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アイヌの伝統民家「チセ」から縄文の住まいを考察する

縄文時代以降も稲作を始めることなく、長く縄文気質が残っていた北海道。
続縄文・擦文・アイヌ文化と脈々と受け継がれ、明治直前まで縄文気質が残る地域もありました。

縄文時代まで遡ると“跡”しか残っていない縄文文化もアイヌ文化を通じて、確からしいものが見えてきそう。

そこで今回はアイヌ文化の家である「チセ」の特徴や作り方を見ていくことで、縄文時代の生活や竪穴式住居のつくりがどうなっていたかのヒントを探ります。

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<チセ>

■アイヌの伝統民家「チセ」

イヌの人たちの家をアイヌ語で「チセ」といいます。骨組みの木や屋根・壁など家をつくる材料は、すべて自然のものを利用しました。

たとえば、骨組みの木はハシドイやヤチダモ、壁や屋根の材料にはアシやササなどの草やキハダや樺といった木の皮などが使われていました。

チセを建てるときは、材料を採ってきて家を建てるまでコタンの人たちが協力しあいました。チセは、屋根の傾きが4方向にあり、多くは入り口のところに玄関や物置として使われた小さな部屋がついていました。大きさは20㎡から100㎡程度まで、さまざまだったようです。

 

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上から樹皮・葦・ササを用いたチセ。

写真はこちら [5]よりお借りしています。

 

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<大正時代のチセの写真>

チセの内部
このチセの内側は四角形の一間で、真ん中よりやや入り口寄りに炉があり、窓は入り口から入って正面に1ケ所と右側(または左側)に1・2ヵ所ありました。

このなかでも特に正面の窓は神様が出入りする窓といわれ、とても大切にされました。また、左奥には宝物置き場があって漆塗りの容器や刀などが飾られ、その上には家の神様が祀られていました。チセのなかでは、家族が座る場所やお客の席、寝る場所なども決まっていました。

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<平面図>

 

ポロチセは通常コタンに1軒、村長家族が住み、儀式の際の集会場にも使われる特別なチセ。内部は外から見るよりずっと広々として、天井が高く、煙を出す穴が二つ開いていて、窓は東側に一つ、南側に二つある。ふつうの家族が住むチセも構造はほぼ一緒だそう。
部屋の中央には囲炉裏があり、その周りで家族が食事や仕事をしたり、語りあったり、生活の中心となる。炉の上には干したサケやイナキビ、オントゥレプアカム(オオウバユリの根でつくった保存食)などが吊り下げてあります。写真はこちら [8]からお借りしました。

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<伝統的なアイヌの集落を再現したチセ>

かつてのチセは一年中火を焚いていたので、地面全体が温まり、冬でもそれほど寒くなかったそう。建材はすべて周囲で調達するため地域によって多少違いはあるが、壁や屋根には群生するヨシを使う。柱は腐りにくいエンジュやハシドイを使い、クギではなくブドウのツルなどで固定します。

 

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<チタラペ(花ござ)は、儀式や酒宴に使う>

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白いドーナツ型のものがオントゥレプアカム。何年間も保存でき、「食料の中心となる重要なもの」という意味のハルイッケウとも呼ばれる。フキの葉で包み、2〜3週間おいて発酵させ、カチカチになるまで干す。食べるときは砕いて粉にし、団子にします。

内臓を取った秋サケは、炉の煙でゆっくりと燻す。産卵後のホッチャレは適度に脂が抜けているため、長期間おいても脂焼けしないうえ、資源が枯渇する心配も少ないそう。

 

■チセの作り方
機械を使わず全て人力で、身近にある素材を使い作っていきます。

チセチクニパツカリ (「家の木を斗る」) の図

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トンドベレバ (「柱を割る」) の図

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トンド (「柱」) の図

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シヨベシニ (「桁」) の図

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さすの図

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ハルケ (「縄」) の図

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シリカタカル (「下の方にて造る」) の図

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トンドアシ (「柱を立てる」) の図

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リキタブニ (「天上に持揚る」) の図

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キタイマコツプ (「屋をふく」) の図

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写真はこちら [23]よりお借りしました。

 

部材を互いに寄りかかるようにして安定感をある作り方をしていくのが特徴。またポイントはまず屋根を組み上げてから、神輿のようにみなで一気に持ち上げること。
絵では簡易な足場を使っていますが、もしなくても登って屋根をふくことも可能な印象を受けます。

真ん中には柱はなく、外周部のみでうまく屋根を組むことで、建てるのが難しい中央部の柱の数を減らしているようにもみえます。

かなり原始的な作り。人力かつ身近な自然の素材を使った作り方は、縄文時代から受け継がれた作り方なのかもしれません。

チセを分析していくことで、さらに縄文の暮らし、住まいの分析を深めていきます。

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