2019.11.14

ラグビー、平尾の残した「闘争」~潜在思念が生み出す言葉の力

ラグビーワールドカップが先日終わりました。スポーツの素晴らしさ以外に私たちはこの競技から何かを感じていたのではないでしょうか?
日本人の可能性であり、チームワークであり、言葉の力であり、それから導かれた(外国人混成の)日本人の闘争力ではなかったでしょうか?
故平尾誠二は今回の日本ワールドカップを導き日本ラグビーを育てた逸材です。今、書店の店頭で平尾のリーダー論が売れています。リーダーとしてのハウツーも然ることながら、非常にわかりやすく闘争の心得が書かれている。
今回は彼の残した言葉から言葉の力、言葉の可能性、言葉と闘争力の関係を見ていきたいと思います。リンクより引用させていただきました。

平尾氏の闘争の為の言葉群~

m162.gifチームで勝つ、これが最高に難しく面白い。ラグビーに限らず私たちの日常の仕事場面でもたくさん使える言葉があります。

m162.gif ダメだったら次の機会に試す。でもまたダメだったらまた次に試す。そして達成できたら、それは自分の実力になっているという事なんです。

 m162.gifスポーツに自己犠牲などありえないと思う。自己を生かすことがチームを生かすことなんだ。

 m162.gif時間って命の一部なんですよ。今の時間を大事にできない人は、未来の時間もきっと大事にはできない。

 m162.gif問題は弱みがあること自体ではない。自信のなさや不安から、他人との間に無意識に壁を作ってしまうことにある。

 m162.gif人間は、本当に上手になりたいと思ったときにこそ、学習能力を発揮するんです。

 m162.gifすべての準備は試合前に終えておかなければならない。

 m162.gif決め事は少なくても、本質的な幹がしっかりしていれば、枝葉は自由に変えられる。周囲の状況が変わったら、すぐに対応できるチームワーク。それが本当の強さ。

★★平尾氏の真骨頂はコーチングですが、彼は言葉の力を何よりも活かし、工夫し、考えている。世のリーダー達は須らく言葉を磨いている。序列原理が崩れ、共認原理で社会や集団が統合される現在ほど言葉の力が必要な時代はない。平尾氏がいかに多面的に言葉を考え使っているか、「言葉とは闘争そのものである。」以下の言葉群はそれを示しています。

m162.gif 映像は何かをわかりやすく伝えるツールとしてはいいですが、それで人のやる気を高めるのは難しい。ラグビーの試合前に映像を観て気合を入れる、なんて話は聞いたことがありません。そのとき、選手を奮い立たせることができるのは、リーダーの言葉しかないのです。

m162.gif 怒るにしても褒めるにしても、それがどれだけ効果をあげるかを決めるのは、そこで発せられたリーダーの言葉です。リーダーの一言で、気合が入ったり、やる気が高まったりすることってありますよね。言葉にはそういう力があるのです。

m162.gif とにかく相手の話をよく聞くことが重要です。目の前の人が自分の話を真剣に聞いてくれていると思ったら、安心して本音が話しやすくなるじゃないですか。

m162.gif 10人を前に話すとき、リーダーにとっては1体10ですが、部下はそれぞれ1対1だと思って聞いています。だから私は、これはとくにあいつに聞いてほしいという部分が来ると、その人間の顔を見ます。そうすると、いま自分だけに話しかけてくれているという気持ちになって、真剣に聞こうという気持ちになるのです。

m162.gif部下に話を伝えるのが下手なリーダーは、ほとんどの場合リーダー側の受信機が問題です。そこをみんな間違えるんです。何かを伝えようと思ったら、まず相手の一挙手一投足に注意を払い、いまどんな精神状態にあるのか、性格はどんなタイプなのかといったことを見極める。話すのが苦手という人は、説得力より洞察力の方に磨きをかけるべきなのです。

m162.gif局面を見極めなければ次はない。次もまた局面を見極めて勝って、また次へ行く。その戦いの繰り返しでしか前に進めないんです。仕事でもそうでしょう。局面の見極めを誤って、一度「まあいいか」と妥協してしまったら、次もまた「いいか」と妥協することになる。妥協は借金取りに追われているかのように連鎖するんですよ。「今度こそ返すから」ってずっと言い続けることになる。それでは、負け続けるだけ。勝負どころを見極めて、その一瞬に全力を注がないとダメなんです。

m162.gif普段から部下のことをよく観察しておくことが大事です。それによって、同じ「大丈夫です」という返事を聞いても、声の感じから、「本音は不安なんだな」とか、「今日は自信がありそうだな」というようなことまで察することができるようになります。そうして、相手の気持ちや何を考えているのかを掴んだうえで、それに応じた話し方をすると、伝わりやすさは段違いに高まります。

m162.gifどんなに正しいことを言っても、それを相手が実践しようと思わなければ意味がありません。相手がやる気になって初めて、自分の言いたいことが伝わったことになるのです。ですからリーダーは、何を話すかだけでなく、どう話せばもっと部下が関心を示してくれるか、どうすればより伝わるかを考え、表現の仕方を工夫することが必要です。

m162.gif話が伝わらないのは自分の話に説得力が足りないからだと考えてしまう。でも、いまのように個々の価値観も違えば、理解力にも差がある時代に、誰に対しても説得力のある話し方があるのなら、私が教えて欲しいくらいです。

m162.gif どんな優秀なリーダーでも、持っているネタには限りがあります。なのに、部下に毎日のように話をしていたら、すぐネタが尽きて飽きられてしまいます。すると、肝心な時に相手が興味を持つ新鮮な言葉が見つからない、ということにもなりかねません。ですから、少なくともとっておきのネタは、いざというときに温存しておくんです。

m162.gif 私は、リーダーが怒るということは、あまりいいことだとは思いません。よく、「うちのチームは、俺が怒るからいいプレーができるんだ」という指導者がいますが、だから怒った方がいいというのは理屈に合わないでしょう。怒られたからできたというのは、もともとそれができるだけの力があったのです。だから、この場合は、怒られるまで力を出さない個人やチームにこそ問題があると考えなければいけません。

言葉は人類が生み出したサルにはない新機能=観念だが、深く潜在思念と繋がっている。平尾の言葉は深いのはラグビーという肉体と頭脳を限界まで使うスポーツだからかもしれないが、こと闘争という場面では潜在思念から立ち上がる言葉の力はスポーツに関係なく必要な場面がある。

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posted by tanog at : 2019年11月14日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2019.10.31

秦氏=忍者=諜報組織 だが、彼らが裏方で活躍してきた事が今の日本に息づいている

過去のるいネットの中から掘り出し物の記事を紹介していきます。リンク

「日本の裏の歴史は秦氏が支配してきた。」
秦氏の系列に大伴氏、加茂氏があり、陰陽道、神社ネットワーク、忍者部隊、芸能民、山の民によって立体的な裏支配を作り上げていた。
5世紀に大量に渡ってきた秦氏がなぜそのような組織を作り上げる事ができたのか、動機は何か、非常に興味湧くところではあるが、それを追求した書は未だない。秦氏と忍者、諜報組織の関係についてまとまった文章があったので紹介しておきたい。

秦氏は常に歴史の裏方で活躍してきた。彼らがいなければ、今日の日本はありえず、伝統文化も存在しえなかった。忍者と財閥、このふたつを握ることで、秦氏は日本の歴史を裏で動かしてきたといってもいい。リンク

諜報組織、忍者、裏組織と聞けば悪いイメージが付きまとうが、決して表舞台に登場しない彼らが日本の土台を作った。
以下を読むと悪しきイメージよりその功績は大きい。要はそこで得た裏情報(=事実情報)を何に使うかである。
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<忍者と秦氏>
・忍者の歴史は古い。文献に残る忍者の初見は聖徳太子が組織したという「志能備」、もしくは「志能使」と表記される組織である。『日本書紀』によると、「大伴細人」なるをもって志能備の任に当たらせたとある。大伴氏は物部氏と並ぶ古代豪族のひとつ。軍事的な力をもっていた。軍事の基本は情報であり、インテリジェンスである。その意味で、大伴氏が諜報活動を行ったという記述は十分、信頼性のあるものだが、忍者の歴史を俯瞰するに、実際の任務を担ったのは、実は秦氏であることが見てとれる。

・特に江戸時代、幕藩体制のもとでは、一般庶民は自由に藩を出ることはできなかった。伊勢講など、神社へと詣でる特別な行事でもなければ、関所を通ることはできなかったのである。
しかし、なかには特別に関所を自由に通行することを許された人々もいる。遊行者である旅芸人をはじめ、いわゆる興行を行う人々は全国を歩き回ることができた。なかでも日本の伝統芸能である「能」は観阿弥、世阿弥によって集大成され今日に至っているが、彼らは秦氏であった。能の源流ともいわれる「猿楽」「申嶽」は、もともと聖徳太子の命によって、彼の側近であり、舎人であった秦河勝が始めたものである。秦河勝の息子が当時、聖徳太子が建立した四天王寺において披露した芸が始まりだとされる。
能や申楽のほか、田楽などといった庶民の芸能のほか、雅楽もまた、そのほとんどを秦氏が担っていた。同じく全国を歩き回ることを許可された民間陰陽師、歩き巫女、香具師といった人々もまた、秦氏の流れを引く者が多い。

・さらに、里の民とは別に、山の民もいた。街道ではなく、深い山々に張り巡らされた道を通り、日本列島を縦横無尽に歩き回った山の民、とりわけ山伏と呼ばれた修験者は呪術的な存在でもあった。修験道の祖「役小角」と並び称され、京都の愛宕山や加賀の白山を開いた「泰澄」の俗姓は秦氏であった。

・こうした全国を旅する人々は必然的に多くの情報を見聞きすることになる。事実上、諸国の事情を最も包括的に知っているのは秦氏だったといっても過言ではない。まさに、それは全国に張り巡らされた情報ネットワークであり、為政者の目には極めて良質なインテリジェンス組織のように映ったことだろう。ある意味、秦氏が忍者となったのは歴史的な必然だったともいえる。

事実、戦国時代から近世に至るまで、歴史の裏で暗躍した忍者の多くは秦氏であった。講談や漫画でもおなじみの忍者「服部半蔵」は、その名の服部が示すように伊賀の秦氏であった。伝説的な存在では「百地三太夫」なども有名だが、俳句を詠んで東北を歩いた「松尾芭蕉」を含め、彼ら伊賀忍者はみな秦氏である。ちなみに、松尾氏は京都の松尾大社で知られるように、そのほとんどが秦氏であるといっても過言ではない。

<秦氏の経済力>
・いわば農業や漁業、林業などの第1次産業と並んで、日本経済の柱となったのは第2次産業である。ごく大雑把にいえば工業である。工業には重工業と軽工業があるが、このいずれも、基盤は秦氏が担っていた。

まず、重工業はいうまでもなく、鉄鉱石を採掘し、これを道具や武器などの製品にする。鉄はもちろん、金銀銅といった貴金属を生み出す鉱山の多くは、高度な金属精錬技術をもった渡来人が担ってきた。なかでも、そのほとんどが秦氏であったといっても過言ではない。全国の金山や銀山、銅山には、古代から近代にいたるまで必ずといっていいほど秦氏の影がある。
・一方の軽工業といえば、まさに戦後の経済成長の牽引力ともなった繊維産業だ。古代にあって最高の繊維は絹であり、それを生み出す蚕の飼育、すなわち養蚕はこれまたほぼ秦氏が独占していた。
・まさに秦氏は殖産豪族の代表格であった。近代の財閥のようだというより、そもそも三井をはじめとして財閥自体、実は秦氏の流れを汲む人々なのである。莫大な財力をもつ財閥一族が、あまり政治の表舞台に立つことがないように、秦氏もまた政治家になる者は少なく、もっぱら産業界において名を馳せた。

<歴史の表と裏>
・では、社会の表に出ない秘密、インテリジェンスを入手するためにはどうすればいいのか。答えは諜報活動、平たく言えばスパイ活動である。合法・非合法を問わず、有効な極秘情報を入手することが重要だといっていい。よく引き合いに出される欧米の格言によれば、スパイ活動は世界で2番目に古い職業であると評言される。ちなみに、最も古い職業はセクシャリティを売ること、すなわち売春である。
・近代国家が発足する以前、諜報活動はすべて裏方が行ってきた。すなわち、「忍者」である。

<陰陽道における秦氏と加茂氏>
・陰陽道を握ることは、神道を支配することにほかならない。秦氏と加茂氏は互いに陰陽道によって、日本全国の神社を支配下に治めていくことになる。今日、氏子がどう思うかどうかは別にして、神道の元締めが天皇であり、その祭礼を一手に握る加茂氏と歴史の裏で暗躍した秦氏によって、すべての神社は乗っ取られてしまったのである。

 

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2019.10.24

戦争より恐ろしい現代の自然災害~防災の為には西欧科学に代わる”新しい科学”が必要

寺田寅彦氏の記事をもう一つ紹介しておきたい。

戦争より恐ろしいのが天災という。

「日本のような特殊な天然の敵を四面に控えた国では、陸軍海軍のほかにもう一つ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然ではないかと思われる。」

という寺田氏の見識は非常に尤もで今から80年以上前にこの意見を投げかけ、未だ国土交通省はその緒にもついていない。
莫大な防衛費の半分でも災害対策に投入することができれば、その被害はかなり未然に防げる。さらに現在、地震も台風も人工的に起している疑いがかなり濃厚に出てきており、仮にそうであれば科学技術の使い方としてはまったく真逆の方向になっている。それとも災害を予測する科学技術は高度すぎて人智では不可能という事か。
今回の台風での被害報道があまりに少なく、ワールドカップラグビーの報道で有耶無耶になっている点もおかしい。国の責任を問う論調も少なく、防災失政の世論を形成するに至っていない。「災害は忘れた頃にやってくる」とは現在まで残る寺田氏の名言だが、氏が伝えたかった事は、災害を常に忘れずに積み上げていく研究機関やその為の独自の科学技術がこの国には必要ではないかという視点である。いわば古来、縄文人が行ってきた自然へ同化し自然の摂理を一つづつ見定めた自然観を、現代の科学技術を使ってやればどうなるのかという課題だと思う。その為の科学技術とは実験室で行われる西欧科学と異なり、事実を徹底的に注視し、その中から摂理となる法則を見つけ出すという方法が必要でアプローチが全く異なる。
マスコミがこの新しい科学に役に立てるとしたら、災害発生の都度に淡々と事実の報道、数字化したデーターの提供を世論誘導することなく行う事であろうと思う。

ーーー寺田 寅彦「天災と国防」より抜粋ーーーーーー
戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。その上に、いついかなる程度の地震暴風津波洪水が来るか今のところ容易に予知することができない。最後通牒も何もなしに突然襲来するのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである

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2019.10.24

南米に渡り、プレインカ文明を築いた縄文人

縄文人は丸木船を操り、日本中のさまざまな地域や韓国など黒曜石やヒスイなど貴重な産物を航海にて届けていました。 遣隋使や遣唐使で18回中8回程度しか成功しなかったほどですから、縄文人がはるかかなたの国を目指すことはまさに命がけの行動だったはずです。

にもかかわらず、驚くべきことに、縄文人が南米に渡り、プレインカ文明を築いていた証拠がウィルスやDNAによる研究から明らかにされつつあります。 いったい何が彼らをそこまでかきたてたのでしょうか。

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2019.10.17

寺田寅彦に学ぶ「日本人の自然観」

今から70年前に書かれた文章、寺田寅彦の随筆の言葉の力はは災害がある毎に私たちに迫ってくる。今回台風19号で多くの地域、人々がまた災害の犠牲になった。特に台風は毎年日本列島で猛威を振るい、その被害が年々大きくなっているのは都市化や気象変動の影響はあるものの、私たちの自然に対する意識(畏れ)が希薄になってきている事の裏返しかもしれない。
古来日本人は自然を畏れ、敬い、その中で恵を頂いてきた。何でもコンビニやネットで買える時代になり、便利さの代償として頂くという感謝の意識は確実に薄れていっている。寺田氏が書かれている西欧科学の成果を何の苦労もなくごっそり輸入した日本でその危機が今、顕現している。そしてそれは天の知らせであり、今改めて謙虚に自然を受け容れなければいけない事の示唆ではないか。日本に与えられた自然外圧は台風や洪水、地震、火山噴火と、西洋のように立ち向かう、克服するでは乗り越えられない大きなものなのだ。迎え入れる、対応する、適応する、その為に自然を謙虚に学び、それに適応した古来からあった自然観への同化、学びが今必要。そして防災に必要な政策や政治があるとしたら、そこから組立て直さなければいけない。どこかのアホな自民党の政治家がコメントした“今回の台風の被害はまずまずだった“等と言う発言は出てくるわけがない。

寺田寅彦氏の味わい深い随筆を時間がある方は読んでみてほしい=参考リンク「青空文庫

>われわれは通例便宜上自然と人間とを対立させ両方別々の存在のように考える。これが現代の科学的方法の長所であると同時に短所である。この両者は実は合して一つの有機体を構成しているのであって究極的には独立に切り離して考えることのできないものである。人類もあらゆる植物や動物と同様に長い長い歳月の間に自然のふところにはぐくまれてその環境に適応するように育て上げられて来たものであって、あらゆる環境の特異性はその中に育って来たものにたとえわずかでもなんらか固有の印銘を残しているであろうと思われる。
日本人の先祖がどこに生まれどこから渡って来たかは別問題として、有史以来二千有余年この土地に土着してしまった日本人がたとえいかなる遺伝的記憶をもっているとしても、その上層を大部分掩蔽するだけの経験の収穫をこの日本の環境から受け取り、それにできるだけしっくり適応するように努力しまた少なくも部分的にはそれに成効して来たものであることには疑いがないであろうと思われる。
そういうわけであるから、もし日本人の自然観という問題を考えようとするならば、まず第一に日本の自然がいかなるものであって、いかなる特徴をもっているかということを考えてみるのが順序であろうと思われる。

(中略~読みたい方は上記のリンクへ飛んでください)

このような自然の多様性と活動性とは、そうした環境の中に保育されて来た国民にいかなる影響を及ぼすであろうか、ということはあまり多言を費やさずとも明白なことであろう。複雑な環境の変化に適応せんとする不断の意識的ないし無意識的努力はその環境に対する観察の精微な敏捷を招致し養成するわけである。同時にまた自然の驚異の奥行きと神秘の深さに対する感覚を助長する結果にもなるはずである。自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど人間は自然に対して従順になり、自然に逆らう代わりに自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験をわが物として自然の環境に適応するように務めるであろう。前にも述べたとおり大自然は慈母であると同時に厳父である。厳父の厳訓に服することは慈母の慈愛に甘えるのと同等にわれわれの生活の安寧を保証するために必要なことである。

(中略)

人間の力で自然を克服せんとする努力が西洋における科学の発達を促した。何ゆえに東洋の文化国日本にどうしてそれと同じような科学が同じ歩調で進歩しなかったかという問題はなかなか複雑な問題であるが、その差別の原因をなす多様な因子の中の少なくも一つとしては、上記のごとき日本の自然の特異性が関与しているのではないかと想像される。

すなわち日本ではまず第一に自然の慈母の慈愛が深くてその慈愛に対する欲求が満たされやすいために住民は安んじてそのふところに抱かれることができる、という一方ではまた、厳父の厳罰のきびしさ恐ろしさが身にしみて、その禁制にそむき逆らうことの不利をよく心得ている。その結果として、自然の充分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を集収し蓄積することをつとめて来た。この民族的な知恵もたしかに一種のワイスハイトであり学問である。しかし、分析的な科学とは類型を異にした学問である
たとえば、昔の日本人が集落を作り架構を施すにはまず地を相することを知っていた。西欧科学を輸入した現代日本人は西洋と日本とで自然の環境に著しい相違のあることを無視し、従って伝来の相地の学を蔑視して建てるべからざる所に人工を建設した。そうして克服し得たつもりの自然の厳父のふるった鞭のひと打ちで、その建設物が実にいくじもなく壊滅する、それを眼前に見ながら自己の錯誤を悟らないでいる、といったような場合が近ごろ頻繁に起こるように思われる。昭和九年十年の風水害史だけでもこれを実証して余りがある。
西欧諸国を歩いたときに自分の感じたことの一つは、これらの国で自然の慈母の慈愛が案外に欠乏していることであった。洪積期の遺物と見られる泥炭地や砂地や、さもなければはげた岩山の多いのに驚いたことであったが、また一方で自然の厳父の威厳の物足りなさも感ぜられた。地震も台風も知らない国がたくさんあった。自然を恐れることなしに自然を克服しようとする科学の発達には真に格好の地盤であろうと思われたのである。
こうして発達した西欧科学の成果を、なんの骨折りもなくそっくり継承した日本人が、もしも日本の自然の特異性を深く認識し自覚した上でこの利器を適当に利用することを学び、そうしてたださえ豊富な天恵をいっそう有利に享有すると同時にわが国に特異な天変地異の災禍を軽減し回避するように努力すれば、おそらく世界じゅうでわが国ほど都合よくできている国はまれであろうと思われるのである。しかるに現代の日本ではただ天恵の享楽にのみ夢中になって天災の回避のほうを全然忘れているように見えるのはまことに惜しむべきことと思われる。

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posted by tanog at : 2019年10月17日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2019.10.10

「江戸の防備録」より~江戸時代データーとして (1)

江戸時代を研究している文学者で磯田道史という方が居られる。磯田氏の書いた著書で「江戸の防備録」という本があるが、その中に貴重な記述がいくつかある。江戸時代データーとして記録しておきたい。今回を第1回とし、もう1回ほど投稿する予定です。

「江戸の教育事情」
江戸時代の教育というと、人間を儒教教育の鋳型にはめる画一教育のいめーじがある。しかし、実際は違う。そもそも、子供たちが一斉に先生の方に向いて教育を受けるのは明治から始まった。(江森一郎「勉強」時代の幕開け)
江戸時代の寺子屋の絵図を見ると、寺子屋の子供は先生の方を向いて並んでいない。点でバラバラに自習している。江戸の教育はマンツーマン教育に近い。先生は子どもが手を動かして字を書くのをみてやり、子どもが口を動かして本を音読するのを一人づつ順番にきいた。江戸の学びは子供が能動的に自分の手と口を動かして成り立つ「手と口の学び」であった。
ところが明治以後これがかわる。黒板が登場し、先生が教えるものを子供がじっと座って暗記する座学、つまりは「目と耳の学び」になった。それが近代の学校というもので、国家が国民に画一的な知識を一斉注入するのには、これが効率がよかった。しかし、自分で勝手に何かをやる創造的な人間や面白い発想は育ちにくい。江戸の寺子屋の中にはまったくマイペースであり、サボる子、暴れる子もいて、無法地帯であったが、体を動かしながら学ぶ子供の顔は活き活きしていた。

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2019.09.27

適度な人口規模を維持し、持続可能な営みを続てた縄文人に農耕は不要だった。

近年では土偶や装飾性の高い土器などの芸術性が注目される縄文文化ですが、これらを道具としてもちいた彼らはいったいどのような社会に生きたのでしょうか。縄文時代とは狩猟採集社会と呼ばれる経済段階に位置づけられ、身の回りの自然に頼った生活をした時代と考えられています。

世界各地に展開した人類文化の変遷を見ると、狩猟採集社会のあとには農耕社会が登場し、やがて国ができる場合が圧倒的に多いのですが、その中でも日本列島は農耕社会の成立が世界の中でも極めて遅かった特徴があります。このことは言い方を換えれば狩猟採集社会である縄文時代が長く続いたということです。 豊かな森と海に囲まれた環境に適応した技術は、農耕を必要とすることのない文化を築きました。

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2019.09.12

潜在意識で母音骨格をつかむ私たち日本人~会話とは意識の融和

世界中の言語はほとんどが子音言語である。英語圏を初め、中国語、韓国語もほぼ全世界の言語体系は子音言語(母音を聞き流す言語)である。母音語を主体に音声認識をする言語として確認されているのは、ポリネシア語族(ハワイ語なども含まれる)だけで、比較すると極めて少数派である。黒川伊保子シリーズ第3回目はこの母音言語の使い手の可能性を紹介したい。

現代社会が出口を見失い、突破口を探す上で潜在思念で捉えるこの母音言語の日本語が持つ可能性は極めて重要に思える。

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2019.09.05

胎児の言語機能~ヒトは、耳ができて、聴覚の機能が揃ってからことばを獲得し始めるのではない

今回も黒川伊保子著の「日本語はなぜ美しいのか」から美しい一遍を紹介します。
赤ん坊は何も教えなくても言語を覚えていく。当たり前のようでこれはすごい事だ。そしてその覚える過程は母親との共鳴にあり、その原点は胎児の時に作られている。胎教教育とは聞くが、妊娠中の母親の充足がその子どもの将来にとっていかに重要かを黒川氏は言語の立場から問うている。

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胎児の言語獲得
脳は、3歳までに母親(主たる保育者)との密接な関係により、言語構造の基盤を作り上げる。
母親の発音体感に共鳴することで、全身でことばを捉えていくこの時期、赤ちゃんがしゃべれないからといって、母親はことばをないがしろにしてはいけない。また、周囲は、母親の気持ちのケアをないがしろにしてはいけない。なにしろ、赤ちゃんの言語構造の基礎構築は、胎児期から始まっているのだヒトは、耳ができて、聴覚の機能が揃ってからことばを獲得し始めるのではない。「体感で受け取ることば」には、聴覚はいらないのである。

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2019.08.27

言語の習得と脳の発達~9歳から11歳の3年間に人は追求脳を作り上げる

縄文ブログでは過去に黒川伊保子著の「日本語はなぜ美しいのか」という本からいくつも日本語の特徴、その効果、優位性を紹介してきた。久しぶりにこの本を読んでいるとさらにいくつもの紹介しておきたい話がある。

今回、少しミニシリーズで黒川氏の著書から“なるほど”を提示してみたい。

最初は言語の習得過程である。赤ちゃんが言語を習得し、3歳から爆発的に言葉を話すようになる。さらに7歳まではどんどん言語の習得と共に脳が発達していく。現在詰め込み教育の弊害が教育界で叫ばれているが、習得するとはこういう事ではないかというヒントがある。

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