2007.09.27

エジプト発~貴重品として世界に広まった“ネコ”

こんばんは 🙂
さーねさんの鹿に続いて、ネコの話題です
現在の家畜(~ペット)といえば、なんといっても犬や猫ですが、古代はどうだったのでしょう?
羊や犬に牛や豚などはすぐに思い浮かびますが、ではは???
なんか大して役に立ちそうにないし、食べてもまずそうだし、、、
でも、縄文にはネコの土偶?があるらしい。
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 山梨県御坂町上黒駒出土 縄文時代(中期)
うーん、これってネコに見えますか??
縄文時代から猫っていたのかな~?
ということで、ネコのルーツを探ってみました 🙂
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posted by nishipa at : 2007年09月27日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2007.09.26

アステカ、インカの悲劇は数千年も前から決まっていた?

こんばんは。ベジです。
カッピカピさんが火器についての記事を書いてくださってますが、この火器に関連してアステカ、インカの滅亡について興味深いことがわかりました。
それは・・・
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posted by jomon10 at : 2007年09月26日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2007.09.25

ビザンツ帝国が千年の長きに渡ったのは火器のおかげ?

こんばんは、カッピカピです。 
 さて、ギリシア史といえば一般に思い浮かぶのは、アテネなどの古代都市国家だと思います。しかし忘れてはならないのが、ギリシア史上古代マケドニア帝国に次ぐ国家規模に達し、千年の長きを誇ったビザンツ帝国です。ビザンツ帝国こそギリシア史の最も偉大なる時代であると、カッピカピは密かに思っています。
 そこで、ビザンツ帝国が1000年に渡って存続することが出来たある秘密兵器についてまとめてみようと思います。
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posted by hi-ro at : 2007年09月25日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.09.24

考古学の危うさ~「水野集落論」より

未分類

るいネット「縄文集落論の変遷(1)」でも扱われていますが、縄文時代の集落論の代表的研究者である水野正好氏は、祭祀・宗教の観点から縄文集落の解明を行いましたが、これは考古学会でかなり認められた学説のようです。
ちなみに、水野集落論とは
1・縄文時代、単婚的な「小家族」がすでに登場し、二軒の住居を一単位として成立していた。
2・小家族の上位に、埋葬・消費・政治の基本単位である六軒=三小群から構成される「家族」が存在していたことを指摘。
3・三小家族―六軒の住居を包摂する「家族」=「大群」は、東西の計二群存在し、両群が一体となって「部族」=「集落」構成していた。
4・集落そのものに基盤を置く「広場祭式」、集落~大群間に基盤を置く「葬送祭式」、大群~小群間に基盤を置く「石柱・石棒・土偶祭式」の三類に分類。
 

のように、全体として集落構造と宗教構造とを一体的に復元し、縄文集落の解明を試みたもの です。
sasaki-2.jpg
togariishi05.jpg togariishi03.jpg
写真はhttp://heritagetravelers.blog79.fc2.com/blog-entry-76.htmlより引用
ところが、他の考古学者からは、これは捏造ではないか? との反論も出ています。“考古学ってどんな研究や、どのようにして学説を立てているのか?”を知る上で面白い記事なので紹介します。
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posted by simasan at : 2007年09月24日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2007.09.24

中国文明:戦国時代のロックフェラー?~呂不韋

今晩は。さーねです 😀
先日、みつこさんが書かれた中国における紙幣の発展なかなか面白い記事でした
さらに引続き戦国時代に焦点を当て、その当時の社会状況を掴んでいきたいと思います。
今日は、戦国時代に暗躍し、商人として千金の富を築き、始皇帝の宰相にまで登りつめた呂不韋(リョフイ)について紹介します
W020060522554700251096.jpg
呂不韋…想像図…
中国歴史奇貨居くべしを参考にさせて頂きました 😉
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posted by sawatan at : 2007年09月24日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.09.23

西欧の対外侵略の原型 「北の十字軍」                       ~掠奪殺人正当化の論理がキリスト教によって与えられた~

近代における西欧の膨張と世界の植民地化。その先触れとなったのが、十字軍だ。十字軍は、キリスト教の聖地奪還のというお題目の背後で、殺戮・略奪が横行した。
十字軍はある意味、キリスト教徒による失地回復という論理(大儀名文)があった。東方エルサレムの奪還や西方のスペインの領土回復。
しかし、「北の十字軍」ではさらに都合よく論理を飛躍させて、侵略を開始していった。
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posted by ihiro at : 2007年09月23日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.09.22

長江文明の城壁の意味

未分類

城壁は何の為に生まれたの 🙄 ? の問いかけに、外敵から身を守る為 と答える人は多いと思うのですが、長江文明の城壁は略奪対策よりも、稲作農耕とより密接に関連していた様です。
西アジアでは、6000年前頃に略奪闘争が勃発し、5500年前頃にメソポタミア周辺の遺跡で城壁跡が見つかっています。(るいネット「5500年前ごろ、城壁が出現」より)
この略奪闘争が中国まで玉突きで広がっていったと仮定すると、中国で城塞が登場するのはその後になるはずなのですが、長江流域では6300年前の城頭山遺跡で城塞跡が発見 されています。
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城頭山遺跡想像図(安田喜憲 作成)
長江流域では、1万年以上前から稲作農耕が始まっており、6500年前ぐらいまでは、ヒプシサーマルという高温な時期で、気温は現在より2~3度高かったのが、6300年前頃に気候が一変し、突然乾燥化しはじめます。この環境変化に対し、長江流域の人々はどうしたのでしょうか?(以下、「古代日本のルーツ 長江文明の謎」(安田喜憲著)から引用)
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posted by maeyan at : 2007年09月22日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2007.09.20

小学社会に「縄文」

標題の記事は9月12日の産経新聞のコラムにかかれてありました。
何の事かわからない人の為にまずは、記憶に新しい年初の縄文ー古代ブログのカッピカピさんの記事を紹介します。

さて、去る2006年12月22日の読売新聞に
『小6教科書 縄文以前記述なし』
という見出しの記事が掲載されていたのを皆さん御存知だったでしょうか?
(中略)
現行の学習指導要領によると、日本の歴史は、小学6年生の社会科で初めて教えることになっていますが、現在の教科書には旧石器時代や縄文時代についての記述がほとんどないそうです。
教科書から縄文時代以前の記述が消えたのは、1989年の学習指導要領改訂がキッカケでした。俗にいう、ゆとりカリキュラムと呼ばれる学習指導要領です。この改正で、小6の歴史学習の最初の部分が、
「農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土統一の様子が分かること。」
と規定されました。このことから、小6の歴史では、農耕の始まりを指す「弥生時代」から教えればよいことになり、それに先立つ縄文時代以前の出来事は教えなくてもよいことになってしまったのです

それがなんと・・・・ゆとり教育の見直しがなされる中で縄文時代の記述が復活したのです。
さてその内容は・・・ 8) 知りたい人はポチッと押して進んでください。

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posted by tano at : 2007年09月20日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2007.09.19

縄文人とアイヌ人

未分類

前回、オホーツク文化についてふれました。
あまりに、大陸との近似性が強く、「アイヌ人と縄文人は、全く別の民族でないのか?」
という疑問にぶつかってしまいました。
そこで、もう一度、気候変動と人々の移動、さらには、DNA分析といった側面から、この疑問に迫ってみたいと思います。
     DNA分析による日本人形成より
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【BC20000年頃】
ほぼ日本全土がユーラシアンです。図の黄色。
旧石器人はモンゴロイドではなく、コーカソイドの祖先と同じと推定。骨の発見を期待するところです。
【BC8000頃】
BC10000頃からフィリピン~台湾~西南諸島経由で次々に渡来した南方海洋系の人々(オーシャノイド)がユーラシアンと混合北上しながら温暖適応の縄文文化(縄文人)を形成していったと推定。図の赤です。
山岳部では旧石器のまま新文化を受け入れなかった人々もいます(八ヶ岳など)。
沿岸部では南方系文化、山岳では北方系文化が濃い状況になっていたと推定。
【BC4000】
温暖化ピークの時代です。
本土のすべてが縄文化し、北海道も縄文化がはじまる
礼文島と苫小牧を季節移動していた漁労系縄文人の痕跡が発見されています。
青森の三内丸山では南海系の魚を食べており、黒潮が十勝沖まで北上していた可能性があります。
(鮭の骨の出土は少ない)
北海道内陸部では寒冷気候で旧文化がそのまま残ったと思われます。石狩平野や十勝平野でも、縄文化の度合いは東北よりずっと小さかったと思われます。
いよいよアイヌとの接点が見えてきます。
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posted by naoto at : 2007年09月19日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.09.18

縄文ー古代通信NO6(19年9月号―1周年記念号)

みなさん、当ブログは1周年を迎えました~☆ パチ パチ パチ パチ
当ブログが現在のようなかたちになったのが18年の9月です。
第一声は9月7日付けのtanoさんの投稿「略称「縄文・古代ブログ」の当面の課題について」と「縄文ブログがリニューアルしました!」です。
1周年ということもあり、当初の課題設定に対して、この1年の追求はどうだったか見てみる必要があると思います。そこで、この9月号を1周年記念号として、そのあたりにも触れながらまとめたいと思います。
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posted by kumana at : 2007年09月18日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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