2021.11.26

【縄文再考】大陸と縄文~縄文前期から列島と大陸は関わり合い、日本海を囲む文化圏があった

みなさんこんにちは!

今日は大陸と縄文について。

これまで縄文時代は列島内での交流はあるものの、ほとんどの期間は鎖国のような状態として分析されてきました。

大陸からの文化の流入が本格化したのは縄文晩期(約3000年前)といわれ、寒冷化により北方漢民族が長江に移動。玉突き的に長江江南人が日本にやってきて、稲作を伝播したと考えられています。

 

しかし、様々な装飾品や土器・道具などを観察すると、大陸と列島の交流はもっと古く、少なくとも縄文前期の約6000年前から始まっていると思われます。縄文文化は列島単独で成立していたのではなく、大陸文化との相互作用があったのです。

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2021.11.25

縄文時代再考:縄文に稲作が無いのは、政治、徴税が無い=国家が無いから!

皆さん、こんにちは。

今回は、縄文時代の暮らしに迫る「稲作問題」

縄文時代に稲作が殆どないことは既に知られたことですが、ではなぜ縄文人は稲作をしなかったのでしょう?

今回その謎に迫ります。

稲作は国家により行われる

日本の徴税は、弥生時代に始まると言います。えつき(労役、兵役、絹、綿など)、税(たちから:穀物による物納)、調(みつぎ:穀物以外の物税)、役(えだち:労役)などと呼ばれました。つまり、穀物栽培は、施政者への納税として行われていた可能性が高いのです。

古代日本の稲作に関し、プラント・オパール(植物細胞に充填する非結晶含水珪酸体)やもみ殻などが遺物として発掘され、縄文時代に稲作があったかなかったか、などが盛んに研究されています。が、稲(米)を創る必然は、食用に限りません。年貢米と言われる通り、米は税として統治者へ納められました。

弥生時代に始まる闘い

弥生時代に入ると、人類同士の闘いが起こります。武力衝突から領民を守る代わりに、税を納めさせる。その税が米や労役であれば、弥生時代にあって縄文時代に無いのも理解できます。

そもそも、日本に稲の祖先型野生種が存在した痕跡は殆どありません。それが突然弥生時代に稲作が始まるのは、移住者によって伝搬したと考えるのが、自然です。弥生時代に渡来した人々。彼らが元居た大陸では、既に国家が成立しています。国家を作る目的は、人間同士の縄張り争いに対抗するため。政治や軍事を専業にする代わり食料を貢がせる。その経験の有る人たちが渡来して、日本の弥生時代は始まりました。反対に、縄文時代は同類同士の衝突がない。このことは人骨の外傷の無さで明らかです。

近年、縄文時代前期の遺跡から複数のイネ科植物の遺骸であるプラント・オパールが出土しています。鹿児島県で12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出され、稲作起源地の中国長江流域よりも古いと話題になりました。しかし、僅かに出土した遺骸から、即座に稲作があったとするのは困難です。プラントオパールはあまりに小さく、地層内や土中への混入も風雨で可能でしょうし、他所から持ち込む人も少数なら居たかも知れません。

縄文人は自然サイクルで暮らす

前回ご紹介したように、縄文人は、洞窟から抜け出し平地に竪穴式住居を建て次第に定住化します。食料は、自然のサイクルに支えられ豊かで人口も増え始めます。集団で生きることは、何かと心強く、女性を中心に定住化。集団内の役割も次第に高度化してリーダーも置くようになったでしょう。しかし、自発的に集団化した人々は、税ではなく共に狩猟や採集、一部栽培などを行ったと容易に想像できます。

縄文時代の社会には、や国家が無い。日本史でも王、神などは割と古く登場します。天照大神、女王卑弥呼、漢委奴国王など。しかし、こうした王や神は、本当に日本人が自発的に創ったものなのでしょうか。よく言われる八百万の神。万物に神が宿るー。人の形をした王や神は、「万物」というのとは異なります。例えば天皇は、人でありながら元を質せば神であり、その血統を繋ぐことが今でも重要視されています。同じ人間であって違うはずはない、と、頭ではわかっていても、何やら畏れ多いとして特別視してしまうのは、日本人であれば普通に感じること。

しかし、人類史では、王や神は、古代人の創造であって自然に登場するものではありません。王のそばには神官が居て、この王は神の化身などと箔付けをして人々に認めさせます。敬うべき存在が自ら田植えなどするはずもなく、神への貢ぎ物として進んで農作業を行うよう諭されます。

一方縄文時代は、自発的な社会です。精霊信仰は万物にそれを認め、同じ人間に上下関係があるなど思いもしません。贈り物は有っても貢物や税は無い。同類同士の争いも無く、従って国家もない。それが縄文時代。なので、稲作が行われることは無かったと言えるでしょう。

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2021.11.19

【縄文再考】定住化に向かった縄文人。自然サイクルから栽培等を見出し生産力増⇒人口増⇒集団内の役割と統合を強化

みなさんこんにちは!

前回は縄文の時代ごとに洞窟から竪穴住居への変化について辿ってきました。(→リンク

今週は定住化した縄文人の生業と集落の形成過程から、集団をどのように形成していったか、その背後の構造に迫っていきたいと思います!

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2021.11.17

―縄文再考- 土偶は祈りの道具であり、精神性そのもの。注視し感謝し、そして「種を残す」第一義の集団課題へ立ち向かっているのです。

みなさん、こんにちは!

縄文時代の各時期の外圧状況と土偶の形から改めて土偶の役割を考えてみます。

 

今回の追求で固定したいのは、

①縄文時代の土偶は祈りのを対象に伝える道具だったということ。

②そしてその祈りは外圧状況により対象が全く異なること。

③対象=意識の収束先がより大きく強く形として表出する。

では土偶で何を祈ったのか?その対象は何なのか?ここを追求していきます!

 

■そもそもなぜ土偶を制作したのでしょう?

 

縄文時代はよく知られている通り無文字文化です。無文字文化であることが関係しているのか、「伝える」ために「記録する」「残す」という行為は文明発展のために必要不可欠になります。無文字文化を象徴するラスコー洞窟の壁画はまさに「伝えるため」に「記録する」ことを行っています。それも自然のかたち(動物・植物)を注視し壁画に記しています。

(参考:五十嵐 ジャンヌ 心理学ワールド 81号 ヒトと動物の芸術心理学 化石人類の壁画─ 具象,幾何学形,混成像 | 日本心理学会 (psych.or.jp) )

”人類はかたちを読み取り、伝えるという行為を発端として、積極的にかたちを作るように”

”かたちを介したコミュニケーション能力を高めた人類は実在しないものも想像するようになった”

(図1)ラスコー洞窟絵画

ラスコー洞窟のように、(手法こそ違えど)縄文時代も「伝える」ために想い(=祈り)を形に「込めて」「残した」のだと思われます。それが縄文土偶です。

 

■土偶で何を祈った?

何を祈ったかを解読するために、土偶のかたちに着目しました。

というのも、子供が描く絵は意識がもっとも集中した箇所を大きく表現します。

子供の書く絵に胴体がない理由。頭足人とは?何歳ごろに見られる光景か? (inakadaisuki.com)

>子供が注目しているのは「動いている部分」

子供の場合は顔ですね。顔(=表情)をよく見ているのはそれだけ重要な部分だったから。

その視点で見れば縄文時代の土偶のかたちには大きな意味があることが分かります。

 

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▼各時期の土偶のかたちのと特徴

  • 草創期、早期、前期

体のみの土偶 ※特に胸の形状が秀逸 ・手の平に収まる大きさ

(図2)最古の土偶

  • 中期

顔、手足の表現・正中線やがっちりした下半身・女性像・大型化(重量化)

(図3)縄文のビーナス

  • 後期

人の顔ではなくなる・中空化(軽量化)

(図4)仮面の女神

  • 晩期

植物以外にも動物そのものの表現が現れる・中空化(軽量化)

(図5)遮光器土偶

            

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〇草創期・早期・前期


この時期は、温暖になってきた時期で、食事は少しずつ確保できるようになった時代。中期に向けて人口が上昇しているのを見ても、子供を成熟するまで育てられるようになっている。しかしまだ不安定で、出産してから食べさせる食事がない、母子が栄養不足で母乳が出ないなどの問題もあったと思われます。つまり食糧への一定の不安が残りつつも、子供の命を育むためには母子の母乳が欠かせない。故に土偶を制作したとされる男性は、この”命を育む”ことに注視し、乳房を主とした土偶を制作したのではないでしょうか?

 

哺乳類などの動物も子には母乳を与えます。現代人も母乳をやるのはごく普通のことですが、縄文人の男性は女性がそうして生殖役割を果たした女性に対して、感謝の気持ちをもったのではないか。命を育むことの象徴として乳房に意識を置き、しっかり育つことへの祈りを土偶に込めたのだと思われます。

縄文人の輪廻転生の考えや、生死への意識などからも、命を育むことへの感謝感は十分にあり得えます。

 

〇中期


外圧状況はさらに温暖化になり、食糧は十分なほど確保できるように。子も母乳や食事に困らないくらいかなり豊かになります。

しかし、この環境下で、命を育む授乳行為への注視は成立しないような気がします。豊さで感謝感は薄まりそうですよね。

 

では次に土偶を制作した縄文人はどこを注視したのか?に土偶に何を残したのか?

上記でも述べたように中期はかなり豊かになります。食糧には困りません。では次に課題が顕著になるのは子供を産むことです。人口も増え、女性の数も多くなったことでしょう。生殖活動は集団課題ということもあり、変わらず行われていました。

つまり、産んでから命を育むことへの課題意識は豊かさとともに薄まったとすれば、女性は産むことに集中したはずです。

縄文時代はもちろん医療の発展などはありませんから、母子ともに出産時のリスクは草創期・早期・前期となんら変わっていないのです。そうなれば、命を宿す女性の母数は増え、出産できる割合は変わらないのであれば、返って出産できない数が目立つはずです。

そこで、安産祈願のように無事に出産することへの祈りを土偶に込めたのではないでしょうか?

”女性が子を産む”という行為を注視し、象徴としてお腹の正中線や、がっちりとした下半身に現れたのだと思われます。

 

〇後期


土偶は明らかにかたちを変えます。外圧状況が変わった証です。

後期は、寒冷化を迎え、食糧が確保しづらくなります。植物の栽培を始めていた時期でもあり、不作の時期もありました。食糧がなくなる不安が再び表出するのです。食糧が確保出来なければ、子は育ちません。集団の崩壊危機になるわけです。

”栽培している植物の実が生る”ことに注視し、ちゃんと実ることを祈り、土偶に植物が合体されたと思われます。体は中期を踏襲しており、顔が植物です。

(参考:竹倉史人 『土偶を読む』)※この著書で扱われる土偶は全て後期・晩期であり、外圧状況としても食糧への不安へ陥る寒冷期であったため納得いきます。

 

祭祀でも豊作を祈ったことでしょう。仮面を被ったシャーマンの存在が集落ではなによりも安心基盤になります。

女性という対象から、シャーマンへと祈りの対象が移ろいでいき、仮面を被ったシャーマンと植物が一体化していく傾向が見られるようになります。

五十嵐ジャンヌ氏が提唱する、”かたちを介したコミュニケーション能力を高めた人類は実在しないものも想像するようになった”は縄文後期以降にも当てはまります。

 

〇晩期


寒冷化がより悪化します。食糧は益々確保できなくなります。人口も減り、集団存続の危機になります。

食糧確保に対して一層意識が強まったこともあり、祈りを強めるために植物を全身に表現し、より自然と一体化します。遮光器土偶が顕著ですね。竹倉史人氏『土偶を読む』では遮光器土偶はサトイモとされています。

土偶の全身に祈りの対象を宿す、込めることで祈りを最大にしたと考えられます。これを実現するためにこれまで以上に植物への注視は行わなければなりません。注視し、植物の生命そのものに感謝したのだと思われます。土偶を介して植物とやり取りしているみたいですね。

※狩猟のパートナーである犬の土製品やキノコの土製品なども出土していますが、遮光器土偶と比較すると明らかに手抜き感があります。それほど祈りや想いが強くなかった証ですし、祈りの軸としては少々ズレているため争点とはしません。

 

以上のように縄文土偶は、その存在そのものが祈りであり、対象物なのです。

そして、そのかたちは対象への注視から生まれたものです。故に外圧によってかたちを変え、感謝が生まれるのです。

また、一見すべて違うかたちですが、各時期で「種を残す」ことへの祈りは貫通していることが分かります。

それだけ縄文時代において集団が第一義であり、共同体的思考を持っていたのです。

 

土偶は祈りの道具であり、精神性そのもの。注視し感謝し、そして「種を残す」第一義の集団課題へ立ち向かっているのです。

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2021.11.12

【縄文再考】命への感謝と再生への願いが込められた縄文土器文様

皆さん、こんにちわ!

先日掲載した縄文土器シリーズでは、中期縄文土器を照準を絞って分析し「自然の注視・一体化が収束軸であり、それが美しさを形作っているのではないか」という仮説を以下のような特色から考察しました。

①自然にある曲線を多用した立体的な造形が目立つ

②単調な文様の繰り返しではなく渦巻やS字や逆U字などの組み合わせた複雑文様であること

③全く同じ組み合わせはない

そうしたなか、先日、江戸東京博物館の特別展「縄文2021ー東京に生きた縄文人ー」で縄文土器を眺めていると…どの面も文様が微妙に異なりつつも、集合体としての一体感、そこから生命観(生きているような力強さ)が感じられたのです。←実際に土器を目の当たりにしてはじめて掴める感覚であるとも思います

そこで、今回は、縄文土器文様の放つ生命観は何なのか?を追求してみたいと思います。

■生命原理から導いた記号を用いて自然界を表現

縄文土器の複雑文様を解読するうえで、非常に参考になるのが武居幸重氏の文様解読。

「縄文土器の文様には意味がある」と唱え、日本で最初に系統的に文様解読を行った結果を「先土器時代の崩壊における諸問題」「縄文デザイン」「縄文心象」にまとめています。http://www.joumon.jp/wp-content/uploads/zokusinsyou.pdf

数多くの土器をデッサンすることで見えてきたのは「雌雄の有微性による対構造」。豆粒文も勾玉文も重ね、並べることで、常に対であることを主張している。

また、土器はある面でも上から下にかけてデザインが変化していることから、対構造に則りつつも複合的な記号配置で、陸界や水界などの空間を表現しているとも主張している。

ーーー

  1. 基本的に大地・畑の文様が記号のベースとして選択され、大地・畑の記号に対して種子文などの作物が抽象化された記号として表現されている。
  2. 縄文人は、表現しようとする対象が原則的に対関係(対構造)で存在するという基本的な考え方を持っており、記号もそれにしたがって基本的に対関係(対構造)で配置される。
  3. 対構造の基本的な関係は雌雄という性に関する関係である。
  4. 記号単独についてではなく、複合的に配置された記号全体が、陸界や水界などの空間を表現する。

ーーー

つまり、自然・人の注視から対構造という生命原理を導き、それ原理・法則を用いて、自然界を表現していたことになる。

また、限られた大きさしかない土器に目の前の壮大な自然界を落とし込むためにも、写実的な文様ではなく、抽象的な文様を用いたというのも整合感がある。(一部写実的な文様・形状の土器も出土しているため、そうした技術がなかったわけではなく、「あえて」抽象文様を用いていたと思われる)

部分ではなく、あらゆるものが一体となって構成される自然界そのものを表現することに意味・意図があったようだ。

■命を喰らう器に、生命への感謝と再生への祈りを込めた

では、なぜ、生命原理に基づいた記号を用いて自然界を表現したのか。

そのうえで、参考になるのは縄文野焼き技法の第一人者であり、現代縄文アーティストの猪風来氏の考察。

大自然の中で自給自足で暮らしながら竪穴式のアトリエで20年以上も創作を続けるなかで得た認識を語っている。http://waccamedia.com/local/73

 

「縄文土器は野草や木の実、猪やシカなどの獣の肉を煮たり焼いたりするもの。命を喰らうためのもの。だからこそ土器は尊厳ある生命と等しく、最も尊厳のある形でなければならなかった」と。

そして「思えば自然とは一定しないもの。風が吹き、雲や潮や水は流れ、植物は揺れ、火は踊り、太陽は東から西へと回る。縄文人はそうやって動き続ける自然を生命として見た」

「季節の動きも含めて、そのような動き、循環が自然の摂理に従って行われることで、自分たちが生きていけることを縄文人は知っていた。だから命の満ちる様子を文様で表し、祈った」と考察している。

 

 

命を喰らう器「縄文土器」だからこそ、生命への感謝と再生への祈りを込めた縄文人。

より、ありのままの自然界を土器の限られた面に落とし込むために、自然・人の注視から見出した生命原理「対構造」による記号を用いて陸界・水界を表現していた。

そうだとすると、空間を記号化して、2次元的に再構成し、それを3次元の土器に再統合しなおすという非常に高度な空間把握技術をもっていたことにもなる。

こうした能力も、自然への感謝、そして注視(一体化)があったからこそ身に付いたものなのかもしれません。

 

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2021.11.10

【縄文2021】~縄文に立つ東京。東京の島嶼部で見つかる縄文の痕跡

みなさん、こんにちは。

前回より始まりました、「東京に生きた縄文人(2021/10/9~12/5 @江戸東京博物館)」視察レポートの第二弾!

今回は、東京都の島嶼部である伊豆諸島で多く見つかっている縄文遺跡の紹介をします。本州から離れた島嶼部でなぜ縄文遺跡が数多く発見されているのか?当時の状況や航海術も気になりますね。特別展で紹介されている内容と、展示を見て考察した内容をお届けします。

 

※写真は、特別展で撮影許可されたものを掲載

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2021.11.04

【縄文2021】~縄文に立つ東京。東京湾に集結した縄文人を支えた基盤とは?

みなさん、こんにちは。

縄文再考をテーマに、これまで縄文土器や土偶、縄文人の経路等を追求してきましたが、本日は本やネット情報だけでなく、リアルに縄文を感じながら追求していきます。

2021年10月9日から江戸東京博物館で「縄文2021」が開催されていましたので、その様子をご紹介します!

圧倒的に大きい縄文土器や石棒!国宝の縄文ビーナス!貝塚で発見されたハマグリの大きさや食糧の多様さ!など、多くの気づきがありました。

そこで、今回から4回に分けて、【縄文2021展】を紹介します。

縄文人の営みを、生々しく伝えていきます!

※写真については特別展で撮影許可されたものを掲載しています。

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2021.11.02

縄文再考;縄文時代の中間まとめ 本流は南方からの到達組だが他にも居る

皆さん、こんにちは。
今回は、これまでの追究(土器や土偶、人骨、住居跡、寒冷化、ハプログループなど)を年表に纏めてみようと思います。


↑画像クリックで拡大
この年表で、トピックと思われるものを書き出すと、以下の通りです。

〔旧石器時代〕
・海面が80m低い。津島、沖縄列島は海で分離。台湾、朝鮮半島は大陸と地続き。
・欧州で女性石像が創作される。デフォルメされた乳房、臀部。性器も表現されている。
・沖縄県石垣島で当時の人骨。研究者におよれば縄文人に近い。
・富山県氷見市の洞穴でも人骨。同じく縄文人に近い。
・沖縄市の港川人骨だけは、特徴が異なる。

〔縄文草創期〕
・栃木県で洞窟人骨。
・富山県氷見市人骨。縄文人に近い。
・沖縄市の港川人は特徴が異なる。

〔縄文早期〕
・静岡県浜北で同じく当時の人骨、三ヶ日人。縄文人に近い。
・最古の竪穴式住居
・早期末要に鬼界カルデラ噴火。九州縄文人がほぼ絶滅。
・九州北部に多数装飾品を持つ人骨。緑大珠など、異色。

〔縄文前期〕
縄文海進。温暖化で海面上昇。
・中葉に三内丸山遺跡でヒスイ加工品。同時期紅山文化(中国)でもヒスイ加工品。
・三内丸山では高床式住居

〔縄文中期〕
火焔式土器縄文のビーナスなど土器、土偶が豊かに。中国、欧州は新石器時代。

〔縄文後期〕
・寒冷化で東日本縄文人が南下。三内丸山集落放棄。
多数人骨が出土する遺跡が各所。
・北海道礼文島で人骨。但し縄文人とは異質の寒冷適応したもの。
・中国で夏、殷、周の国家登場、青銅器時代へ移行

〔晩期〕
富士山大爆発
・遮光器土偶。

 

縄文ストーリー

・旧石器時代に、琉球列島から日本に近づくホモサピエンスが登場。石垣島、その後日本に到着。沖縄市港川に到達した別人種もあったが、日本には根付かず。縄文時代早期前葉までに静岡県、富山県に到達。その後東日本に進み、次第に東日本を中心に活動するように。
・当時海面は80mも低いが、対馬、琉球は島の状態。海流を超えて日本に到達する高い航海術を有する種族。
・主に洞窟暮らし、縄文早期に竪穴式住居の使用始まる。半地下の洞窟のようなもので、環境は洞窟と大差ないが、洞窟の無い平地にも構築できる。上屋を運搬するか、現地で調達すれば、移動も可能。
・縄文前期、南方由来の高床式住居。定住が始まる。女性は移動せず。子育てに集中し人口増加
・縄文中期までは、少数で移動しながら木の実や、狩猟を行う生活。温暖化で北日本にも進出。土器、土偶を産出。当時の中国紅山文化の影響でヒスイ加工品、火焔式土器など特徴的な土偶となる。
土偶は持ち運びの出来る大きさ。男は移動生活を継続。移動は主に男。一方大型集落も構築。女は集落に定住し、母系制社会。

・大陸出身で、集落間を往来して寄贈品を融通する商人の様な種族が登場。恐らく中国人。黒曜石、ヒスイを融通。一部は大陸へも。
・縄文文様や、ヒスイ、黒曜石などは、中国大陸文化の影響。むしろ大陸で好まれたもの。

・縄文式土器の文様は、文字の代わりに何かを伝えるもの。繰り返し文様だが、全く同じものを繰り返すのではなく、僅かに変化させている。暦の様なものか。

・縄文後期寒冷化で東日本縄文人は南下。植生変化の食糧難で人口減少。人口の変動には火山噴火も影響。
・縄文後期、大陸では国家が登場。青銅器も開発され、日本へ流入する大陸種族も出始める。
・晩期には誇張した乳房や臀部の遮光器土偶を産出する種族。欧州旧石器時代からの系譜で、縄文人とは異なる。南下した縄文人に代わり北方ルートで到達した寒冷適応のエスキモーに近い人々。

※要するに旧石器時代に琉球列島経由で日本に到達したのが縄文人のルーツ。但し、朝鮮半島(対馬海峡)や北方(樺太)経由で到達した種もいる。南方到達組が本流で、その他は傍流。

ミトコンドリアハプログループのⅮ(4.8万年前Mから分岐)、B(約4~5万年前アジアで分岐、東南アジアなど南方に拡散)、M7(2.5万年前スンダランドで分岐)の頻度が高いとのこと。

Y染色体ハプログループD1a2aも日本で頻度は高いが、アイヌや琉球民族で多く、本土日本人では少し低下すると言います。中央アジアで分岐し朝鮮半島から到達したと言われますが、礼文島人骨から解析が行われており、そもそも寒冷適応しているなど縄文人とは特徴が異なるので、これをして縄文人と判定するのは早計と思います。

なお、ここまでのまとめを踏まえて、今後更に精度を上げて解明していきます。

(以上)

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posted by sai-yu at : 2021年11月02日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2021.10.29

縄文再考~土偶は女性への贈与品!?欠乏の強い男こそが集団を強くする男~

みなさんこんにちは。

今回は縄文時代の土偶から分かる性生活について追求していきます。

 

始まりは定住化からです。定住するようになってから土器、土偶が作られるようになりましたよね。

この頃は温暖化が進み、降雨をもたらし、食物が豊かになります。所説ありますが、八季あったのだとか。食には困らなかったのかもしれませんね。

 

ではなぜ全国各地で女性を再現した土偶をつくったのか?

そしてその技術が発達した理由とは一体何なのでしょうか?

 

定住化が始まり、安定的に暮らせるようになったものの、不安定な部分は残ります。それは集団づくりです。集団づくりといっても一概に現代でいう人材育成などではありません。

洞窟生活から定住化に移行したことで、今までにない外圧に見舞われます。その外圧に対して安定した生活が送れるように変異(=外圧適応)していきます。この安定と変異の繰り返しで集団を強くしていきます(=生き延びれるように)。生活レベルの問題では降雨に対して安定するために藁葺きの竪穴住居という形式に至ったのだと思われます。

一事例の紹介でしたが、定住化が始まり、より安定を求めるようになります。

 

一方で不安定な部分は?

縄文人の平均年齢はで乳児も含み平均15歳程度。乳児を除けば平均年齢は40歳前後まで高くなるのです。つまり、乳児期の死亡率、そもそもの出生死亡率が高いということです。

集団づくり=子作りといっても過言ではない。子づくりは縄文人にとっての最重要集団課題という訳です。そして安定すべき課題であったとも言えます。

 

集落内の男女は血縁関係になるのですが、集団がある程度続く中で、血縁関係間での子作りのリスクを学んだことでしょう。そのため、如何に集団外(血縁関係外)からくる男性と交わるために変異するか?が必要になります。

仮説ですが、石器時代から母系集団(血縁関係)として生活をしており、縄文になっても女性が集団を束ねていた可能性は高いです。常に集団の中に滞在していることで安定思考の強い女性が、集団として生き延びるために男性を選択していたと思われます。

集団として強くなるきっかけは女性にあったということです。

 

男性は女性に選択される必要があります。でなければ最大の集団課題を担えない男としての役割充足を失うことになります。

性行為したくても出来ない、そんな状況から土偶で女性を再現し想いを鎮めていたのではないでしょうか?早期の土偶は全国的にすべて女性の”体”のみ。顔の表現は一切ないことからも、女性との性行為(=最大の集団課題)を担いたいという欠乏がむき出しにされています。

ある種ラブレターとして、その欠乏の強さの表現が女性に届き、役割が上昇していったのではないでしょうか?土偶は女性への贈与品だったのです。

そしていつしか、土偶の写実性、繊細さが男性としての強さ(=欠乏の強さ)として評価されるようになり、それが男性を選択する評価軸となったと考えられます。

そのため中期へ移行するにつれ、土偶の表現が高度化していったのではないでしょうか?

 

女性は安定するために強い男性を選択し、男性は選択されるべく変異していく。欠乏を強くしていく。そうやって縄文時代の性生活は成り立ち、それにより集団が強くなっていったということです。

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posted by matudai at : 2021年10月29日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2021.10.29

縄文再考~洞窟から竪穴式住居へ、縄文時代の定住化は集団での役割が明確になったから?~

みなさんこんにちは!

前回は縄文の時代ごとに竪穴式住居の建物形態の変化について辿ってきました。(→リンク★)

今週は「そもそもなんで洞窟の中から竪穴式住居に住み始めたの?」という謎に迫りたいと思います。

 

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posted by hanada at : 2021年10月29日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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