2019.05.02
脳の進化過程から人類史500万年を見直す(第4回)~言語と脳の関係、精霊と言語の関係。
第4回は言語と脳の関係、精霊と言語の関係を見ていきたい。
ここまで来ると中々このブログでもうまく答えを出せるか自信がないが試みてみたいと思う。
■まず問題意識としては言語と脳の容量UP、これがどのように関係しているかという点。
人類はその進化過程で前の種(類人猿と猿人、猿人と原人、原人と新人)との間に連続性がなく、それぞれの種が新しく進化してその形態に至っている。従って新人(ホモサピエンス)は仮に50万年前にサルから進化したとして脳容量は400ccから一気に20万年くらいで1400ccに増えているという考え方になる。また、類人猿から進化したとしても約2倍。この2~3.5倍の増量を成したのは間違いなく言葉(観念機能)の獲得によるものであろう。では言葉がなぜそれほどまでに脳容量を拡大する事ができたのか?そこを追求してみたい。
人類はホモサピエンスに限らず、常に絶滅の危機と隣りあわせで生存するのが精一杯の極限動物であり故にその存在そのものが常に「なんで」「どうなっている」「どうする」の連続だった。把握機能と対象を構造化する構造認識は進化の過程の中で脳の増大を促した。
その過程は下記の るいネットの記事に記載されている。
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2019.04.25
脳の進化過程から人類史500万年を見直す~脳を爆発的に大きくさせた要因は何か?何があったのか?
現在の人類に繋がる新人(=ホモサピエンス)の歴史は最近の考古学資料により30万年まで遡っている。(参考投稿)
今後の発掘でさらに遡る可能性があり、私はおそらく40万年前、50万年前まで遡るのではないかと考えている。ホモサピエンスの脳容量は20万年前に1350ccに達し、以後は変化していない。現人類より脳容量を持っていたネアンデルタール人はホモサピエンスと並存し、5万年前に絶滅した。
ネアンデルタールも人類も脳を拡大し適応してきたのだが、どちらも言語を持っていたと言われており、中でも喉の構造からより言語機能が発達したのがホモサピエンスの方であった。
言語機能はどの時期にどのように発達したのか?
仮説として少し物語風に考えてみた。
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2019.04.18
日本独自の文字「ひらがな」は歌で定着してきた。
日本人は、日本語を話し、日本語を読み書きしている。国中どこへ行っても、「文字」を見ることができる。よく言語の4技能というが、これは、聞き、話し、 読み、書く技能を指している。そして、我々はどの言語にも4技能という概念があてはまると思っているのではないだろうか。
以前、世界には6500以上の言語が存在すると言ったが、果たしてそのなかで、文字をもっている言語はいくつあるだろうか。実は、独自の文字体系をもっている言語は、400ぐらいしかないのである。つまり、文字をもたない言語は6000以上もあるのである。
日本人は古来から文字を愛用してきた。それは現代の表現とは異なる、話し言葉の延長としての歌をうたう文化から定着してきたからである。
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2019.04.18
脳の進化過程から人類史500万年を見直す~ミッシングリンクは脳進化にはなかった?
第3回は人類史を見ていく上で必ず登場するミッシングリンクについて脳の進化論の観点から言及してみたいと思います。
まず学説から言われている人類の進化史です。
約500万年―600万年前にサルから分岐し、2足歩行、道具を操るようになり猿人と呼ばれる種(アウストラロピテクス)が登場した。その後原人(ホモハビルス)が登場するのが250万年前。またホモハビルスの後に新人(ネアンデルタール、ホモサピエンス)が登場する30万年前と人類史的には大きく3つの段階に分かれている。
下記はブログの中に「化石人類の脳」という記事があり、それが比較的分かり易いので紹介しておきたい。
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2019.04.11
脳の進化過程から人類史500万年を見直す~猿人は地上に降りたのか、落ちたのか?
人類の歴史を押さえる上でサルと人を分ける起点を設定する事が重要である。
サルは木に登れる、人類は木に登れない(2足方向ができる)をサルと人類の分岐点と見る説も多い。それ自身が分岐点かどうかの議論は置いておくとして、なぜ人は木に登れないのかを押さえておきたい。
学者は、「人類はサルが進化した高等種である」という前提がある。なので木に登れるサルが木に登れなくなったことを「木から下りたサル」というように解釈する説が多い。
こんなニュースがある。2017年の記事で、未だにサルが地上に降りた理由を学者達は延々と議論している。リンクより引用します。
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2019.04.04
脳の進化過程から人類史500万年を見直す
人類史は現在の学説では600万年前とも500万年前とも言われている。
サルが木から下りて2足歩行をできるようになった事が確認されたのがその時代という事で認識されてきた。脳の容量は猿人のアウストラロピテクスの段階で375ccでチンパンジーの350ccからわずか25cc大きくなったに過ぎない。サルから人類への進化は2足歩行がまず始まり⇒脳の容量UPという理屈だ。しかし現在の人類の種であるホモサピエンスは最大遡っても30万年前、同様にネアンデルタール人やデニソワ人も同様の時代に登場した。それらの新人に繋がる種(中間種の人類)は見つかっていない。
ホモサピエンスの脳容量は最終的には1350ccとサル時代の脳容量からは4倍以上に大きくなっているが、人類の脳が500ccを超えたのはホモハビルス時代の150万年前~20万年前の期間に過ぎない。つまり、人類の脳は500万年前から徐々に順調に大きくなったのではなく、約400万年間は殆どサル時代と変わらず、50万年前前後を起点に何らかの要因で急激に大きくなったのである。
人類とサルを分ける最大の違いは2足歩行だろうか?おそらく誰に聞いてもサルと人類を分ける起点は脳の容量であると考えるに違いない。つまり、人類史を500万年前としてよいのか、を改めて脳の進化という観点で見直してみる必要があるのではないか?
下記のブログでも同様な疑問が書かれている。リンクより引用
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2019.03.29
「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」第7回~アスファルトは素材の特性を知り尽くした縄文人の知恵の結晶
第7回はこのシリーズ最終回、縄文のアスファルトを扱います。
縄文時代のアスファルトは天然アスファルトで、接着剤、顔料、防腐材として重宝されました。古代エジプトではBC3000年頃に防腐剤としてアスファルトがミイラの製作に用いられていたのは有名な話ですが、縄文時代7000年前から既にアスファルトの使用が確認されています。縄文人の観察力の凄さと、天然素材への同化力の高さを示す話としても紹介します。実際日本で精製したアスファルトが使われたのは大正時代、実に縄文時代から大正時代までこの天然アスファルトは使い続けてきたのです。そういう意味で縄文時代の人々は現代以上の科学者であった可能性が伺えます。
今回も「縄文探検隊の記録」から紹介します。岡村道男さんの語りから始まります。
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2019.03.20
「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」第6回 世界最古の漆芸は「機能と美の一体化」だった
第6回は漆の話です。
漆と言えば江戸時代の装飾多彩な漆の器を思い浮かべますが、この漆、実は日本が世界最古の漆利用の発生地なのです。約9000年前の北海道の垣ノ島B遺跡で発掘され、その後7000年前頃には東北地方含めて多数漆の利用が発見されています。漆とは漆の樹液から取り、赤、黒と木材や繊維に塗り重ね着色する装飾材として使われました。
大陸では中国の可母渡遺跡での6500年前が最古でその後の発見でも8000年前までしか遡れず、現時点では縄文の漆が世界最古と言われています。従ってこの漆の利用や発見は大陸から由来したものではなく縄文人オリジナルなものとされています。
9000年前と言えば縄文草創期、定住が始まったばかりにも関わらず既に装飾の為の漆が使われていた。定住化した時点でかなり高度な文化が同時に表れていた事の証ではないかと思われるのです。
今回も「縄文探検隊の記録」から紹介します。
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2019.03.15
アイヌは何故文字を持たなかったのか?
縄文人は文字を持ちませんでした。 現在も残存するアイヌも文字を持たない民族です。
アイヌ語で「神」のことを「カムイ」と言います。 アイヌの人々は、自分たちに生きる糧や恵みをもたらし、時に恐ろしい災いをもたらす大自然を神として万物への祈りを捧げ、祭礼を行ってきました。 また、文字を持たないアイヌは、神話や伝説などを口伝えで受け継いできました。 代表的なアイヌの口承文芸として「ユカラ」が知られています。
アイヌの人々が使うアイヌ語は、子音の数が極端に少ないなど、日本語とはまったく異なる言語です。 しかし、「ニセコ(切り立った崖)」や「知床(地の果て)」など、北海道の地名にはアイヌ語が元になったものが多く、「トナカイ」「ラッコ」「シシャモ」などもアイヌ語です。 現在、アイヌ語を母語として話すことのできる人はわずか数人とされ、ユネスコによって「極めて深刻」な消滅の危機にある言語と認定されています。
では、アイヌとはどういう民族なのか?何故アイヌは文字を持たなかったのか?
追求してみたいと想います。
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2019.03.14
「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」第5回~クリが縄文人を作った、縄文人がクリを作った
クリと縄文社会は密接に繋がっている。
縄文中期の巨大集落、三内丸山ではくりの栽培が盛んに行われていた事は有名な話だ。今回はこのクリをテーマにどのようにクリと縄文人が繋がり相互に繁栄したかを追いかけていきたい。
今回も「縄文探検隊の記録」からの紹介ですが、少し方法を変えて、本文はこちらで書き、それを示す記事を間に入れていきます。>は著書からの抜粋です。
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posted by tanog at : 2019年03月14日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList