2022.05.28

【縄文再考】なぜ、極寒の地に縄文文化が華開いたのか?(北海道・北東北の縄文遺跡群)

大湯環状列石【秋田県:世界遺産(写真はコチラから引用)】

2021年7月、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産に登録されました。

なぜ寒冷な地域なのに、縄文文化が華開いたのでしょう。

これには、確かな理由があるんです。

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2022.05.26

縄文人は矢で獲物を仕留めることができたか

こんにちは。
今回は縄文時代に使用していたとされる“弓矢”についてどの程度の獲物を仕留める能力があったのか、どのようにして狩りに活用していたのかに迫っていきたいと思います。

 

皆さんも教科書などでこういった形の「矢じり」を見たことがあると思います。かなり精巧に作られており切れ味、貫通力ともに十分にありそうにも思えますが、果たしてその効果が十分に発揮できるほどの精密さ・威力が弓によって生み出されていたのでしょうか?

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以下縄文体験 「狩り」をしてみた | NHK北海道より引用

(前略)
縄文時代の「弓」は堅くて耐久性のある「イヌガヤ」の木に、カラムシという植物で作った糸を張ったもの。

(中略)
では、この弓矢を使って縄文時代のように狩りはできるのか実験します。
今回は御所野遺跡の協力を得て、シカの的を設置しました。風船がある場所が急所で、距離は10メートルです。
まずは磯部さんのお手本です。弓の重心あたりを持って、(矢の)後ろの方を糸に引っかけます。狙って。。。磯部さん、一本目で見事、シカのお尻に命中!

小島さんも挑戦!
磯部「引っ張って、狙って、放す」
小島「いきますよ!いけ! あ~っ、全然ちがう」

的の手前で失速、届きませんでした。
2本目、3本目ともに左に大きく的を外れてしまいました。

小島「矢がブレてた気がするんですけど」
磯部「羽根が付いてないので、安定しないんです」

矢といえば普通は、「矢羽根」が付いています。実はこの矢羽根、縄文人が発明したものだと言われています。およそ4,000年前の遺跡から、矢羽根を巻いた跡とみられる矢が発掘されているんです。

小島「この羽根もやっぱり、ある方がいいんですよね?」
磯部「羽根あると(矢が)真っすぐに飛びます」

今度は、矢羽根がついた矢で実験すると・・・
矢を3本放ち、2本が的に命中!矢羽根があることで矢の軌道が安定しました。

小島「急所こそいかなかったものの、確かに、羽根が付いている方が圧倒的にやっぱり方向が定まりますね」
磯部「安定して真っすぐ飛ぶようになるんですよ、羽根をつけることによって」

弓矢の手ごたえを感じたところで、土偶からの指令が。
“縄文時代の狩りがどういうものだったのか体験してください”

弓矢で本当に狩りは出来たのでしょうか。猟友会の人たちに協力してもらい、可能性を探ってみましたが…

シカは300メートルくらい離れていても、すぐ足音に気付き、逃げられてしまうため、矢で捕まえるのはなかなか難しいのではとのこと。縄文時代の狩りでは、「わな」を組み合わせていたと考えられています。

引用終わり
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そう、野生の動物は何よりも勘が鋭い!嗅ぎなれないにおいや音・危険を感じるとすぐに逃げていきます。
縄文時代の弓矢は現在のアーチェリーや弓道のような長距離・高威力が出せる代物ではなかったため、あくまでも「わな」や「落とし穴」と合わせて使い、威嚇+確実に仕留められる状態で使う目的のものであった可能性が高いです。
また、矢じりにも「トリカブト」の毒を塗っていたことから、戦国時代などで見る一矢一殺のイメージではなく、相手の間合いに入らない距離からじわじわと攻撃をするためのツールであったことが窺えます。

集団で狩りを行っていたからこそ大型の動物や素早い動物に対して「数打って弱らせる」戦法が効いたのかもしれませんね。

次回は狩りにおいて獲物を足止めするために使われていた「わな」「落とし穴」について触れていきたいと思います!

参考URL
人類最古のばねとは? – ばねとくらす (fusehatsu.co.jp)
yama (tamagawa.ac.jp)

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posted by yanagi at : 2022年05月26日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.05.21

縄文土器と渦巻文の謎―なぜ、土器には渦巻文様が多く用いられるのか?―

 

今回は、多くの縄文土器に用いられる「渦巻文様」について見ていこうと思います。

渦巻文様自体は、土器に限らず、世界各国の歴史的遺産から発見されています。特にBC3000年頃には、石や粘土に渦巻きを用いた出土品が多くあり、その理由は何だったのか、何か共通の要因があるのか。

自然界や人の活動、神話に現れる渦文様を見ていきながら、土器に表現された渦の謎を少しでも解明できればと思います。

 

〇自然の中の渦

流体力学や回転運動など、その発生理由はさまざまありますが、自然の中には非常に多様な渦が存在しています。例えば・・・

かたつむり。巻貝。アンモナイト。 蔓草。アサガオ。クラゲ。人の頭のつむじ。指紋。竜巻。水の流れの中にできる渦巻。カルマン渦。年輪。虹。北斗七星など天空の回転。台風。木星の大赤斑。惑星の誕生。天の川銀河。ブラックホールなど。

 

〇人の活動の中の渦舞。盆踊り。遊び(かごめかごめ等)・・・

活動の中にも、多くの渦が存在します。特に、祭りなどの伝統的な活動の中には、渦との関連は強い傾向にあります。

これは、樹木や岩が神々の世界とつながるための呪力が内在している、または高いところにある神々の世界と結びついていると考えられ(樹木崇拝など)、その周りで祈り、踊りをすることがその源と考えられています。

 

〇神話の中の渦

各国の神話の中にも渦は度々出現します。また、「神」という字の元の形「申」は、二つの繋がった蕨手状の渦巻きをあらわしていると言われています。

・インド神話。『マハーバーラタ』『ラーマーヤーナ』では、神々とアスラが大蛇を曼荼羅山に巻きつけて引き合い、大海を撹拌する。渦巻く大海の中から太陽も月も、女神も他の神々も生まれる。

・真言密教。円形が渦場に配列された、胎蔵界曼荼羅。

・ヒンドゥー教。霊的な力のスポット(チャクラ)を力の循環する渦ととらえている。チャクラとはサンスクリット語の車輪の意味。

古代ケルトの渦巻き模様 「トリスケル」

★⇒どちらが始まりとも終わりともつかず、無限に回転を続ける対立する力。渦巻き文様は、神々と悪魔、陰と陽、死と再生の象徴になりやすかったことがわかります。

 

〇土器における渦

土器に関しても、縄文初期から渦巻文様は用いられており、これらの要因と深く関係していると考えられます。以下は、あらゆる視点であげられる、渦巻文様に関する諸説です。

縄文土器に用いられる模様の変遷。下部に向かって新しくなるが、初期から渦文様が用いられたことがわかる。

 

【川や水の渦の可視化】

身近にあった川や水に発生するカルマン渦などから、自然の動きを可視化したもの。

【再生や永遠性を示す記号】

文様のもつ機能は「統合」。たとえば、渦巻紋は世界中に見られるポピュラーな文様の一つですが、渦巻紋が指し示すことのできる現実は、「蛇のとぐろ」「水のうねり」「風のうねり」。そこから「永遠性」「輪廻」「再生」「多産」など、物体から現象、概念にいたるまで無限にイメージを広げていた。

【出産への祈り】

渦巻模様は妊娠を意味する記号のような役割を果たしていた。文字を持たない彼らは「女性」や「出産」や「母親」を表すために、そのような 簡略化した模様を使った。

★⇒当時の人たちは、自然や生命そのものとの一体的意識が強くあり、我々では見えなくなってしまったものが見えていたように思えます。それらを土器に表現することで、さまざまな祈りや意味を渦巻文様に込めていたのではないでしょうか。

 

参考URL

  • http://kamnavi.jp/uga/uzumaki.htm
  • https://ameblo.jp/manabunc/entry-12607934123.html
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posted by anase at : 2022年05月21日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.05.19

【縄文再考】火の使用は縄文人の自然に対する観念・追求の賜物、現代社会の可能性

火の使用の起源がいつかは、いまだ定まっていないところですが、縄文時代も土器を中心に煮炊きをしている等、火をコントロールできるようになっていたと考えられます。

今日は、日本でのおこしの文化や発火法などに焦点をあてて、追求してみたいと思います。

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posted by sawane at : 2022年05月19日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.05.13

知能進化~言語はどのように発達したのか~

皆さんこんにちは!前投稿に引き続き知能進化はどのように行われていったのか、

言語という切り口から追求をしていきたいと思います。

 

https://www.brh.co.jp/publication/journal/102/rp/research01/

言語は遺伝子や血縁関係を超え伝播され、生物学的な種よりも進化スピードが格段に速く、拡散する範囲も広い。

今週は言語系統樹と言語の伝播・各国への発展過程など基本的な事を抑えていきます。

 

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posted by hanada at : 2022年05月13日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.05.11

人類の知能進化は何時から?←200万年前(ホモ・エレクトス)の「前」から

皆さん、こんにちは。

森林から離れ、洞窟に隠れ住んで生き延びた人類。生き延びるためには、知能真価が不可欠。今回は、人類が何時頃どのように知能進化したのか、今回追求してみます。

体毛が薄くなることで脳が進化!?

大型類人猿と人類の大きな違いは、直立二足歩行(足の親指が変化して樹に登れない)と体毛の薄いこと。特に体毛は、頭部、眉毛、腋毛、陰毛以外はほとんどなくなり、皮膚の細胞組織も大きく違うことが分かっています。

人類が大型類人猿の共通祖先から分岐し、森林から離れざるを得なくなった時、大型肉食獣から身を守れる縦穴を介した洞窟に隠れ住むようになったと考えられます。人類の皮膚構造が、体毛がないだけでなく汗腺が類人猿より多いことから、体温調整が類人猿より重要だったことと多湿の洞窟暮らしは符合するかもしれません。

「皮膚の形態をヒトと他の霊長類の間で比較し、ヒトでは表皮と真皮が他の霊長類と比べて厚いこと、およびヒトでは表皮と真皮を結合する表皮基底膜が波型で、他の霊長類では平坦であることを明らかにしました。波型の表皮基底膜は平坦型に比べて面積が増大します。」
2019.03.07 プレスリリース 類人猿からヒトへの進化過程における遺伝子発現の変化が、強く、しなやかでハリがあり、弾性に富むヒトの皮膚の創出に関与することを示した

類人猿とは皮膚の構造が明らかに異なり、単に毛が無いというだけでなく、毛が無くても紫外線などに対応できる皮膚構造へ変異しているそうです。体毛が無くなったのは、「突然変異」ではなく緩やかな行動による変化と言えるかもしれません。

体毛のない皮膚からは、様々な感覚刺激が得られます。これを感知するのは脳なので、体毛が無いことで爆発的に増えた肌感覚(触感だけでなく温度や湿度、光や気流など)が脳を進化させたと考えることは自然です。むしろ、食料を得ることも難しく、いつ何が起きるかわからない洞窟暮らしの古人類は、身を寄せ合って暮らしていたことは容易に想像できます。肌をすり合わせることで、体毛が少なくなっていく方向に変異した、更に肌感覚を研ぎ澄ますことで脳進化も加速した、結果、洞窟でも何とか生き延びることができた、と考えられます。

 

体毛縮小は何時から?

次は、人類のどのあたりで体毛縮小や知能進化が起きたか、考えてみます。

体毛の残る皮膚の化石は、猿人や原人で発見されていないのでどの段階で体毛が縮小したかは不明です。一方シラミについて研究し、人類の体毛が縮小したのは、約330万年前とする研究成果があります。

「ゴリラのケジラミと人間のケジラミが分かれたのは、約330万年前だったことがわかったそうです(*1、米国、フロリダ大学自然史博物館の研究者らによる論文)。ケジラミというのは、人間の陰毛に寄生して皮膚から血を吸う昆虫です。ごくまれに陰毛以外でも見つかりますが、ほとんどが陰毛に住んでいます。つまり、ケジラミは、セックスで感染することが多い。寄生されるとものすごくかゆく、最も忌み嫌われている虫の一つでしょう。陰毛に住んでいるということは、ほかの類人猿と同様、人間の全身が毛におおわれていたころから一緒にいるシラミということになる。ゴリラのケジラミと人間のケジラミが分かれたころ、人間の体毛が薄くなり、体毛に棲息していたケジラミが陰毛だけに残るようになった、とも考えられます。」

シラミでわかる体毛の秘密

約330万年前は、アウストラロピテクス属の時代で、ヒト(ホモ)属より前の時代です。脳容量はまだ小さく、はっきり言えばサル(類人猿)と大差ありません。古人類の脳容量は、ホモ属(ホモ・エレクトスがおよそ200万年前)で大きくなります。ホモ・エレクトスの直前に体毛が無くなり、その結果脳が進化したと言えそうです。

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posted by sai-yu at : 2022年05月11日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.04.29

初期人類は森林の中で地上生活を始めた!?

画像はコチラから

「なぜ、人類は木から降りて地上生活を始めたのか?」

 

上記の議論はよく聞きますが、一般的にはすぐにアフリカのサバンナ生活を始めたというイメージが定着していると思います。しかし、最初期の人類は、森林環境、あるいは少なくとも生活圏のなかに森林が入り混じった湿潤な環境で生活していたことが、近年の研究で明らかになっています。

 

ヒトの祖先は、木から降りてもまだ森林の外には出ていなかったようです。では、どうして森のなかで地上生活を始めたのでしょうか?

 

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posted by asahi at : 2022年04月29日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.04.29

なぜ人類は洞窟から出ることができたのか~縄文時代における大型動物の絶滅について

みなさん、こんにちは。
この間、類人猿を中心に追求を進めてきました。木に登ることことができなくなった類人猿は、長い間、他の動物が近寄らないような洞窟で生活するようになりました…ようやく洞窟を出ることができたのは、縄文時代

氷河期を終えて、暖かくなり、実をつける広葉樹・照葉樹が増えた時代であることは、もちろん洞窟の外に出る要因にはなりえるでしょうが、外敵を避けるために洞窟にいたことを考えると、それだけでは不十分でしょう。
重要だったのは、実りの多い時代となると同時に、マンモスやオオナマケモノ、ホラアナグマなどの大型動物の多くが絶滅したということ。暖かく・実りが多ければ、人だけでなく、他動物にとっても生存しやすい環境であったと思えますが…なぜ大型動物は絶滅したのか。今回はココを深堀りしていきたいと思います!!
その前に、よくある説の中に、高度な技術・認識をもった人間が狩りつくしたというものがある。
そのような力があったのであれば、なぜ長い間、人類は他の動物が近寄らないような洞窟で過ごす必要があったのかという疑問が生じます。打製・磨製石器そのものは石器時代、さらには原人のころからあったにも関わらず。
やはり、気候の変動の要因が大きい可能性が高い。
中でも、日本大陸における大型動物の絶滅について、国立科学博物館生命進化史グループの冨田氏は「大型動物の絶滅っていうのは2つのフェーズがあった」ことを提起しています。
2つのフェーズというのは、別々の時期に別の理由で絶滅した2群の動物がいるということのようです。
ひとつは、ナウマンゾウに代表される、ナウマンゾウ・ヤベオオツノジカ動物群と呼ばれるもの。
これは本州側の温帯地域に住んでおり、暖かい時期には北海道に渡ったこともある。
一方で、寒い地域から北海道に入ってきた、マンモス、ヘラジカ、バイソンなどのマンモス動物群。マンモスは北海道から本州には渡らなかったが、ヘラジカ、バイソンは寒い時期に本州に進出した。同時代的にはこれらの2つの動物群が地域ごとに棲み分けていた。
1万9000年前に氷期がピークになった後、1万6000年前ぐらいまで寒いんですが、その後一気に暖かくなっていること。
一番最後のナウマンゾウが2万3000年前ぐらいまで生存。マンモスで1万5000年とか1万6000年前とか。バイソン、ヘラジカなんかはもっと新しい年代が出ていること。から…
氷期がピークに向かう時に、ナウマンゾウ・ヤベオオツノジカ動物群が滅び、氷期のピークがすぎて急激に暖かくなる中で、マンモス動物群が滅んだ。環境変動によって、篩い落とされたということ。

やはり自然環境という圧倒的な外圧の変化こそが最も大きな影響を与える。
そうした自然環境を注視、そこから生き抜く認識を見出そうとしたことこそが、人類の生きる力の根源なのかもしれません。
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posted by sibata-h at : 2022年04月29日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.04.21

古人類の足の指が変化したのはラミダス猿人とアファール猿人の間 サル間闘争に負けた末の集団逃避行

東大総合研究博物館で公開されたアルディピテクス・ラミダスの全身骨格化石の複製

画像はこちら「JT生命誌研究館」から

皆さん、こんにちは。今回は、人類史の転換点。森林から離れたのは何時か、というお話です。

研究を伝える記事等

いつでもLOUPE<地球セミナ95-3 ダニエル・E・リーバーマン著「人体600万年史」[1]第3章>
「1976年、古生物学者のチームがタンザニアのラエトリで、固まった火山灰上にのこる約360万年前の人類の足跡を発見した(図7)。大人2人、子供1人のアウストラロピテクス・アファレンシスが残したものと考えられている。大きな親指と他の指が平行にならび、土踏まずがある。二足歩行をしていた動かぬ証拠である。」

NHK
「フィリピンにある洞窟から小型の人類の化石が見つかり、5万年前に姿を消した新種の人類とのこと。足の指の骨は300万年ほど前にアフリカに生息していた初期の人類アウストラロピテクスと同じように曲がり、木登りしやすいようになっていると報告、『ホモ・ルゾネンシス』=ルソン島の人と名付けました。」

「新種の初期人類を発見 米チーム、エチオピアで 2012年3月29日」日本経済新聞
「アフリカ東部・エチオピアにある約340万年前の地層から、新種とみられる初期人類の足の化石を、米クリーブランド自然史博物館などのチームが発見、29日付の英科学誌ネイチャーに発表した。エチオピアでは、同じ時代に『ルーシー』の愛称で知られるアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)がいた。新種は、アファール猿人とは違い、直立二足歩行に適した土踏まずをつくる弓形の構造がなく、足の指で物をつかめるのが特徴。アファール猿人の方がより、現生人類の祖先に近いと考えられるという。」

東京大学総合研究博物館
「ラミダスの親指の外転の程度は、類人猿や他のサル類と同程度であり、把握機能を相当保持していたに違いない。」

東京大学総合研究博物館
「ラエトリの足跡は一貫して、現代人的な荷重パタンを示唆することが確認された。特に重要とされたのが、足の前方部の圧痕が内外側全体にわたること、踵部の圧痕がそれよりも深いこと、中央内側部の盛り上がり方がアーチ構造のある足に典型的なことであった。アファール猿人と現代人の歩行は、おおよそ同様な荷重様式を持っていたと結論してよさそうである。」

何とも不整理な話(専門家でもっと摺合わせをすべき)ですが、どうやらラミダス猿人(アルディピテクス・ラミドゥス)とアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)の”間”の未明人類(或いは類人猿)で足の親指に変化が生じたようです。

改めて「直立二足歩行」の整理 足の指がサルのまま地上に降りた猿人(サル)

では、脚で木の枝を掴む生活から、地上で二足歩行する生活へ何故移行したのか?その答えになる何かが発見などされていませんので、あくまで推測です。

木の上の生活は完全な適応では無かった(そもそも、「完全な適応」は絶滅と同じ)。(木を降りて)新天地を求めるのは、動植物の適応原理における可能性探索。」

ラミダスもアファールも、化石「人類」、「猿人」と言われますが、見た目は完全にサルです。脳容量が増えるホモ・エレクトス(北京原人・ジャワ原人)が、「人類」の祖先、とすべきと思います。重要な点は、二足歩行が足の親指が変化する前のサルの段階で起きている事。その時点では、ラミダスのように樹上に戻れる可能性を残していました。

ラエトリ遺跡で新たに発見れたアファール猿人の足跡化石「L8」を別の角度から見たもの。(PHOTOGRAPH BY RAFFAELLO PELLIZZON)画像はこちらから

しかし、その後のアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)で状況は一変します。上の写真の通り、足の親指が分かれていないのです。恐らくこれは、森林から離れた後の事と思われます。ラミダスもアファールも、化石は草原の様なところで見つかると言いますが、暮らしていたのは、どちらかと言えば草原の近くの洞窟と思います。アファールの足跡化石は有名なオルドバイ渓谷から30㎞の地点。渓谷なら洞窟もあるでしょう。

知能進化は、仲間と地上に降りることで始まる。

森林から離れることは、外敵に襲われる恐ろしく危険な冒険です。しかし、樹上にも過酷な同類≒サル間の闘争があり、恒常的な飢餓に苛まれるサルもいたでしょう。弱いサルにとっては樹上は適応的では全然なくて、サル間闘争から逃れるには地上に降りて新天地を探すしかありません。

よく言われる、「危険の察知」「獲物を追いかけ狩る為」「辛抱強い訓練」「食物運搬」「真昼の暑さを避ける」「省エネ」は、どれも必然性に乏しい(他の方法も可能)。「苛烈な同類闘争からの逃避行(可能性探索含む)」なら、十分説明できると思います。

逃避行(※“自ら進んで”か、“嫌々”か、はどちらも含む複雑なもの)は、1匹では不可能です。オス、メスが居ないとその後の繁殖が出来ません。1匹で離脱するのは只の自殺行為です。最低限の適応=生き延びて子孫を繋ぐことが出来ないからです。

知能もさほど進化していないのに、森林から離れ、地上を歩き洞窟に暮らして徐々に拡散して行く。その後のホモ・エレクトス、ネアンデルタール人などの分布をみれば事実そうなっています。森林に居るだけでは「人類」にはなれなかった、のです。

地上に降りた当初は、本能で対応したのでしょう。しかし、猿人(サル)には互いに交感する機能があります。何匹か連れだって森林を離れたとすると、その後の生活は仲間との交換機能をフルに活用し、情報をやり取りして、少しでも生存の可能性のある行動、方法を選択するしか生き残る道は有りません。冒険という意味はそこにあります。危険な冒険が知能をさらに進化させより人に近づく。その後様々分岐や交配を経て、人類と言ってよいホモ・エレクトスが登場するのだと思います。

なお、ラミダスとアファールは、進化系統的に連続しているかは、今の段階では懐疑的なようです。アファール猿人以前の足の指の変化が、高頻度の突然変異である可能性も十分あります。もし、そうならサル間闘争に加え、一時的にでも樹上に逃げることができないもっと苛烈な状況になります。

突然変異が、雌雄含む比較的多数に同時に発生する可能性もあります。いずれにしても、障害のある(木に登れない)弱サル(猿人)が、森林を離れ洞窟に隠れ住むところから、人類史が始まると言えます。

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posted by sai-yu at : 2022年04月21日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.04.19

火の使用は約80万年前。エレクトスの居たユーラシアでの発見が多い

みなさん、こんにちは。

前回(4/8)の記事では、人類が人類たる特徴について、「火の使用」を挙げました。

火は、本能で生きる動物にとっては危機=恐怖の対象ですが、人類は観念機能を使って火の奥にある法則を見出し、活用しました。

これによって、煮炊きなどの調理が可能になったこと、火を囲い暖をとること、土器などの道具をつくることが可能になりました。これまで骨髄や根っこなどで食いつないでいた人類にとって、食糧の幅が広がり、生存率は劇的に上昇したと推測されます。

集団規模が増えることによって、集団内の協力・対話・追求も増え、自然に対峙しながら徐々に脳容量を拡大させていったのでしょう。

写真は中国周口店で見つかった、火の使用の痕跡

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posted by ando-tai at : 2022年04月19日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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