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商業の発展により、身分制度(士農工商)が強化された

こんばんはetoです。少し間が空きましたね(
暖かくなってきたことだし、がんばっていきましょう
今日は、中国の勉強をしました。
「士農工商」といえば、江戸時代の身分制で有名ですね。
でもその起源は古く、中国の春秋戦国時代(BC500年頃)にあります。
どのようにして身分制ができたのでしょう?
>中国では伝統的に土地に基づかず利の集中をはかる「商・工」よりも土地に根ざし穀物を生み出す「農」を重視されてきた。商人や職人に自由に利潤追求を許せば、その経済力によって支配階級が脅かされ、農民が重労働である農業を嫌って商工に転身する事により穀物の生産が減少して飢饉が発生し、ひいては社会秩序が崩壊すると考えたのである。これを理論化したのが、孔子の儒教である。(ウィキペディア [1]
時代を追って見ていくと、
●周時代の様子をmaeyan [2]さんが以下のように書かれています。
>この貴族制の確立に伴い、貴族は王族を凌ぐ勢力 を持ち始めます。
>土地経済の発展は、地方豪族の勢力を拡大させ、中央支配の力を弱めていきます。
土地経済の発展により、地方豪族が力を持ち始め、一方で中央支配の力が弱まり、王族は支配の危機感が増大していることが伺えます。
続いて、春秋戦国~漢までの様子を見ていきましょう。
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「文明の周縁」 [5]さんより紹介します。
●春秋戦国時代は、
>紀元前400年頃にはじまつた製鉄技術によって、各地で山林藪沢の開拓と囲い込みが行われ、灌漑農耕が展開されるとともに、小型の宗族組織としての家父長制家族が誕生し、そうした家父長制家族を基盤に鉱山資源や玉石財宝を獲得した諸侯が乱立してきたのである
>諸侯国の支配領域では、鉄製農具によって農業生産が高まると同時に地場の手工業も盛んになり、商業活動は地域の境界を越えて広がった。楚・呉・蜀の冶鉄業、斉・燕・晋の製塩業、斉・魯・周の紡績業などはその代表的なものだった。 また国家や豪商の手によつて、刀銭・布銭などの貨幣が鋳造され、諸候国はいかにして商業の利得を獲得して、国家を富強に導くかを競った。
>こうした豪商の活動を抑制するために、商業の国家規制もはかられ、「重農抑商」の措置がとられるようになったが、当時においては商業活動は比較的に自由であった。

●秦の時代になると、商鞅が法治主義を徹底して改革を断行していますが、
B.C.359年の「第一次変法」(法律の改正)では、重農抑商主義として、男子は耕作、女子は紡織すること(農業)を本業とし、商業をする者には奴役をあてることと定めています。(「中国歴史奇貨居くべし [6]」さんより)
●続いて漢の時代になると、
>国内においては秦の軍功爵制を新しい国家的身分制度(漢二十等爵制)に改め、皇帝権力を村落末端の小農民にまで貫徹させ、上は国家の官僚から下は一人の農民にいたるまで、それぞれに身分に応じた爵位を与え、爵位によって土地の保有を許可し、その反面で土地を持たない商人や小作人には爵位が与えられず、土地の保有を許されなかった。
>その結果、春秋戦国期に盛んになってきた商工業は厳重な国家管理のもとにおかれただけでなく、漢の武帝は儒教を国教化し、春秋戦国期以来新たな展開をみせてきた家父長制集団を、国家の手によって官僚-豪族-地主-小農民-小作人の秩序に仕立て上げていったのである。

以上からまとめてみると、
武力支配
    ↓
 支配者の世襲制(生涯固定の身分制度) 
    ↓ 
身分制度・序列(武力支配)からの抜け道として市場(交換取引)が生み出されるいネット [7]
    ↓
 商工業の発展
    ↓
 地方豪商の力が増大→国家支配の危機
    ↓
「重農抑商」政策による商業の国家規制
    +
 儒教(孔子)による理論化
    ↓
身分制度の確立
武力支配からの抜け道として生まれた商業ゆえに、放置すると支配体制自体が脅かされることから(加えて、支配者の富の集中を守るために)、商業を国家管理し、そのために身分制が必要だったという事でしょうか。

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