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直立二足歩行のプラスとマイナス

 どうも、こんばんは。カッピカピです。
 今日は、昨日のちわわさんの記事を受けて、類人猿の中で人類のみが獲得した「直立二足歩行」について書いてみたいと思います。
 なぜ、人類のみが「直立二足歩行」をするようになったのだろうと不思議に思う方もいると思いますが、今回はその問題の前に「直立二足歩行」の利点(プラス)と欠点(マイナス)について調べた結果を書いてみたいと思います。
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 直立二足歩行に慣れきってしまった僕達にすれば、四つ足で這い回るという状態は不便以外の何ものでもありません。なので、直立二足歩行の欠点は?と聞かれても、なかなか思い浮かびませんよね。
しかし、人類とは何かを考える~直立二足歩行のプラスとマイナス~ [3]によれば、次のような欠点があるようです。

・子孫を残すという生物最大の仕事において、難産という大きな課題を持つことに至った。(これは、4足歩行時代は内臓の重みを腹筋が支えていたのを、骨盤が支えるようになったため、左右に開いていた骨盤が閉じてしまったためです。)
・背骨の病気、腰の病気、胃下垂その他もろもろの人類特有の病を持つに至った。(これはもちろん、頭からの重量が、すべて背骨と腰にかかってしまうからです。膝の痛みというのも、人類特有のもです。)
お産や腰痛といえば、ごく日常的に我々が意識しているもの。
 人類の祖先の変なサルたちは、直立二足歩行によってプラスを手にしたのですが、そのために払ったマイナスも大きかったのです。

 2つ目はともかくとして、1つ目の欠点は、下手をすれば、絶滅しかねない自然圧力が存在する中では、致命的な欠点ではないかと思うのは僕だけでしょうか。この状況下で、あえて難産を伴う直立二足歩行に挑んでいった人類の真意とは何か。
そのヒントはやはり、人類が手に入れた、お互いの気持ちに同化・共感し、期待⇔応望の関係から得られる充足を最大の活力源とする共認機能にあるのではないだろうか。(詳しくは、実現論 [4]参照)
 これを裏付ける「直立二足歩行」のプラスとマイナスがこのHPに紹介されてるので以下に引用します。

直立の結果ゆえのプラスとマイナスのことで、医学の専門分野に関する興味深い話があります。
それは、音声の発生という分野です。
 人間は立つことによって、のどの奥の空間を広げることができました。右図上の緑の部分、咽頭腔(いんとうくう、つまり、のどの奥の空間)を広げることができたのです。この結果、サルにはできない音が出せるようになりました。つまり、声帯から出す振動に、咽頭腔を共鳴させたり、舌を動かしたりする加工を施すことによって、豊かな母音や音節を区切った音を出せるようになったのです。
 人の赤ちゃんは、まだこの空間が発達していませんから、物理的にも生まれたての頃は、おしゃべりはできないのです。
 
 ではこのことマイナス面は何でしょう。
 2000年の1年間で、日本全国でのどに食べ物を詰まらせて窒息死した人は、何と、約4000人もいます。交通事故の死者数の約半分が、食べ物が詰まってなくなっています。もちろんその多くは老人です。
 この事故の原因は、哺乳類ののどの複雑な構造にあります。
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 上図でわかるように、ほ乳類ののどは二つの機能が交錯しています。
鼻腔→喉頭(いんとう)→気道→肺  空気の道
口→咽頭(こうとう)→食道→胃   食物の道
 気道が前面にあるため、この二つの道がのどの奥で、交差しているのです。このため、食物が気道に混入するという事故が発生します。これを防ぐため、ほ乳類は食べる時には大脳が反射的に働いて、気道の蓋を閉めるという手段進化させました。その蓋が喉頭蓋(こうとうがい)です。
 老人になると、この機能が低下し、食物を気道に詰まらせてしまうのです。
 同じほ乳類でも、4足歩行の動物は、この危険が少ないのです。右図下は、チンパンジーののどを示していますが、気道の入り口、喉頭蓋が人間に比べて非常に高い位置にあるため、鼻腔から気道への通路の確保が簡単です。
 実は人間の赤ちゃんの場合も、同じような構造を持っているため、お母さんの乳を飲みながら、気道を確保しつつ、鼻で息ができます。その時、お乳は、喉頭蓋の脇から食道に入っていくのです。なかなか優れものの構造です。
 ※『朝日新聞』2001年10月24日夕刊
 
 つまり、人間は、直立することによって、のどに食物が詰まるというマイナスと引き替えに、細やかな言語を話すというプラスを手に入れたわけです。これは大きなプラスですね。

 お互いの表情が良く見えるように、お互いの声で言葉以上の想いを伝えるために、人類は直立二足歩行へと可能性収束したのではないでしょうか。

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