習する傾向になっています。
では、内容に入りましょう。
中学校の教科書で弥生時代はどのように扱われているでしょうか。
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posted by kumana at : 2008年07月06日
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2008.07.05
世の中で一番悪いことをするのは“正義の味方”
最近巷では、地球温暖化問題が欧州やマスコミを中心に喧伝されている。CO2削減しなければ地球が危ない、それを推し進めることは良い事だという世界世論作りが進められていている。
そして日本の政治家、福田首相をはじめ、石原某とか、なんとかそれにあやかろうとしている輩も出始めているし、役所や企業も右倣えして、CO2削減を制度化してたりして、なんとか遅れまいとしている。彼らは、冷静に考えれば、CO2が温暖化の原因じゃないのではないか?矛盾する事実が沢山あるのではないか?・・・・・という反論にはまったく耳をかさず考えようともしない。それはすでにもう彼らは“正義の味方”になっている証拠だ。
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posted by ihiro at : 2008年07月05日
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2008.07.04
持ち込まれた婚姻様式
渡来人の持ち込んだ最大のものは稲作などではなく、「私権意識と私権制度」であるという視点は、弥生時代以降を考える上で、極めて重要な視点だと思います。
さらに、前投稿では、「大陸でほぼ確立された支配制度(税制と体制組織)と自集団の婚姻様式(遊牧・略奪由来の私有婚)がもたらされた」と述べられています。
今回は、さらに突っ込んで、彼らの婚姻様式がどのようなものだったのかに触れてみたいと思います。
遊牧部族の父系制への転換 るいネット より
>当時、狩猟部族も採取部族も母系制ですが、遊牧集団は父系制にいち早く転換したようです。この父系制=男原理への転換が私権性の高まりや略奪闘争開始を解明する鍵ではないか、と直感的には思うのですが・・・。邪心集団→略奪闘争説への疑問 るいネット
もともと母系制であった集団が、遊牧に転じたら何故父系制に転換したのか、という問題から考えたいと思います。
posted by naoto at : 2008年07月04日
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2008.07.03
北方民族が日本に至るまで
先日のsimasanのエントリーでは、北方民族の渡来によって日本での私権制が確立されたことを述べられていましたが、今回は日本に至るまでの遊牧民族の概略の歴史を押さえておきたいと思います。
るいネットに、よくまとまった投稿がありますので、この投稿を紹介させていただきます。
96255 掠奪闘争と部族大移動の概観①
96621 掠奪闘争と部族大移動の概観② 井上宏さん
(③は、交易の部分までとなりますので、ここでは省略させていただきます)

①第一次大移動(5500年前~4000年前頃)
・イラン高原周辺の始原掠奪闘争(5500年前頃)
→ 西方へ:アラブ~北メソポタミアのセム遊牧・掠奪部族形成
(シュメールは?)
→メソポタミアやエジプトで国家形成(約5000年前)
→ 東方へ:北方モンゴロイドの掠奪部族形成
→黄河流域へ、竜山文化形成?(約5000年~4000前頃)
→ 北方へ:コーカサス・カスピ海周辺の草原地帯での掠奪闘争
印欧語族形成へ
イラン高原から繋がる、遊牧民の住む中央アジアの草原地帯が掠奪闘争の伝播路となった。
イラン高原に近い農耕地帯のメソポタミア・エジプトでは国家形成が早く、同様に近接する中央アジアの大草原では、他の掠奪部族との闘争を繰り返す中で、印欧語族のような強力な掠奪部族が形成され始める。
続きは、クリックの後で!!
posted by yuyu at : 2008年07月03日
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2008.07.02
日本の私権制は、弥生後期の北方民族の襲来によって確立された!
これまでの流れを整理すると、
①最初に日本に渡来したのは大陸の騒乱を逃れてきた江南人である可能性が高い。
②その当時、戦闘が行なわれた形跡はない。また、江南人は稲作の技術を持っていたので、寧ろ、高い技術力を持って縄文人を指導し、融合したのではないか。
③それら南方系の渡来人の高い技術力に加え、組織力が縄文集落を拡大し、拡大した集団どうしが勢力争いをする中で、勝った方が服属関係を強めていった。
しかし、ここまでは日本全国を統一するほどの巨大な勢力にはなっていない。
では、日本の私権制は、どのようにして確立されていったのか?
るいネット「日本に私権制と私有婚をもたらした北方遊牧民」に興味深い記事がありましたので引用させて頂きます。
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posted by simasan at : 2008年07月02日
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2008.07.01
日本における私権社会への移行(渡来人第1波が作った土台)
最初に稲作技術を持った渡来人達は、技術を伝播しながら縄文人と融合していった可能性が高く、寧ろ、その後大陸北方を中心とした侵略戦争を経てやってきた渡来人の方が弥生以降の戦争に影響を強く与えた存在ではないかと思います。
6月20日のしまさんの記事で紹介された上記の記述、私権社会への転換は第2波の北方渡来人の侵略性に焦点が当たっていますが、少し立ち止まって考えて見ましょう。
本当に第1波の渡来人の影響は少なかったのでしょうか?実は・・・
以下は2002年9月にるいネットに投稿された北村さんの記事から紹介します。
日本における私権時代への移行
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posted by tano at : 2008年07月01日
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2008.06.26
「縄文と弥生の境目」、朝鮮半島から「縄文人」が渡来した?
○「縄文と弥生の境界」についてmukaiさんの後を受けて、「試行私考 日本人解剖」からの紹介です

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posted by ryujin at : 2008年06月26日
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