2018.10.08
縄文体質とは何か?第5回 縄文の働き方は自然との共生
日本人はよく働きます。 しかし、いやな上司の言うことを聞かなきゃいけないし、重労働もあれば長時間労働もあり、働くことも、なかなかの苦労があるものです。もっと楽しく仕事ができたらいいなと思うのは、現代人だからで、さかのぼって縄文人はどんな思いで仕事をしていたんだろうと考えてしまいました。
第5回は縄文人の「はたらく」とは何かを扱います。
縄文人の仕事は、狩猟・採集ですが、縄文時代前期には小豆や大豆の栽培が始まり、晩期には粟・黍・稲がすでに伝来していた可能性が高いといわれています。
現代とは違って、上下関係などないフラットな集団で、誰のために働くかといえば、当然みんなの役に立つことをし、強制されることなく、自らすすんで、やりたいだけやるのが、縄文人の「はたらく」だったのです。
豊かな自然の恵みに感謝しながら、自然に逆らうことなく共生して生きてきた縄文人に、現代社会は学ぶことは多いと思います。
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2018.09.27
縄文体質とは何か?第4回 縄文の”性”を知る
第4回は”性”について触れてみます。
私有婚、一対婚に始まる「女は所有物」とした西洋の性への捉え方と総偶婚をベースにする「女は集団内での充足存在」とした日本の性は180度異なっています。
まとめを書くより先に過去の投稿群の中の言葉から縄文の性、日本人の性意識に係わるものを紹介してそれを感じとってもらいたい。
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~土偶に示されるように女性中心の文明原理に立脚していた。古代文明の多くは多かれ少れかれ母権性的であるが、とりわけ縄文時代においては、女性中心の文明原理が大きな役割を果たしたとみなされる。~
縄文時代の婚姻様式は総遇婚、近接集団との交差婚であり、集団婚であった。その後弥生時代以降も男が女集団に入る妻問い婚という形態にはなったが、ついぞ江戸時代までは女は母集団の中に残り、集団の共認充足に包まれた中で集団と女達は一生暮らすことができた。諸外国を見渡しても婚姻形態がこれほど近代まで残った国も稀有だし、一対婚がこれほど根付かなかった国もない。その意味で縄文が最も色濃く残ったのが婚姻であり、男と女であり、性充足である。それほど、日本人は性におおらかで性を心から楽しんでいた。リンク
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2018.09.27
縄文体質とは何か? 第3回 職人気質に見る追求姿勢と自然感
日本人は勤勉であると世界から賞賛される民族です。 現代の日本の製品も、丈夫で長持ちし、性能もよく精密で、今でも日本でしか作れない高度な技術も多数存在します。 建築の世界でも、カーテンウォールの歪みも一切なく、きれいに風景が写りこむ景観は他国では見られない職人技術ですし、奈良時代から続く寺社仏閣建築の巧みなディティールや大工の職人技は日本の世界に誇れる文化を伝えています。
他国の金襴豪華な美術品やシンメトリーで権威的な建物と違って、日本の芸術は素朴で、あいまいで、調和があり、まさに自然と一体となってその感覚を素直に表出しているところが特徴といえます。
こうした日本人の職人気質は、やはり縄文時代に培った自然感や集団気質に由来しています。
第3回はこの職人気質について考察していきます。
自然を征服する西洋民族と異なり、自然を敬い、自然災害の恐怖も受け入れ、自然を観察する中でその原理、性質を追求し、様々な独自の技術が開発し続けた縄文人は、まさに追及する民族であり、そのあくなき追及姿勢が、現代の職人気質の原点となっているのです。
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2018.09.13
縄文体質とは何か? 第2回 集団性(仲間意識)が作る強さ、柔軟性
先日の実現塾で人類にとって集団であるのは何の為かという事が語られた。
集団として課題に取り組む為であり、生存していく為である。そういう意味で学校集団は個人課題であり、生存していく為に必要なものではない。ゆえに擬似闘争としてのイジメやテストという個人間闘争が発生し、集団は歪んでいく。
第2回は日本人(=縄文人)の集団性(仲間意識)について書いてみたい。
縄文人は間違いなく生きていくため、課題に取り組む為に集団が存続した。
10人から50人で集団を形成し、最大500人、地域ネットワークまで考えるともっと大きな集団に統合されていた可能性もある。生産を祝い、課題共認を図る「祭り」は縄文時代に登場した日本人の集団体質の根本にあると言えるだろう。諏訪の御柱祭、青森のねぶたはそれらの源流を継いでいる。
またもう一方で集団間は近接する事で同類闘争圧力が働く。西洋ではそこから戦争を勃発させ文明という名の私権社会を築いて来た。しかし、日本には長い縄文時代に戦争の痕跡はなく、その後の日本社会においても西洋ほどの皆殺しの戦争はない。これは縄文時代に遡って同類圧力を止揚する為の仕組みである「贈与」のシステムが有効に働いていたからであると見ることもできる。
さらに日本人の集団の特徴として強力なリーダーは不在であるという事。実際にはどの集団にもリーダーはいて、指導者は存在するが、その集団の成員がある課題の元にフラットに集まり全員が役割を共有している。そういう意味では誰もがリーダーであり誰もが成員であるという集団における万能細胞という言葉が相応しい。時にスポーツなどの場合この万能細胞として適材適所で能力以上の活躍をして成果を出す事が称えられ、個人競技より団体競技において日本人の優位性が語られる場合はこの能力が他国に比べて特化しているからでもある。
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2018.09.06
縄文体質とは何か?第1回“縄文人にとって自然とは”
先週の実現塾で「縄文体質を持つ日本人が人類滅亡の危機を救う最も最先端に居る。」という認識が語られた。
これはいったいどういう事だろうか?
私たち日本人の中には平均して12%の縄文人のDNAが残っているという。~リンク
このわずか12%、されど12%もの縄文人の素養、素質が知らないうちに私たちの最も深いところで意識を作りこんでいる。
縄文体質とは何か、さっそく固定したくなった。
しかし、待てよと。これまでこの縄文ブログで散々投稿してきた内容が縄文体質ではないか?あるいはそんな深いものを一言で言ってしまえるのだろうか。言ってしまってよいのだろうか?
ただ、今回のこのシリーズではできるだけコンパクトにこの縄文体質を言い表したい。
6のキーワードを設定する。
“自然”・“職人気質”・“仲間意識”・
“はたらく”・“性”・“信仰”
できれば最後には図解のようなもので体系化を試みたい。
第1回は自然から始めたい。
今週9月4日の台風21号で25年ぶりの大風が列島を襲った。さらに大阪に限定すればおそらくここ100年にない極めて凶暴な暴風だった。車を持ち上げ、建物を破壊していく。我々はどうしたか、吹き飛ばされる恐怖を感じながらも自然の凄まじい力に只、唖然とするばかりだった。まさに自然への畏怖の念が沸き起こった。
今年は災害の当たり年で6月18日に大阪で深度6強の地震を経験し、その後も西日本豪雨、さらに今日の北海道地震とわずか2ヶ月の間に大きな自然災害を4つも経験している。いったい日本はどうなってしまうのだろうか?
しかし、この自然への恐怖、畏怖の念、そして台風が去った後の穏やかさを与える自然への感謝の念。自然には決して抗えない、生かされている意識、それらが我々日本人(かつては縄文人)の心に刻み込まれてきた。
3つの投稿を紹介。最後は西洋の近代科学の自然観で、対比しています。
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2018.08.30
天皇制の歴史~南北朝の歴史を知ることが鍵になる
平成が終わり、来年からは新たしい年号が起ちます。同時に新たな天皇を祀り上げる行事や報道がこれから年末にかけて増えていくでしょう。既に安倍首相は明確に意識した動きを示しており、薩長を表に出して露骨にアピールするパフォーマンスも現在の南朝系天皇に寄り添うよくある権力者の構造です。
これから暫くは当ブログでは天皇制とは何か、天皇制は必要か、次代の天皇のあり方とは、我が国の特異性とそれを作り上げている背後の力学、それに迫っていきたいと思います。
最初は天皇を語る上でこれまでるいネットやブログで積み上げてきた歴史認識を紹介します。天皇とは百済系で百済系は南朝。日本で天皇制を作ったのは亡国百済の再生が狙いだったのです。600年から2100年までの1500年間、脈々と歴史は続いてきました。江戸時代、その野望は潰えたかに見えたのですが明治時代に大逆転が起きたのです。そして現在、その大逆転した明治が続いている。この力学を知った海外の巨大金貸しがその構図を使って日本を間接的に支配してきました。現在その金貸しの力が風前の灯になっており、天皇制はどこへ向うのか・・・新局面を迎えています。
類ネットに天皇の登場から歴史を俯瞰した記事がありますので、まずはそれを元に関連記事をリンクさせてざっと天皇制とは何か、事実を見ていきます。
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2018.08.23
藤原・百済派と反藤原・新羅派の両建てで生き残った賀茂氏が日本の闇をつくった
表の世界で藤原氏vs蘇我氏ら反藤原氏の闘いが繰り広げられる日本の歴史にあって、一貫して、影から政権を操り、力を保持してきたのが、三輪氏と並んで出雲族の本流をなす賀茂氏である。同じく出雲→葛城系の蘇我氏が倒された乙巳の変から、壬申の乱を経て、平安京がつくられるまでの賀茂氏の動きが、それを象徴している。 賀茂一族は、この激動期を、百済派(天智・持統派)にも新羅派(天武派)にも両建てで対応し、どっちにころんでも、神官としての座を守りながら、一族の権力を保持し続けてきた。そして、最終的に、秦氏とともに、平安京建設の立役者となった。この両建て戦略で、政治の矢面に立たずに、裏から政権をコントロールするスタンスが、賀茂氏が八咫烏と言われる所以である。
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2018.08.14
明治中期の日本庶民~小泉八雲 「日本の面影」より~
小泉八雲は有名な「耳なし芳一」や「怪談」などの再話文学以外にも、パトリック・ラフカディオ・ハーンとして、日本の美しさを西洋に向けて紹介する紀行文や随筆、評論を多数遺しました。
今回ご紹介する『新編 日本の面影』は1894年に八雲が来日して最初に上梓した紀行文『知られぬ日本の面影』を小泉八雲研究を専門とする英文学者、池田雅之がまとめ直して刊行したものとなります。
著者がはじめて訪れた日本は、彼の目にどう映っていたのでしょうか。八雲作品を読む上で忘れてはならない、必読の1冊です。
小泉八雲は明治時代に島根県の松江に赴任し、1年余を過ごしました。本書に収録された紀行文はほとんどがこの期間に書かれたものであり、そこには西洋人である彼の目を通して見た明治の日本の姿が、美しく表現されています。
日本に魅せられ、日本人としてその生涯を終えた西洋生まれの作家、小泉八雲。本書は日本を愛した彼の原点というべき作品だと思います。彼によって描かれた美しい明治日本の景色に、今度は読者が魅了されてしまうに違いありません。
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2018.08.12
縄文を骨相学から語る(後半)~縄文人は存在するが、それに対応する弥生人はいない。
後半は弥生人について書かれた部分です。
弥生人と縄文人、対立する存在、対極の存在と見られがちです。教科書的には渡来系は全て弥生人、土着民が縄文人と考えられ、あたかも日本人の中に弥生系と縄文系の2種類の人種が混在しているように勘違いされがち。
事実は弥生時代の人骨データーが非常に少なく、また、少ない弥生人骨はいずれも渡来したばかりの大陸人の骨で、縄文人と混血して弥生人になる前のものであった可能性が高いというもの。弥生人とは渡来人が縄文人と混血を重ね何世代もかかって出来上がった人種で言わば日本人の総体で、弥生時代に弥生人が来て日本に広がったわけではないのだ。今回もるいネット投稿から紹介します。
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野口氏の著書「骨が語る日本人の歴史」には弥生人の事も克明に書いてある。縄文人が地域差や時代差が極めて少ないのに対して弥生人は地域差も時代さも激しい人種のミックスした総体を為すという。所謂、縄文人は存在するがそれに対応する弥生人はいないのである。
引き続き本編から紹介したい。
>前章で縄文時代の人々を語るときにたんに縄文人としたが、弥生時代の人々については、いわゆる弥生時代人との意味合いで「弥生人」としたい。もちろんわけがある。
縄文人は1万年の長きにわたったにもかかわらず、だいたいのところ、縄文人骨の顔立ちや体形は一定しており、あまりに大きな時期差は認められない。しかるに弥生時代は700年程と短いが、その遺跡で出る人骨はけっこう多様であり、地域差などの身体現象の問題を詳細に論じるのが困難になる。実際に「弥生人」はさまざま。同時代人なのに、さながら「盛り合わせ」のような人々だった。
まるで「縄文人」そのものような「弥生人」や、「縄文人」に似た「弥生人」。その一方で朝鮮半島を越えてきた人々かその係累につながるような渡来系「弥生人」もいた。また、縄文系「弥生人」と渡来系「弥生人」とがミックスしたような混血「弥生人」、次の古墳時代の墳墓から抜け出てきたような「弥生人=新弥生人」もいた。
弥生人は地域性がとても強くて、同じ地域でも前期、中期、後期で時期差が無視できない。もしも北部九州や土井が浜遺跡の人骨ではなく、たとえば西北九州や神戸新方遺跡の弥生時代人骨をなどを復顔材料に使えば「弥生人と縄文人の顔立ちは非常に違う」と信じる方々の期待は裏切られてしまうだろう。一重マブタで平耳、薄い唇に淡い皮膚色、直毛で粉耳といった「弥生人の顔」神話が生まれたのは理由がある。
実はある一部の地域を除くと弥生時代の遺跡で発見される人骨の数は驚くほど少ない。日本のどの地域でも1990年代の頃までは、ほとんど「弥生人」骨は見つかっていない。人口が希薄で遺跡が少なかったからではない。日本列島の特殊な土壌事情がゆえに、そして弥生時代の遺跡の立地条件が故に、骨類が土に帰してしまい、人骨が残らないのだ。
ともかく縄文時代の貝塚遺跡と比べて、骨の残存状態が著しく悪い。それが弥生時代の遺跡の特徴である。唯一の例外が北部九州地域と土井ケ浜遺跡などがある地域である。これらの土地、対馬海峡と朝鮮海峡にまたがる海峡地帯のあたりだけは、弥生時代人骨が例外的に多く残存する。それに保存状態にもすぐれている。1950年代の早い時期から研究者によって集中的に発掘、研究活動が進んだ為に、尋常ならざる数の弥生時代人骨が発見され蓄積されている。
2017年発見された弥生時代人の人骨(佐世保)
実際、この地域で見つかる人骨は、たしかに縄文人骨との身体的特徴の違いは目立ち、弥生時代人骨の「代表選手」「典型」のように取り扱われ、この地域で見つかる人骨こそが「弥生人」骨となり、縄文人と弥生人は大きく異なるという論法に繋がっていった。
しかし、この地域は日本列島のごく一部でしかない。そして歴史的に大陸の玄関になってきたところでもある。そういう地理的、歴史的条件を考慮するなら、この地域の人骨を日本列島全体の弥生人の骨の無作為標本と見なす事は躊躇せざるをえない。
これら、北部九州地域の骨はこれまでに発掘された弥生時代人骨の全体の80%を占有するのだ。
おそらく倭人は、縄文人が各地域でさまざまに変容した縄文系「弥生人」を基盤とした。そこに北部九州から日本海沿岸部に住み着いた渡来系「弥生人」が重なった。続いてその当たりを中心に両者が混血して生まれた混血「弥生人」が加わった。これらが混成した総体こそが「弥生人」、あるいは倭人なのである。そうだとすれば、倭人あるいは「日本人」の内訳は一方で縄文人の流れを強く受け継ぐ人々がいた。その対極に渡来人の系譜に繋がる人々がいた。やがてそれらが混血した。つまり、縄文系か弥生系かの二分論で日本人論を展開するのはいささか乱暴なのである。
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2018.08.09
縄文を骨相学から語る(前半)~縄文人は日本列島で生まれ育った
前回の記事に重ねます。
2015年10月にるいネットに掲載された記事がちょうどこの著書について書かれています。少し長いですが、この著書を読むよりはるかに短いので興味のある方はじっくり読んでみてください。
引用:リンク1.リンク2
2105年5月に刊行された片山一道氏の「骨が語る日本人の歴史」という書籍を最近購入したが、この著書は歴史学といった先入観を排除して発掘された人骨という事実情報だけを元に縄文ー弥生ー日本の歴史を紐解いている。従来の教科書的歴史が扇動的で事実は別の処にあるという論点を多分に提起しており、非常にユニークで説得力のある著書だと評価できる。
いくつかこの本に書かれている「事実」情報をるいネットにも紹介していきたい。小見出しが非常に魅力的なのでそこと併せて紹介したい。
非常に文学的な表現の中に氏が提起したい事実情報が散りばめられているので注意して読んでほしい。
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