2018.12.06
シリーズ「縄文体質は次代の人類の可能性!」~プロローグ
シリーズ「縄文体質は次代の人類の可能性!」を始めます。
これまで約2ヶ月かけて縄文体質とは何か?縄文体質の史的足跡を扱ってきました。
日本列島は3万5千年前に渡ってきた古代人以降、約2千年前の縄文時代まで大陸からの影響をほぼ受けず、また受けても少数ゆえ渡来人の技術や文化を組み込んで大陸で既に殆どの地域に広がっていた私権体質、支配社会とはまったく異なる「縄文体質」という資質を残存させてきました。
縄文時代に戦争が無かった、支配ー被支配がなかった、奴隷が無かった、宗教がなかった、農業がなかった、文字が無かった、それらは全て縄文体質故であり、大陸から来たそれらのものを敢えて受け容れなかった、或いは縄文体質に包んで受け容れた、そういう歴史の中の延長で弥生時代以降の日本も(大きく見れば)永続してきました。
この縄文体質を最も破壊し、日本人に私権体質を打ち込んだのは明治以降の西欧文化であり、第二次対戦以降の米支配ではありますが、1970年豊かさの実現以降、人々の私権意識が瓦解し、自ら私権の為ではない何か、誰かの為に向う意識の潮流が生まれています。以後既に50年が経過していますが、新しい活力のある社会の再生が見えつつもまだ模索、探索状態にあります。
今回の新シリーズではこれまで追求してきた「縄文体質」をキーワードに目線を未来に向けてみたいと思います。
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2018.11.23
縄文体質の史的足跡~第7回 婚姻様式は本来、安定した集団を支える社会基盤。
第7回(最終回)は夜這い・婚姻を扱います。
シリーズ「縄文体質とは何か?」第4回縄文の”性”を知る にあるように
>縄文時代の婚姻様式は総遇婚、近接集団との交差婚であり、集団婚であった。その後弥生時代以降も男が女集団に入る妻問い婚という形態にはなったが、ついぞ江戸時代までは女は母集団の中に残り、集団の共認充足に包まれた中で集団と女達は一生暮らすことができた。諸外国を見渡しても婚姻形態がこれほど近代まで残った国も稀有だし、一対婚がこれほど根付かなかった国もない。その意味で縄文が最も色濃く残ったのが婚姻であり、男と女であり、性充足である。それほど、日本人は性におおらかで性を心から楽しんでいた。
日本人の”性”への意識はつい50年ほど前まで集団・社会を安定させる基盤であり、性充足により安心で安定した集団を核として日本人は西洋とは違う民族性=縄文体質を維持してきました。
このように、本来、婚姻様式は社会の根幹を成す規範・制度であり、個人主義に傾斜した現代の一対婚制度により、現代は日本でも集団性が破壊され、縄文体質も薄れつつある危機的な状況にあります。
今回は縄文から今日に至る婚姻の変遷をおさらいし、今の日本で失われつつある精神を探っていきたいと思います。
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2018.11.22
縄文体質の史的足跡~第6回 災害は我々日本人に何を与えてきたか
あの災害から早8年。既に記憶の片隅に、過去の出来事として納まっているかもしれませんが、しかしあの震災が我々日本人に等しく与えたインパクトはそう簡単に過去の出来事として片付けられるものではありません。原発の問題は未だに決着が付いていないし、また今年の北部大阪の震災でもあったように、何か事があれば直ぐに“あの時“の何とも言えない記憶が頭を占めます。
そして今年の台風21号。凄まじい風が木々を、建物をなぎ倒しましたが、これもまた私たちの心の奥に何かを植えつけました。そうです、単なる記憶ではない深い部分の感覚記憶です。それが縄文以来連綿と続く私たちの心を作ってきました。自然への脅威と畏れです。
自然外圧は日本だけではなく等しく世界中の地域に存在しました、寒い、暑い、乾きといった徐々に、あるいは常態的に存在する種類の自然外圧とある日突然ふりかかる自然外圧の2種類があります。我々が住む日本列島はモンスーン型で尚且つ火山帯の密集地帯に存在しており、それゆえ途轍もない自然の美と脅威を同時に内包しているのです。これが本質的には特異な縄文体質を生み出した根拠でもあり、日本人の奇跡でもあるのです。
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2018.11.15
縄文体質の史的足跡~第5回 故郷はなぜ想うのか~生きる場と社会の仕組みを生み出した惣村~
第5回は惣村とその派生としての一揆を扱います。
ふるさとは遠くにありて想うもの。
日本人が故郷を捨て都市に集中した時代を謳った室生犀星の歌です。故郷はなぜ想うのでしょう?
人々に残存する共同体意識の原点だからではないでしょうか?
縄文時代とは数十人から最大百人程度の小集団で結集していた時代です。しかしその集団同士のネットワークは贈与や婚姻関係を通じて交わり、強力で広く、網目のように広域の地域に広がっていた可能性があります。
絆や地域(再生)、繋がりといった言葉が2011年の震災以降、日本人の中に定着し、現代の日本人を語る代名詞の一つにもなってきています。マスコミの煽りもありますが、長い不況が続き、出口の見えない現在、これらの言葉の持つイメージ惹かれるのは古く縄文時代にまで遡る私たち日本人の心底にその原点があるのではないかと思うのです。
日本は有史以降、渡来人含めた支配層がお上という地位に立ち、時々に庶民を愚弄し、庶民とは全く別の存在(公家)として振舞ってきました。庶民とお上は、水と油であり、世が乱れれば庶民が立ち上がり、自治という名で生きる為の秩序を自前で作り出していきました。
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2018.11.11
縄文体質の史的足跡~第4回 庶民自らが庶民のために発展させた芸能。
第4回は芸能を扱います。
西洋で発達した芸能のほとんどは王侯貴族のためのものでしたが、日本における芸能は、大衆自らが、大衆のために作り出し、継承していったものがほとんどです。 和歌、万葉集も庶民発で貴族がまとめたものであるし、能・狂言、そして茶の湯や生花も庶民の間で流行した文化芸能です。
惣村の集団内で庶民を楽しませるために、芸能に特化した人材が生まれ、やがて職業化し、その技術を近年まで継承してきました。 その精神性や日本独特の価値観は現在の日本文化の中にも色濃く根付いています。
その原点となる精神性や価値観は、まさに縄文時代に形成された自然感と集団性にあり、究極まで極めるその意識は、縄文人が追求し気づき上げた土器や漆などの芸術、文化を出発点としています。
今回もるいネットから、時代を追って、芸能に潜む日本人の精神世界を紹介します。
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2018.11.08
縄文体質の史的足跡~第3回 神社は支配の道具か、縄文の残存か
第3回は神社を扱います。
神社といえば日本古来から存在していたように殆どの人は思われているでしょうが、神社の本質は渡来人が土着縄文人や混血した弥生人を支配する手法であり税を徴収する役所機関です。また神社は地域と密着し、一部には裏情報を収集する諜報機関としても存在していました。そんな神社がなぜ縄文体質の史的足跡になるのか?そこに絞って言及してみます。
やはりどうしても触れておきたいのが神社が作り出す環境です。或いはどのような環境に神社が存在しているかです。
全ての神社に大小あるのでしょうが、最も特徴的なのが三輪山を抱える大神大社です。日本最古と言われる三輪神社は鳥居こそありますが、境内は山そのもので、人々は山に向って拝み、祈ります。
今でも三輪山は神社の所有地で山に存在する木も石も土も持ち出すことは禁じられています。倒木も腐って土に帰るまで何十年も重ねて放置されています。山の全てに神が宿っているからです。神社とはその始まりにおいて縄文人が持っているアニミズムを取り込み、形にしたのです。例えそれが渡来人の意図であっても、逆に言えば渡来人が縄文人に同化する上でアニミズム信仰は進んで取り込み、縄文人もまた渡来人を神社を通じて渡来人を巻き込んでいったという見方もできるかもしれません。
この三輪山と同様の古代の神社は各地に大和時代~奈良時代にかけて多く作られていきます。その代表が、出雲大社、伊勢神宮、諏訪大社です。いずれも巨木と深い森の中に存在しています。
もう一つは縄文の性です。渡来人は縄文人と婚姻、混血する際に神社を使ったと言われています。
それが巫女であり、誓約の儀式です。縄文が性を肯定視していた事と、神社を仕切る巫女、これらが大量の渡来人を受け入れながら縄文体質を残し続けた象徴的な儀式と言えるかもしれません。
今回もるいネットからいくつか紹介します。
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2018.11.01
縄文体質の史的足跡~第2回 縄文体質は日本語を通じて我々の心に息づいている
第2回は日本語です。
縄文体質はさまざまな方法で、分野で人々の暮らしに、文化に、心に残存していきました。しかしその影響力の中で最も大きなものはなんでしょうか?私は間違いなく日本語だと思います。
日本語は縄文時代に作られた言語であり、もっと言えばその以前、旧石器時代、さらにホモサピエンスが登場した時代に人類が言語を作り出した最も旧い古語を母体にしています。日本列島には縄文時代、それ以降も様々な大陸人が渡来し、定着していきましたが、彼らはいずれも母国語を持ちながらも日本に定着する為に日本語を使えるようになり、2世代、3世代を経て日本人になっていきます。それは現代でも同じで、アメリカ人であっても生まれて直ぐに日本で生活し、日本語で育った子どもは顔は西洋人でも心はまったくの日本人です。(テニスプレーヤーの大坂なおみや野球のダルビッシュ有などを見てもわかるでしょう)日本人は日本語で考えるから日本人になれるのです。
縄文―弥生―平安から江戸時代、明治、昭和、そして現在まで、日本語はほとんどその骨格を変化させず、時々の外来の文化を取り込んできました。るいネットでは日本語で検索するだけで100以上の投稿が掲載されています。
その中で縄文体質がどのように日本語を通じて我々の血肉に、心になっていったか、それを推し量る投稿をいくつかダイジェストで紹介します。
これらを読んで改めて思うのは日本語教育の大切さ、今学校教育で最も必要なの英語教育ではなく母国語を使った思考力育成教育ではないでしょうか?
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2018.10.28
縄文体質の史的足跡~第1回 今でも息づく縄文気質を継承した職人技術の世界
今回から新しいシリーズをスタートさせます。
これまで6回に渡り、「縄文体質とは何か?」を考察してきました。 これらの縄文体質は、古代、中世、近世の時代を経て、現代まで日本人に脈々と受け継がれています。
今シリーズでは、その系譜と足跡を
1、日本語 2、技術 3、神社 4、惣村・一揆 5、夜這い・婚姻 6、芸能 7、災害時の動き方
の7つの視点で考察していきます。
第1回は、縄文時代の気質、体質を受け継いで伝承してきたものづくりの技術について考察します。
大工や石工といった職人技術はもとより、ものづくり大国を支えてきた日本人の特異な感覚、縄文人気質を色濃く残した『自然観』と、組織を強化していく『人材育成力』を持つことで、必然的に「老舗企業」として生き抜いていく日本企業など、縄文体質は着実にその根をおろしているのです。
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2018.10.18
縄文体質とは何か(総集編)~日本人の精神的骨格である。
「縄文体質とは何か?」6つのキーワードで見てきました。
“自然”・“職人気質”・“仲間意識”・
“はたらく”・“性”・“信仰”
最後に各回の投稿の「最も伝えたい部分」を短文で紹介して縄文体質を総合的に表現していきたいと思います。⇒は、まとめの言葉です
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2018.10.11
縄文体質とは何か?第6回 縄文人(日本人)の信仰とは対象へのあくなき同化
このシリーズ最終回は信仰です。
縄文人(その後の日本人)の信仰の本質は自然が相手の多神教崇拝です。
今でも建物を建てる時には土地の神様を鎮める地鎮祭は必ず行います。正月にはほぼ全ての日本人が神社にお参りし1年間の計を立てます。また、農業では豊作の祭りとして水や太陽等の自然の神に感謝を伝えています。これだけ科学が発達し、都市文明が行き渡った現代でもその祈りの一時、一気に太古の縄文に精神が戻るように感じます。
縄文時代のアニミズム(自然崇拝)に表れるように、その本質は対象へのあくなき同化です。
日本人の宗教とは祈りも誓いも含めて見えない対象(自然やその奥にある精霊)への同化追求の姿なのです。これが諸外国の一神教とはまったく異なり、極論すれば日本人が無宗教といわれる所以です。つまり日本人の信仰心とは同化力の事なのです。
ひたすら対象に同化しようとする、それが心眼で見るという事でもあり、常に祈り続ける姿でもあるのです。一神教のように教義も必要ないし、教団も必要ない、集団の中で同化能力の高い人物がシャーマンとなり首長になっていきました。
この信仰は日本語となり言霊となり現在にも引き継がれています。
最も信仰らしくない民、日本人の存在は人類にとって同化を迷わす宗教は必要ないとも言えるし、その同化能力という点においては最も信仰心の強い民族が日本人であり縄文人であるとも言えると思います。
るいネット投稿の中から紹介します。
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posted by tanog at : 2018年10月11日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList