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縄文の精霊信仰~山岳信仰

今日は、縄文人の精霊信仰を探求してみようと思います。
なんで、自然を対象化したか?
原初的山岳信仰の変遷 [1]より、抜粋して探求していきましょう
P61800171.jpg
岩石信仰は現代でも残っている
byさーね
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では、当学問が果たすべきなのは(「信仰」の中でも細別化された)岩石信仰というわけなのですが、それには山岳信仰の問題が切って離せない関係にあります。岩石信仰の淵源は、縄文早期の集石土壙墓の出現あたりから、石に対する特別視が見られるといわれていますが(小野1982)、では、山岳信仰の淵源はいつ頃から見出せるのでしょうか?

 いまだ間接的に推測することしかできないのですが、山岳信仰の初源は縄文中期の頃ぐらいから見え隠れしています。例えば、静岡県富士宮市上条の千居遺跡では、東北にそびえる富士山を明らかに意識した、大掛かりな配石遺構が出土しています。富士山に向かって何重もの列石遺構が並んでおり、ランドスケープ的にも富士山が神聖視されていた可能性は、相当信憑性が高いと言われています。

 

縄文時代における山岳信仰の姿は、概ね平野部において祭祀場を作るという形態で、信仰対象と思われる山岳は、祭祀場から遥か離れた、しかし望視できる位置にあるという形態が多かったようです。山頂の当然のこと、山中に祭祀場らしき遺跡が形成されるということはこの当時にはなく、ほとんどの場合が山岳部とは別個の平野部に分布していました。

…(中略)…

 縄文時代などでは、当時の人々が峻厳な山々を踏破することは至難であり、登ろうものなら決死の覚悟だったことでしょう。そもそも、そこまでして登る必要性に迫られてもいなかったと思います(居住地移動など、差し迫った稀なケースを除き)。
 よって人々は山岳へみだりに登ることはなく、それは次第に、人々へ「山岳が危険で恐ろしい場所である」という漠然なイメージを与えるに至りました。なので、人々は山岳を恐ろしい(畏れ多い)場所とみなして、それを畏怖しました。そう、まず人々は山に「畏怖・畏敬する」ことから始まったのです。いわば、これが人々の抱いた最も原初的な山岳信仰の姿だと思います。

 縄文人はそのうち、万物に生命の働きがあるというアニミズムの観念を成立化していきます。その時、人々に、時には火山噴火などで被害を加えたり、そうでなくとも山の近くで起こる天気の移り変わりや自然の驚異などは、当時の人々に「恐ろしい神霊の存在」を抱かせるにたやすかったと思います。ここから、縄文時代における山岳信仰は漠然ながらスタートしたとみなして良いでしょう。

僕自身も小さい頃「山は危険で怖い場所」という感覚を持った記憶があります。ただ、怖いのですが否定視みたいな感覚はありませんでした。
ここは、物証や根拠はありません。ただ、僕らの実感は縄文人のアニミズムに合っていると思います。
PS:次回も続きを投稿したいと思います。

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