2007.02.22

寒冷化により、まず穀物栽培に転換した

こんばんは。
『縄文晩期の気候変動が農耕につながった?』と、以前tanoさんの投稿にありましたが、今日は「生業からみた縄文から弥生」さんの論文から検証してみたいと思います。
さーねさんが前に、堅果類食糧について書かれていますが、縄文から弥生にかけての生業類型は概ね、
狩猟傾斜型→植物採集傾斜型→植物採集+雑・穀物栽培型→水稲栽培型(農耕)へと推移していきます。
ここで用語の定義ですが、
栽培とは、植物の生殖を管理すること。
農耕とは、デンプンの供給源としてのメジャーフードとなりうる栽培型植物の栽培を指す。
採集、栽培、農耕は明確に異なることが分かりますね。
さてどのように、採集→栽培→農耕へと推移していったか見ていきましょう。
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posted by nishipa at : 2007年02月22日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.02.21

貨幣もバイリンガル?!

こんばんは  みつこ 😀 です。
さーねさんの記事『殷(商)王朝~貝貨という幻想』とても興味深かったです。
で、貨幣についてあれこれネットサーフィンしていたら、同じ参考HP で面白い記事を発見しました!
先日のなんでや劇場で「王様交易(大遠征交易)」と名づけられた、古代交易の代表格シルクロードにまつわる貨幣です!
シルクロードのどのあたりかって言いますと、、、、
このあたり
E06map05.jpg
どんな貨幣~ って思った方はポチっと応援の後、読んでね。
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posted by mituko at : 2007年02月21日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2007.02.18

古代中国:祖先信仰による支配体制

弥生時代には祖先(祖霊)信仰が、日本にも来ていたのですね。
では、本場中国の祖先信仰と、支配体制の関係はどうなっていたのでしょうか?
古代中国では、殷や周の王が土地支配の拠点として都市国家をどんどん作り、そこへ諸侯や身内を派遣して支配していましたが、彼らを秩序化していたのが祖先信仰(宗法)だったようです。
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posted by ihiro at : 2007年02月18日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.02.17

中国文明:殷(商)王朝~貝貨という幻想

今晩は さーねです 😉
前回のなんでや劇場~市場の起源~から、市場の前提である幻想共認を追ってみたいと思います
その中で注目したのが、中国文明最古の貨幣と言われる「貝貨」です
殷(商)王朝の支配構造から考えると、中国において、市場の元となる幻想の起源が、貴重品とされたこの「貝貨」であったのではないか
最古の貨幣は実は…幻想そのものだった
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kaika.jpg
殷(商)王朝の貝貨
世界最古の貨幣~貝貨

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posted by sawatan at : 2007年02月17日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2007.02.14

環壕はなぜ忽然と姿を消したのか?

弥生時代の人々の意識を解明する上で、「環壕」が忽然と消え去ってしまった原因をおさえておく必要があると思います。
今回は、「環壕の起源」「環壕を普及化したのは誰か?」「環壕の目的」を、
邪馬台国の道から紹介したいと思います。
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高島 日本最大の環壕集落として知られる吉野ケ里遺跡は紀元前3、4世紀から紀元3世紀までの約700年間、継続的に存在した。その初期の環壕が遺跡南側で確認されているが、形状はどうも韓半島にも類例がある楕(だ)円形のようだ。
 韓半島における環壕集落の成立は吉野ケ里遺跡より古く、その後、日本でいう弥生後期まで続いている。
韓国南岸には多くの環壕集落が確認されており、その中に環壕の形状が楕円形もある。南山(ナムサン)遺跡などがそうで、吉野ケ里遺跡のように大きくはないが、成立年代も同じとみている。形状や成立年代など類似点は多く、日本の環壕集落の起源は韓半島の可能性が高い。
西谷 関係の深さを感じさせる遺物も多い。福岡市の板付遺跡に代表される弥生時代初期の環壕集落から出土する磨製石器と同じ形式のものが検丹里(コムタンリ)環壕集落で確認されている。磨製石器のほかにも韓半島に源流を持つ支石墓が吉野ケ里遺跡の近くにある。環壕だけでなく付随する遺物や遺構までそっくりだ。やはりルーツは韓国と考えたほうが自然だろう。
引き続き、「環壕を普及化したのは誰か?」「環壕の目的」を紹介します。
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posted by naoto at : 2007年02月14日 | コメント (5件) | トラックバック (1) List  

2007.02.14

弥生時代のクニの形成過程

おはようございます、tanoです。久しぶりに弥生に戻ってまいりました。
今日は弥生時代のクニの形成について考えてみたいと思います。
弥生時代は縄文晩期に渡来した中国・朝鮮系渡来人によって作られました。
弥生時代の特徴は集団規模の拡大と階層化の登場です。
弥生ミュージアムではクニの形成を以下の4段階に分けています
■第一段階 農業開始期
■第二段階 クニの成立期
■第三段階 クニの相互期
■第四段階 クニの連合期

【この4つの段階は大きくは以下のようになります。】
渡来人の定住・農耕の開始

人口の増加=集団規模の拡大

環濠集落の成立

中核的環濠集落の成立

中核的環濠集落の中身の拡充

環濠集落の消滅

古墳の登場
???なぜ集落が消滅したのでしょう?
これには祖霊信仰と武器の祭器化が絡んできます。 🙄
上記を流れを詳しく図解化風に書いてみました。
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posted by tano at : 2007年02月14日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2007.02.13

弥生時代に持ち込まれた祖霊信仰

こんばんは~ 最近信仰ってなんだろう~?と追求中のbunchanです
ひとことで「信仰」といっても、いろんな信仰があります。
始源人類の最初の信仰は、「精霊信仰」でした。
精霊信仰とは、万物の背後に霊を見るというもの。あらゆる自然を注視し、それは観念機能の獲得にもつながっていくものでした。縄文人もこの精霊信仰をしていたと思われます。縄文から弥生に時代が移ったとき、弥生時代にもたらされたのが「祖霊信仰」でした。もともとは皆同じように墓に葬られていたのですが、特定の人の墓に特別な副葬品(銅鏡など)を一緒に埋葬したりやがてはその特定の人の祭祀を行ったりして先祖を祭るようになっていきました。
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福岡県須玖岡本遺跡出土の前漢鏡(草葉文鏡)のレプリカ「弥生ミュージアム」 さんよりおりしています。
「祖霊信仰」ってなに?どこからきたの?
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posted by bunchan at : 2007年02月13日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2007.02.09

縄文:東西-堅果類食料の違い~生活様式の違い

今晩は。さーねです 😉
今日は、『生業からみた縄文から弥生』の中で、堅果類食料の違いから東西の生活様式の違いを解明していきたいと思います
まずは、堅果類食料の種類と分布をおおまかにまとめてみました。
(詳しくは、『生業からみた縄文から弥生』を参考に)
照葉樹林アカガシ・アラカシ水さらし),シイノキ処理不要
⇒西日本では、メジャーフード。縄文中後期の関東には存在したが、中部・東北には分布していなかった。
落葉樹林クリ・オニグルミ(処理不要),クヌギ(水さらし),ミズナラ・コナラ・トチノキ水さらし+加熱
⇒ほぼ列島全域に分布。(北海道を除く)
※『生業からみた縄文から弥生』の2 植物質食糧の種類より
※食べるために、”何も処理不要”・”水さらし”・”加熱(=アク抜き)”に分けています。
>・西日本の照葉樹林帯でも落葉性のコナラ・ミズナラ・クリ・クヌギを利用できる環境にあったことがわかるのである。
>・東日本の海岸部も照葉性のカシ・シイ類を利用できる環境にあったのである。
概ね、東西分布の違いはあったものの、上記に挙げた堅果類食料を採取する状況にはあった。ただし、標高が高く他地域に比較して寒い中部・東北のみ限られていたという状況です。
では、なぜ東西の生活様式に違いが出たのか 😮
ポチっと押してから
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posted by sawatan at : 2007年02月09日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2007.02.08

神の位置づけと統治の方法はどんな関係があるのか

周辺諸国を征服し従えていった王が、その行為の正当化の為に上手く神の存在を利用した様子が前回までのレポートで伺えましたが、今日は神格化した王と、統治の関係がその後どうなっていったのかを調べてみました。

王=神
にまでなり、絶対的権力を手にした王は、その後支配下の国の民をどのように統治していったのでしょう?
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posted by saah at : 2007年02月08日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.02.06

「贈り物」の起源?!アカに見る食料分配

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一日平均2~5時間で食料を確保することができ、農耕をしないのか?との質問に「ふんだんにモンゴンゴの実 があるのに、何でわざわざ作物 を植えたりしなければいかんのかね」と語ったという狩猟採取民。あとの時間は、歌 や踊り など余暇?を過ごしていたりするそうです。
                       
う~ん、うらやましいような。。。
でもでも、それで集団が統合できたの ってずーっと疑問だった、みつこ 😀 です。
                   
外圧が低下した狩猟採集民がどのように集団を統合していたか?
その社会システムがわかる研究を見つけましたので、報告しまーす!
山口大学の北西功一氏のHPより「中央アフリカの熱帯雨林に住む狩猟採集民アカ」についての記事から引用させてもらいました。とても詳しくて嬉しくなりました~
注目したのは、彼らの「食料分配」
彼らは獲得した食料を成員に平等に(?)分配しているのですが、、。
さて、いかに?
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posted by mituko at : 2007年02月06日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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