2007.01.28

まずは神々の役割に序列を与えた

古代メソポタミアにおいては、近隣の国々を次から次へとその支配下に置き、被支配部族を統治 するのに信仰心を上手く利用したことが当時の神々の神話 からうかがえます。
今日はかつての神々の役割を見ながら、神々の役割づくりと、人々をどうやって序列統合していったのか、その辺の関係を見てみたいと思います。
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posted by saah at : 2007年01月28日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2007.01.27

縄文の海洋技術:自然の注視が可能にした

縄文人の海上航海の道具である丸木舟は、現在、150例以上発見されています。
 三内丸山遺跡では、縄文時代前期から中期(約5,500年前~4,000年前)の大集落跡が見つかっています。
 特に縄文時代の大集落跡からは膨大な出土物が出ているが、その中でも目を引くのが 巨大なヒスイ の珠だ。 ヒスイは青森では産出されずおよそ500kmも離れた新潟県の糸魚川周辺からはるばる運ばれてきた物だ。 黒曜石 を原料とした石器類も多数出土しているが、黒曜石もはるばる北海道から運ばれてきた。更には岩手県からは、琥珀が運ばれてきている。
 また、横須賀市平坂貝塚から出土した無文土器(平坂式土器)と同じタイプの土器が伊豆大島で住居跡とともに大量に発見されたり、横須賀市の久里浜伝福寺裏で見つかった丸木舟は一緒に紀伊半島方面の土器も見つかっています。
 これらから縄文人が海を使って広範囲で盛んに交易していたことが分かり、海人として高度な航海技術を身に付け海洋(黒潮)文化を担っていたことがわかります。
縄文人が船で沖へ乗り出し、漁を行っていた証拠も三内丸山から見つかっている。なんと1メートルもある真鯛の骨で、縄文人が沿岸ばかりでなく遥か沖合まで出向いて漁を行っていた事の証だ。もっと広範な交易活動は現在幾つかの説が発表されています。
「縄文人の大航海」 を参照して下さい。
このような広範な活動を支えた「縄文の海洋技術」はどのようなものなのでしょうか。
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posted by mukai at : 2007年01月27日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.01.27

メソポタミヤの守護神は男優位?

メソポタミアの守護神は支配者の正当化の為に作られたと同時に、その統治が男主導でなければならない事を観念的に固定しようとしているのではないか?
守護神は人格化されていて男神女神があるが、記録に残っている守護神を見ると・・・
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美の女神イナンナ(画像は南風博物館さんから引用)
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posted by nandeya at : 2007年01月27日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.01.26

縄文の祭り ~地域性と集団形態による差異~

 自然の中に生き、その恵みと厳しさの双方を知っていた縄文世界の人々にとって、村の安泰と子孫の繁栄は、自分たちの人智を超えた、切実な願望であったに違いない。彼らは、彼らを取り巻く自然界のあらゆるものに“いのち”を感じ、あるときは収穫の恵みに感謝の念を捧げ、またあるときは不順な天候の好転を願って、あらゆる場面で素朴な祈りを捧げた。このような自然崇拝は、先史時代の諸民族に普遍的な原始宗教のかたちだが、縄文人は年々の季節の移り変わりに、いのちそのものの“よみがえり”を感じ中期段階には家族共同体レベルの直接的な“まつり”と、集落共同体レベルの“祭祀” が、次第に分化していく。(http://www.netcity.or.jp/michinoku/izakaya/jyomon/j33maturinochi1.html
 縄文の“まつり”がどのように変化していったのか ??各時代の代表的な出土品、地域性を比較することで見えてくるものがありそうです。
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posted by dai1028 at : 2007年01月26日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2007.01.26

船泊縄文人の海上ネットワークは交易か?

こんにちは。
北海道は礼文島の船泊(ふなどまり)遺跡って知ってますか?
日本最北端の縄文後期の遺跡です(3800~3500年前)。
場所はココ↓
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写真は「日本人はるかな旅展」よりお借りしました。
その船泊遺跡では、イモガイ、タカラガイ、マクラガイといった九州や沖縄のように暖かい海の貝で作られた装飾品が出土しています。他にも、新潟県の糸魚川産のヒスイのペンダントなども発見されています。
写真は↓↓ キレイですね (上がマクラガイ、下がヒスイですヨ。)
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さらに、礼文島といえば周りは海。海といえば魚。彼らは魚を捕まえるための銛と、その先端につける矢じりの接着に、天然のアスファルトを使っていたようです。天然アスファルトの産地は限られており、秋田や新潟などの国内産ではなく、さらに北方のサハリン産である可能性が高いようです。
写真はコチラ↓
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船泊遺跡の人たちが船に乗って南方や新潟やサハリンへと渡ったのでしょうか? それとも南方や新潟やサハリンの人たちが渉ってきたのでしょうか?(当時サハリンにも人が住んでた???)
いずれにしても、かなり広範囲の交流があったのは間違いないですね。
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posted by nishipa at : 2007年01月26日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2007.01.25

宗教と観念支配

時代による都市や国家の支配形態を探るには、その時の宗教の変化が参考になります。宗教はそもそも、人々の行動に大きな影響を与える観念ですから、その観念を巧みに操れば、民衆を服従させることも可能になるわけです。このような観念操作はいつ頃から始まっていたのでしょう。 🙄

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posted by hiroshi at : 2007年01月25日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2007.01.24

直立二足歩行のプラスとマイナス

 どうも、こんばんは。カッピカピです。
 今日は、昨日のちわわさんの記事を受けて、類人猿の中で人類のみが獲得した「直立二足歩行」について書いてみたいと思います。
 なぜ、人類のみが「直立二足歩行」をするようになったのだろうと不思議に思う方もいると思いますが、今回はその問題の前に「直立二足歩行」の利点(プラス)と欠点(マイナス)について調べた結果を書いてみたいと思います。
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posted by hi-ro at : 2007年01月24日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2007.01.23

人類の起源を語った神話

お久しぶりの ちわわ です。
今では食物連鎖の頂点に立ち、世界で65億人にまで膨れ上がった人類ですが、人類の起源は何なのか?
古代の人達は神話でさまざまな説を語っています。
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 世界各地に、人類の起源を語った神話がある。中国の神話では、女神が泥から人間をつくったとある。最初はひとりづつ丁寧に作っていたのだが、やがて面倒になったのか、泥の中に綱をひきずって、跳ね上げた土をそのまま人間にしたのだそうだ。きちんと作ったものは富貴な人となり、いいかげんに作ったものは卑賤な人間になったという。
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 また、キリスト教徒が「旧約聖書」とよぶユダヤ教の聖典では、神が土の塵からアダムという男がつくられ、アダムの肋骨からイブとよばれる女がつくられたとある。その他、北欧神話は木から、マヤの神話はトウモロコシから人間が生まれたと語っている。
http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history01.html
 残念ながら、そのような夢とロマン(?)にあふれた神話群は、現在ではあまり面白みのない「進化論」にとってかわられ、忘れられてしまっています。人類とは猿から枝分かれした種で、生物学上は霊長目のなかのヒト科ヒト属となり、ヒト科をほかのサルたちと区別するポイントは、「直立二足歩行をする」かどうかで、脳の大きさなどは分類には関係ないそうです。
実現論では人類の起源は「樹上から落ちたカタワの猿」と定義していますが、直立2足歩行は人類にとって何故必要だったのでしょうか。

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posted by tiwawa at : 2007年01月23日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2007.01.23

北の古代史~続縄文

先日のエントリーで、tanoさんが、縄文時代の区分を紹介されていますが、北海道においては、本州の縄文時代が終わった後も、縄文時代が続いており、さらにその次に「続縄文」という時代があったようです。
実は、何を隠そう私も「続縄文」という言葉を知ったのは、つい最近のことでして、「えっ、縄文時代には続きがあったの?」と、ちょっと驚いたので、調べてみました。
まずは、北海道における時代区分。
約30,000年前~10,000年前  :旧石器文化
約10,000年前~約1,800年前 :縄文文化(早~晩期までの5期区分)
約1800年~1500年前       :続縄文文化
約1200年~600年前        :擦文文化 
約1200年~600年前        :オホーツク文化
約600年~200年前         :アイヌ文化
約200年~現在            :近・現代(和人による支配、同化政策)

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http://www.ainu-museum.or.jp/nyumon/nyumon.html
(アイヌ文化入門より)
 
 
上記年表をみると、本州が弥生に入ったあとも、しばらくは縄文時代が続いた後に、続縄文時代に入ったことがわかります。
では、縄文文化と、続縄文文化との違いはどこにあるのでしょうか。
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posted by yuyu at : 2007年01月23日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.01.22

古代市場1:貨幣(コイン)の始まり~国家(支配者)が発行した~

こんにちは、Hiroshiです。
最近縄文と文明も、縄文・メソポタミアから中国も含め範囲が広がってきましたね。
さらに深く追求するため、数回にわたって古代の市場を追求してみたいと思います。ここでは西アジアから地中海が舞台になると思います。
まずみなさんが普段使っている“お金”(貨幣、コイン)の起源から入りたいとおもいます。
お金っていつ頃なんのためにできてきたのでしょうか?

まずは、世界で最初のお金(コイン)はこれ!
C0019.jpg
[■リディア王国 1/3ステーター貨 ] ヨーロッパコインの源流さんよりお借りしました。
>ヘロドトスほか古来の伝承が伝えていることは、円型の金属片に刻印を打ったコインの発明はリュディアのギュゲス王の仕事であったということである。彼は紀元前670年に金73%、銀27%の合金であるエレクトロンのコインを作成したのである。(『文明の「血液」』)
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posted by ihiro at : 2007年01月22日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

 
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