2007.03.18

ヨーロッパの基層:ヴァイキング=海賊が支配層を形成した

ヨーロッパが周辺国や、未開世界から掠奪して、富の蓄積や市場拡大を
繰り返していく原点は、どうもヴァイキングではないかと考えられる。
ヴァイキング以降のヨーロッパ侵略史を概観すると、
・9c~10c:ヴァイキング
       → ヨーロッパ各地で掠奪と王朝形成 
          →ビザンツ、イスラム交易でイスラム銀貨獲得
・11c~13c:十字軍  
       → イスラム、ビザンツ侵略
          →北イタリアの諸都市に富(原資)集積 
            →ルネッサンス
・14c~17c:大航海時代
       →世界侵略→絶対主義王政
               
vijual_viking.jpg
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posted by ihiro at : 2007年03月18日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.03.17

中国針灸の歴史

 中国針灸の歴史はどんなものであったのでしょうか。
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西洋医学は(科学としての医学 )です。これに対して鍼灸医学は自然の医学 と言われています。厳しい自然の中で病気と戦って得た経験、膨大な臨床数に基ずく結果の集大成なのです。鍼灸について初めて記載されたのはいまから約2000年前です。 鍼灸治療の経験はそれより数千年はさかのぼると言われています。中国文明の発祥地である黄河で生まれました。
なんと最初は竹や石器などを使用していたそうです。
そして金属が発明されて金属の鍼を使うようになりました。
 古代中国人の様子を具体的にイメージしてみましょう。外傷を受けたり、痛みを覚え本能的にその部位に手を当てたり、圧したり揉んだり、あるいはなめたり、さらには泥をぬったり、木の葉を張ったりしたと思われます。やがて文明が進歩し、火を利用し、磨製石器を使用するようになりました。鉄器が発達するようになると金属製の針が治療に応用されることになりました。こうして時間の経過と工夫とで、共にそれらの経験が集積されていったと考えらます。
  😮 イメージしてみると本当に自然の中で生まれてきた治療法だと理解できますね。
小澤
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posted by norio at : 2007年03月17日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2007.03.17

商業の発展により、身分制度(士農工商)が強化された

こんばんはetoです。少し間が空きましたね(
暖かくなってきたことだし、がんばっていきましょう
今日は、中国の勉強をしました。
「士農工商」といえば、江戸時代の身分制で有名ですね。
でもその起源は古く、中国の春秋戦国時代(BC500年頃)にあります。
どのようにして身分制ができたのでしょう?
>中国では伝統的に土地に基づかず利の集中をはかる「商・工」よりも土地に根ざし穀物を生み出す「農」を重視されてきた。商人や職人に自由に利潤追求を許せば、その経済力によって支配階級が脅かされ、農民が重労働である農業を嫌って商工に転身する事により穀物の生産が減少して飢饉が発生し、ひいては社会秩序が崩壊すると考えたのである。これを理論化したのが、孔子の儒教である。(ウィキペディア
時代を追って見ていくと、
●周時代の様子をmaeyanさんが以下のように書かれています。
>この貴族制の確立に伴い、貴族は王族を凌ぐ勢力 を持ち始めます。
>土地経済の発展は、地方豪族の勢力を拡大させ、中央支配の力を弱めていきます。
土地経済の発展により、地方豪族が力を持ち始め、一方で中央支配の力が弱まり、王族は支配の危機感が増大していることが伺えます。
続いて、春秋戦国~漢までの様子を見ていきましょう。
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posted by nishipa at : 2007年03月17日 | コメント (8件) | トラックバック (0) List  

2007.03.08

馬家畜化の発展には草原が適していた

😀 こんばんわ。tanoです。
馬の話しになっていますので以前調べた馬の投稿を紹介します。
中央アジアの冶金交易になくてはならないものが運送手段である。すでに同時期、馬の利用が始まっていた事を著書「中央ユーラシアの考古学」では解説している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中央ユーラシアにはじまって世界史に大きな影響を与えたことのひとつは、馬利用の開始とその伝播の問題である。これには馬の肉、皮、毛、骨、乳利用もあるけど大きなことは人間に労働力を提供する役畜としてである。役畜としての馬は大きく言えば騎馬、牽引、駄載の3つの形態がある。馬の背は歴史を作った。
現在わかっていて、今後も訂正しないであろう事実の大筋は以下の3点である。
1.馬の家畜化時期は羊、牛、山羊より遅い
2.馬家畜化の場所は中央ユーラシア草原地帯である。
3.馬のユーラシア全域への伝播は大きく関係したのは騎馬ではなく、車輪ー馬車の牽引であるらしい。馬車の普及は前2千年半ば頃であり、騎馬の普及はすこし後であろう。

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馬の家畜化はまだはっきりしていない。現在家畜馬の先祖種はおおまかには元々アルプス~カフカス~パミュールの北方に棲息した動物であって、ここを舞台に家畜化されたものには違いない。
家畜馬の先祖についてはタルパン馬とモウコノウマの2種が長らく議論の中心であるが決定打はない。
%E3%83%A2%E3%82%A6%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%82%A6%E3%83%9E.bmp←モウコノウマの写真です。

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posted by tano at : 2007年03月08日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.03.07

騎乗技術が遊牧民族を巨大な軍事国家へと後押しした?

こんにちは、カッピカピです。
 昨日のちわわさんの記事を受けて、遊牧民族と馬の関係について少し調べてみました。
 馬が家畜化されたのは、紀元前3000年~4000年頃と言われており、現存する家畜の中で、家畜化が最も遅かったそうです。
 馬の人類への貢献度としてもっとも大きな比重を占めるのは、この動物の労働としての有用性の高さだと言われています。
 すなわち・・・
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posted by hi-ro at : 2007年03月07日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2007.03.07

女性はなぜ装飾品が好きなの?

>しかし、生産力が発達して、さらに様々な生産物に余剰が生じてくると、首長や王、神殿などが余剰生産物の一部あるいは全部を占有するようになる。その結果、共同体の交易は次第に首長や王が取り仕切る交易となる。それは、共同体全体の必需品ばかりでなく、首長や王が必要とする奢侈品の調達が目指される。<古代海上貿易の形態 http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page012.html
古代史の交易を見てみると必需品に対する余力が生じると奢侈品の交易も盛んになってきます。そのほとんどが女性の為の宝石のような装飾品だったようですが、そもそもなぜ女性は装飾品が好きなのでしょうか
以前心理学本に次のような内容が書かれていました。
>第1印象は男女共に5秒で決まる。しかし、その間に平均22.5回も目を動かし男性の特徴をくまなく観察できる女性に対し、男性はその半分の12.8回とおよそ半分。つまり、観察力が劣っている男性は宝石のような目立つものについ目がいってしまい、宝石を身に付けた女性自身を魅力的と感じ、惹きつけられてしまう。つまり、女性は “魅力的な男性を惹き付け優れた子孫を残すために本能的に宝石を身に付けていた<

…孔雀の羽と同じってこと…

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posted by taka-atu at : 2007年03月07日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2007.03.06

馬が強大な軍事国家を作り出した。

こんにちわちわわです。
狩猟・採集で犬が活躍したように、家畜の歴史は人間と深い関わりを持ちます。では、馬は人間とどのように関わってきたのでしょうか。
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posted by tiwawa at : 2007年03月06日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.03.04

古代中国:神聖政治から王による政治支配へ

中国の古代王朝は、伝説の夏王朝から、商(殷)、周へと移行していく中で、その政治スタイルも変貌をとげていきます。以下、「中国奇貨居くべし」(http://www.h3.dion.ne.jp/~china/)から、紹介していきます。
大きな流れは、古代的な神聖政治から、王 による政治的支配への転換です。
商王朝では諸氏族の勢力を力の背景としており、政治的な秩序は確立されていなかった為、それそれの氏族が行っていた祭祀を、王が独占して行うことで、政治力を行使していた様です。
従って、王朝の神聖性の確立と維持が、政権の最重要事項となっていたのです。(=神聖政治)
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posted by maeyan at : 2007年03月04日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2007.02.28

弥生期の人口増は大量渡来か、それとも稲作化によるものか?

こんにちは、simasannです。
弥生から古墳時代にかけて、下表のように急激に人口が増えていったことは、ご存知の方も多いと思います。
suii%5B1%5D.jpg
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/hito.htmより引用
これについては、このブログでも以前tanoさんが投稿している、 「二重構造モデル」を提唱する埴原和郎さんの①「100万人規模の大量の渡来人によるもの」とする説と、
九州大学大学院の中橋孝博教授と九州歯科大学の飯塚勝助教授らが提唱する②「少数の渡来人による水稲耕作化と長寿命化によるもの」の2つの説があります。
考古学では「少数渡来」、人類学では「大量渡来」というように、現在もなお論争が続いています。
それぞれの主張は、そして、どっちがホント?、知りたいと思った方は、ポチッとお願いします。
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posted by simasan at : 2007年02月28日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2007.02.27

弥生時代の海上交通事情

こんばんは~bunchanです 😛
弥生時代の仕事といえば稲作。でも稲作だけが生業ではなかったのです。大陸との交易も行っていたんですよ~。
縄文時代の複数の遺跡からは丸木船が発掘されています。
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丸木船:画像は「弥生ミュージアム」さんからお借りしました
弥生時代の人々は、近隣地域を行き来するための川や沼、湖などの運行には縄文時代以来の丸木舟を、遠方への航海には弥生時代に登場した準構造船を利用していたものと思われます。
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準構造船:画像は「弥生ミュージアム」さんからお借りしました
この準構造船を使って弥生時代の人は大陸へ航海していたのです。
確かに縄文時代の丸木船にくらべて作りもしっかりしていますよね
が、しかし、この航海はかなりたいへんなものでした・・・
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posted by bunchan at : 2007年02月27日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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