2019.09.12

潜在意識で母音骨格をつかむ私たち日本人~会話とは意識の融和

世界中の言語はほとんどが子音言語である。英語圏を初め、中国語、韓国語もほぼ全世界の言語体系は子音言語(母音を聞き流す言語)である。母音語を主体に音声認識をする言語として確認されているのは、ポリネシア語族(ハワイ語なども含まれる)だけで、比較すると極めて少数派である。黒川伊保子シリーズ第3回目はこの母音言語の使い手の可能性を紹介したい。

現代社会が出口を見失い、突破口を探す上で潜在思念で捉えるこの母音言語の日本語が持つ可能性は極めて重要に思える。

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2019.09.05

胎児の言語機能~ヒトは、耳ができて、聴覚の機能が揃ってからことばを獲得し始めるのではない

今回も黒川伊保子著の「日本語はなぜ美しいのか」から美しい一遍を紹介します。
赤ん坊は何も教えなくても言語を覚えていく。当たり前のようでこれはすごい事だ。そしてその覚える過程は母親との共鳴にあり、その原点は胎児の時に作られている。胎教教育とは聞くが、妊娠中の母親の充足がその子どもの将来にとっていかに重要かを黒川氏は言語の立場から問うている。

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胎児の言語獲得
脳は、3歳までに母親(主たる保育者)との密接な関係により、言語構造の基盤を作り上げる。
母親の発音体感に共鳴することで、全身でことばを捉えていくこの時期、赤ちゃんがしゃべれないからといって、母親はことばをないがしろにしてはいけない。また、周囲は、母親の気持ちのケアをないがしろにしてはいけない。なにしろ、赤ちゃんの言語構造の基礎構築は、胎児期から始まっているのだヒトは、耳ができて、聴覚の機能が揃ってからことばを獲得し始めるのではない。「体感で受け取ることば」には、聴覚はいらないのである。

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2019.08.27

言語の習得と脳の発達~9歳から11歳の3年間に人は追求脳を作り上げる

縄文ブログでは過去に黒川伊保子著の「日本語はなぜ美しいのか」という本からいくつも日本語の特徴、その効果、優位性を紹介してきた。久しぶりにこの本を読んでいるとさらにいくつもの紹介しておきたい話がある。

今回、少しミニシリーズで黒川氏の著書から“なるほど”を提示してみたい。

最初は言語の習得過程である。赤ちゃんが言語を習得し、3歳から爆発的に言葉を話すようになる。さらに7歳まではどんどん言語の習得と共に脳が発達していく。現在詰め込み教育の弊害が教育界で叫ばれているが、習得するとはこういう事ではないかというヒントがある。

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2019.08.22

イギリスの私権性がなぜ高いのか?⇒民族が入れ替わるほどの略奪が国家の起源だから。

先日、この縄文ブログにコメントをいただきましたので、今回はその方への返信を含めて記事を書きます。質問者はWATANABEさんという方です。
その後のイギリス人の私権性が極めて高く、19世紀に世界の頂点にまで上り詰めたのは2度のこの時期に流入民が一気に土着民を排除した歴史に由来しているのでしょう。“2度のこの時期に流入民が一気に土着民を排除した歴史”がイギリス人の私権性の高さに繋がるのか、もう少しご説明いただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。~投稿

まずこの質問に答える上で「私権性が高い」とは歴史の上で何を指すかを示しておきます。
人類は500万年、ホモサピエンスとなってからも20万年の歴史を持ちますが、一般に歴史と言えば6千年前から始まる古代文明、さらに4000年前から始まる国家の歴史を以って今日に至る人類の歴史が語られてきました。

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2019.08.15

なぜ今、人は縄文に惹かれるのか・・・(新)認識収束の萌芽

るいネット投稿より面白い記事がありました。

ビジネス、アート、様々な分野で世界的な注目を集めている「縄文時代」。
なぜ、今、現代人たちは縄文時代に魅せられ、はまるのか?

非常にシンプルで面白い切り口です。この縄文ブログでも少し追求してみたくなりました。

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2019.08.12

関東がヤマトの驚異になった理由を紐解く~豊かな縄文から弥生への移行

関東と聞けば、広大な平野を思い浮かべる方も多いでしょうが、太古の関東は、湿地帯、湖沼が覆い尽くしていました。縄文時代には東京湾が今でいう内陸奥深くまで広がっていたし、霞ケ浦も広大な内海で、関東平野には内陸の水運が発達していました。

こうした気候や土地の状況から縄文時代は関東、東北が主役でした。

稲作が九州から西日本に伝わり東西の形成が逆転しますが、以降、いわゆる日本の歴史はヤマト建国から西日本中心に繰り広げられています

今回は縄文から弥生へ移行する背景を探り、関東が中央にとって脅威になっていく歴史について探求していきたいと思います。

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2019.08.08

縄文人の海洋術~自然への対処技能は古代人の方がはるかに高かったひとつの証

前回の記事でインかに渡った縄文人を書いたが、今回はその縄文人の航海術が世界的に見ても凄まじいレベルの高いものであったことを示す記述を紹介したい。最も凄いのは世界でも最速の流れの早さを持つと言われる黒潮を横断した航海技術である。帆船ができる時代であっても黒潮は乗り越えられなかったと言われ、豊かな南の海洋資源を運ぶ黒潮は同時に日本と大陸を遮る海の壁となって長い期間日本を守ってきた。そしてこの黒潮の中で工夫に工夫を重ねて漕ぐ体力を持った肉体と技術を高めたのが海洋系の南方縄文人であった。
リンクより紹介させていただきました。

縄文人が優れた航海術を持っていた証拠を以下に示す。
1 奄美・沖縄で、九州の縄文前期の曽畑式土器が発見され、縄文時代の奄美の遺跡から、本土との活発な交流を示す遺物が発見されている。
2 奄美は九州から300km以上離れ、屋久島から200km以上離れ、島伝いの最長島間距離は60kmある。
3 九州から奄美に渡るには、黒潮が太平洋に噴出しているトカラ海峡を横断する必要がある。黒潮の平均流速は5㎞/h、最大流速は7km/hで、幅は100㎞。
4 黒潮を横切るには10km/h以上の速度が必要になり、鎌倉時代に博多に来襲した元寇の船も、種子島に鉄砲を伝えたポルトガル人も、黒潮は横切っていない。
5 中国の史書は、倭人の島は会稽東冶(福建省福州)の東にあると記し、倭人の主要航路は黒潮を2回横断する、九州~沖縄~台湾~福州だった事を示している。
6 縄文時代の遺跡から、丸木船の様な船材と櫂が多数発掘されている。丸木船の様な船材は、海洋船の船底材だったと考えられる。
7 三重県で発掘された5世紀の舟形埴輪は、立派な構造船の形状を示し、19世紀まで中国の外洋船だったジャンクと同じ構造だから、その祖型だったと考えられる。
8 好太王碑文に、朝鮮半島を南下した5万の高句麗軍が、倭と戦ったと記されている。宋書は倭が半島南部を守り切った事を示し、倭には強力な海運力があった事を示している。
9 複数の旧石器時代の遺跡から、伊豆半島から50㎞以上離れた神津島産の、黒曜石が発掘されている。縄文時代の南関東では、神津島産の黒曜石が多用されていた。

☆中でも4の黒潮を渡る技術について(どれほど難しい事か)詳しく見てみたい。
↓黒潮の流れ
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黒潮を横切るために、必要な速度を求めるベクトル図流速7㎞/hの黒潮(青い矢印)を直角に横切る場合、船が海流の流路を45度遡る方向に10㎞/hで進行すると(青い矢印)、7㎞/hの速度で(橙色の矢印)目標に近付く。このベクトル図だけでは、10㎞/hもの速度は必要ない様に見えるが、トカラ列島を島伝いに横切る場合、屋久島から口之島に向かう56㎞は、30度の角度で黒潮を遡る必要があり、上の図の山吹色の破線で黒潮に押し返され、目標に近付く速度は3.5㎞/h以下になる。この状態で56㎞を横断するには16時間漕ぎ続ける必要があり、人間の体力の限界を超えただろう。最大流速7㎞/hは最悪の場合だから、もう少し現実的に平均流速5㎞/hを採用しても、実効速度は4.3㎞/hに改善されるだけで、10㎞/hの速度で13時間漕ぎ着ける必要があった。しかし偶然7㎞/hの海流に遭遇すれば、海難のリスクが高まったから、古代人であってもその様な事態は避けただろう。

屋久島には標高1936mの山、口之島には標高628mの山があるから、屋久島の海岸から口之島の山の上部400mが見え、山を進路の目標とする事に問題はないから、縄文人は島を目指して直線的に漕ぎ進んだと推測されるが、黒潮の中で漕ぐ手を止めると太平洋に押し出され、遭難してしまうから、休まずに漕ぎ進む必要があった。
時速10km/hの速度では、屋久島から口之島までの所要時間が10~20時間になるから、漕ぎ手の交代要員を準備する以外にも、簡単には想像できない色々な工夫が必要だったと推測される。次項に示す様に、船底材の長さは10m未満だったから、それが船の長さを制限していたと考えられ、現代人には容易に想像できない技を、巧みに使った可能性が高い。

現在のボート競技での世界記録は、
舵手付きフォア(艇長12m)で6分/2㎞=20km/h、
舵手付きエイト(艇長17m)で5分20秒/2㎞=23km/h
縄文人の船はこれらの半分程度の速度で、太平洋の波間を長時間航行できた事になる。

陸上競技では、400m走では44秒程度(33㎞/h)が最速で、マラソンでは2時間4分(20km/h)が最速だから、競技用ボートに近い性能が出せる船であれば、10㎞/hで長時間航行できた事になる。実現不可能な数値ではないが、知恵を絞って人力の限界に迫らなければ実現できなかったから、古代人を侮ってはならない良い例になるだろう。
この事情を帆船に置き換えると、10㎞/hの速度は、帆船の終末期だった19世紀の速度だから、それ以前の帆船では黒潮を乗り切る事はできなかった事になる。帆船は風頼みだから、黒潮を横断する事は難しかったと推測される。言い換えると、漕ぎ手がいないジャンクの様な帆船では、黒潮を横切る事はできなかった事になる。

漕ぎ手は日頃から筋肉を鍛錬する必要があり、漕ぎ方にも技術が必要だったから、安易な再現プロジェクトは馬鹿げた企画になる。歴史学者が古代人を貶めているから、その様な発想が生まれるのだろうが、自然に対する対処技能は、現代人より古代人の方が優れた部分も多かったと考えられ、この発想に現代人の奢りが見え隠れしている。縄文時代を深く考察すると、縄文人はこの様な侮蔑的な発想では到底理解できないほど、優れた認識力を発揮していた事が分かる。科学的な知識はなかったから、合理的な発想で自然と対峙しなければ、生き抜く事ができない時代だった。縄文時代を理解するためには、縄文人のその様な知恵を当然とする、柔軟な認識が必要になる

以上の論考から、ある程度の規模の船でなければ沖縄に渡航できなかった事と、この難所を通過できる船であれば、大陸に出向いて河川を長躯遡上できた事を、指摘する事ができる。

次回投稿ではこの丸木舟について詳しく見ていきたい。

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2019.08.01

インカ帝国をつくったのは縄文人の末裔~このトンでも説に、これだけの証拠が残っている。

今年に入り台湾から与那国島まで実験航海が行われ古代人が黒潮を突き抜けて航海した事を実証したとするニュースが飛び込みました。国立科学博物館で今年の夏にその公開技術が報道されます。今日はその記事とも連関するのですが、古代縄文人がその海洋技術を使って太平洋を越えて南米に到着していたのではないかとする説の紹介です。

インカ帝国をつくったのは縄文人の末裔であるとするとんでも説ですが非公開の元日本駐在ペルー大使フランシスコ・ロワイサ氏が書いた文献の要約を読むとあながちとんでも説ではないと思えるのです。このように南九州の縄文人は火山噴火と共に世界各地にその足跡を残していった。そう考えるとその影響はどこまで拡がっているのかに興味が湧いてきます。

リンクより借用させていただきました。
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■「インカ帝国に日本人建国説」
インカ帝国という名前を一度は聞いたことがある方は多いと思います。
ひとつの説に日本人(縄文人)がこの帝国を築いたというものがあります。今回はその仮説を紹介していきたいと思います。このインカ帝国をつくったのは少数のグループと考えられていて、13世紀から14世紀ころ、後に帝国の首都となるクスコから一気に領土拡張を開始したといわれています。しかしその人たちが何処から来たのかは、文献が残っていないため、詳細がわかっていません。そして今回の説について、元日本駐在ペルー大使フランシスコ・ロワイサ氏が書いた文献が残されていて、国立図書館に保存、現在は非公開となっています。

この本のサブタイトルには
「インカ帝国をつくったのは日本人だった。そしてインカの人々は日本人の末裔だった。」という説が書かれていて、聖なる湖、チチカカ湖は、父ちち・母はは から取ったと言及、更には日本人が海を渡ったルートまで記されていたといいます。
南米の多くの譜代文明の風俗・習慣、遺物などには、古代縄文文化と同じような物も多数存在しており、その関連性が海外の研究者の間では、熱く議論されているといいます。しかし不思議な事に日本の考古学では、最近では変わりつつあるが、過去は縄文時代とは狩猟採取生活に毛が生えたような未開の時代であり、全く研究に値しないと考えられており、弥生時代や古墳時代などに中国や韓国を通じて知識や技術が入ってきたもので、その文明を受け入れた大和朝廷によってはじめて世界に通じる国作りが始まったとされていたました。

そのために縄文時代には太平洋を渡る技能が全く存在していなかったとされていますが、実際世界中には縄文文明との繋がりを示すと思われる事柄が数多く存在しており、古くから縄文文明を評価した論文が数多く在ることも事実でした

インカ帝国の記録を紐解いて浮かび上がるもの
インカ帝国 第9代皇帝、パチャクテクの子孫、ミゲル・アンヘル・トレス・チャベス氏には、家に代々伝わる話があるといいます。
それは子供の頃から、インカ帝国をつくったのは日本人だと聞いていたそうです。インカ帝国領土内の人々は、ケチュア語、アイマラ語など、征服した村の言葉を話していました。しかしインカの王族の間だけで話されていた言葉があり、他の人には誰にも分らない言葉だったそうです。それが日本語であるとしています。

インカなどの古代文明をつくった人々がどこから来たかと云う発祥地に関しても、東アジアと言われていますが、日本の考古学では頭から否定されていてその研究も成されていないのが現状です。

しかしインカに関する記録を紐解くと
1、彼らの骨格やDNA遺伝子に関する調査では、南米の人々に縄文人との繋がりがあるとされた
2、インカの創世記の話しに、神から支持をされて姓名を上下反対にして、現地の名前の呼び方に合わせたとされており、本来は姓が最初で名が後にくる民族と思われ、東アジアの習慣と同じだった。
3、インカでは沖縄地方で古くからおこなわれていた2度葬儀と同じ方法で埋葬していたと思われた。それは最初の葬儀の後に暫くして開封して、遺骨を洗い浄めるか、または遺骨がミイラ化していたら、正装した後に、同じ住居の中で生活を共にして生きている時と同じように扱う風習がインカに伝わっていたと思われた。
4、インカには創世記の話しが各地に多くの伝承が残っていたが、その中のひとつに日本の古事記の内容と似た話が存在している

■アメリカンインデアンのルーツは縄文人?
そして、ペルーで見つかった約1000年前のミイラの便から、「ズビ二鉤虫」が大量に発見されました。順天堂大学の奈良准教授によると、ズビ二鉤虫は寒さに弱いため、ベーリング海峡を渡り南米に到達したとする北方ルートは考えにくい。さらに昨年発表された論文では、南米沿岸の人たちは日本人とDNAが似ているといいます。
因みにこのズビ二鉤虫は、縄文日本人が、北米および南米インディオの祖先だということを証明してくれる小さな承認ともいわれています。

それまでは、アメリカインディアンの祖先はモンゴロイドではないかという説が有力でした。モンゴロイドたちは、ベーリング海峡が氷河で繋がっている時にユーラシア大陸から、北米大陸に、歩いて渡って行ったに違いないと考えられました。そうした考えと共に、日本のように小さな島国から日本人が太平洋を越えて移動できるはずがないという考え方が有力でした。
ところが、約3500年前の南米インディアのミイラの体内から「ズビ二鉤虫」という寄生虫の卵が検出されました。「ズビ二鉤虫」は、5℃以下で2年間暮らすと体内で死滅してしまうという特徴があります。

したがって、アジア・ユーラシア大陸に住むモンゴロイドたちが、氷河期に凍り付いたベーリング海峡を歩いて移動したという説が誤りであることが証明されました。このことでやっと、縄文日本人がアメリカインディアンのルーツだということが、この説を支持している学者は証明されたとしています。

■多くのペルー人は日本人ルーツ説を信じている
ペルーの元国立記念碑文化遺産庁長官フェデリコ・カウフマン・ドイグさんは「子供の頃、日本人ルーツ説をよく聞きました。多くのペルー人がインカ帝国の皇帝は日本人だと思っていたのです」と語っていたり、インカの暮らしを守り続けているマティンガ村には、日本で見かける昔ながらの竈(かまど)があり、村に伝わる神話があるそうです。「太平洋の彼方からやってきた神さまが王国を築いた後、いつか私は必ず戻ってくるといい残し再び海へ旅立った」と。
また、ペルーより北にあるエクアドルの海岸部で発見された土器類が、南九州で5千年以上前に盛行した「曽畑式土器」とよく似たものであることがわかっています

 ■アカホヤの大噴火が起した縄文人の拡散
そして南九州、とくに鹿児島に多い「成人T細胞白血病」と同じものを起こす遺伝子も向こうには多いといいます。過去、人類有史最大規模と呼ばれる程の火山噴火が鹿児島沖の硫黄島で起こりました。鬼界カルデラ、いわゆるアカホヤの大噴火です。これは日本中に痕跡を残しており、特に九州南部には最大1mもの火山灰を降らせたことが鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになっています。

沖縄を含む九州南部は全く人が住めない状態となったといいます。
そこで作られていた縄文集落が噴火の後無くなっており、人骨が見つかっていないことから、住民がどこかへ逃避したことがわかっています

大多数の住民は被害の少ない九州北部に移ったと考えられるが、中国大陸やアメリカ大陸に渡った人たちもいたのではないでしょうか。アカホヤの大噴火が起こったのは約7300年前だが、黄河文明は約6800年前、南米エクアドルで見つかった縄文土器は約5500年前といづれも大噴火の後なのです。年代的に見てこれらの文明をつくったのは火山噴火から逃れた九州南部の縄文人だった可能性があると研究者は話しています。太平洋には日本からアメリカ大陸に向かって黒潮が流れており、その流れに乗って太平洋を渡ったと考えられるのです。南米には前述の通り、遺伝子や土器のほかにも埋葬方法や言い伝えなど文化的に似通ったものがあり、自分たちの祖先は日本人だったと主張する人もいるそうです。

年々高度な文明であったと判明している縄文時代。
我々日本人の祖先は海を渡り、新しい文明を切り開いていったのでしょうか?これから先も世界のルーツは色々な仮説、そして真実が解ってくるのだろうと考えると楽しみで仕方ないですね。

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2019.07.25

鉄を軸に古代史を読む~鉄の権益を獲得したことで強大なヤマト王国が誕生。

宮津市史編さん委員会が編纂した「宮津市史」に「弥生時代から古墳時代」という節がある。そこに弥生集落の崩壊が全国で起きていたことが記されている。 弥生中期後半、紀元前100年に高度な玉つくりの技術を持っていた奈具岡遺跡、弥生前期紀元400年以前から環濠集落を営み続ける途中ケ丘遺跡、舞鶴市の志高遺跡の集落は、いずれも弥生後期後半紀元300年頃に消滅している。後期から土器の出土が極端に減る。人口減少である。北丹後の福知山市興遺跡、綾部市の青野遺跡も同様である。 丹後では、弥生後期の集落の様相が変わり、明らかな遺跡は少ないという。地域性豊な特徴ある墳墓が出現して、新しい小国家が出来上がていったのだという

弥生人は鉄器を持った渡来人の墳墓づくりに、鉄を手に入れるかわりに参画した。

「倭国大乱」とは、大乱というほどの戦争状態ではなく、鉄の交易が生んだ日本社会の「突然変異」であったと考える。

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2019.07.25

ゲノム革命は新しい科学か?近代科学の延長か?

21世紀初頭のたった数年で、1000倍以上になったものがある。それはDNAの塩基配列を読む速さだ。しかも、DNAの塩基配列を読む費用も、1万分の1以下になった。いわゆるゲノム革命が起きた。このゲノム革命を牽引したのは先に投稿したハーバード大のディビッド・ライク博士だが、日本でも今年に入ってゲノム解析による新説が報告されている。縄文人の起源がこれまでの説1万6千年前より最大2万年程、古くなるという。

このゲノム解析がどの程度人類史を塗り替えていくかは興味深いが、これも近代科学同様な要素還元主義や分解主義に近い匂いを感じる。
ゲノム解析を繰り返して人類の起源を正確に当てる事と現在の人類滅亡の危機を繋ぐ論法がなければ、その研究は無駄な国家予算の出費に過ぎない。

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縄文人の起源、2~4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 リンク

国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万~4万年前とみられることがわかったと発表した。日本人の祖先がどこから来たのかといった謎に迫る貴重なデータとなる。

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