2007.04.09

縄文ー古代通信 NO1(19年4月号)

今月から縄文ー古代通信を始めます。 😀
毎月のコラムの流れを掴むのと今、最もホットな話題をお届けします。
また、みなさんの投稿の中でちょっと面白そうとか、もっと調べてみたいナーというものも紹介してみたいと思います。初回は管理人のtanoにてご案内します。
2月~4月で展開されているテーマの紹介
■馬のお話
■文字・言語のお話
■弥生時代の身分制度とはいかなるものか?
■遊牧と飢餓の歴史

それ以外にも小ネタとして面白い記事があります。
女性はなぜ装飾品が好きなの?
中国針灸の歴史
神様にも人気、不人気があった。
それにしてもなぜ女性は電化製品には興味がなく、バッグや洋服や靴や装飾品が好きなんでしょうね? (妻にいつも貢いでいる私の実感です)
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さてそれではホットな話題アーカイブです。お時間のある方は連続して読んで下さい。

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posted by tano at : 2007年04月09日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.04.07

飢饉に際して、座して死を待つか、家族を食べるか

😀 くまなです。
これまで遊牧民が、飢饉に際してどう行動するかを紹介しました。
では、日本人は飢饉に際してどう行動したのでしょうか?
こんな美談が残っています。
ときは享保17年(1732年)、ウンカが中国・四国地方と、九州一帯に大量発生し、大飢饉を引き起こした、享保の飢饉。『徳川実紀』によると「すべて山陽、西国、四国等にて餓死するもの96万9千人」(日本災害史)と伝えています。
美談の主人公は 作兵衛
083-2.jpg

この飢饉による驚嘆な食糧欠乏のなかで、愛媛の伊予国松山藩筒井村の百姓・作兵衛は、麦の種を一斗貯えていた。しかし彼は、毎日の食物が尽きてからも、この麦の種を食べようとはしなかった。そのため、まず作兵衛の父と長男とが餓死し、作兵衛自身もまさに餓死しようとしていた。
人々はみな、作兵衛がこの麦種を食べて、‘餓死’の危機を免れるよう、口をそえて作兵衛にすすめた。しかし作兵衛は、このみなのすすめを聞きいれないで言うには、
「穀物の種子をまいて収穫を得て、税として納めるのは農民の務めです。収穫した作物を国に納めるから国の人々は生活ができるのです。だから穀物の種子は、自分の命以上に貴重なものなのです。
農民は国の基本で、種子は農業の基本です。今もしも、私がこの種麦(たねむぎ)を食べて数日の命をつないだとしても、来年の種麦をどこから得ることができるでしょう。
たとえ私が飢えで死んだとしても、この種麦によって何万という命を救うことになれば、もとより私の願うところです」といって、麦袋を枕としたまま餓死した。
だがこのため、一郡の人々は、後にこの麦の‘種’を畑に蒔くことができて、生命を完うすることができた。

(中島陽一郎「飢餓日本史」、伝えたいふるさとの100話「穀物の種は命より大切」より)
いかにも日本人らしいお話しですね。
ただ飢饉は、そんな美談だけでは語れません。
飢えて食べ物がなくなれば、場合によっては、家族を食べます。

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posted by kumana at : 2007年04月07日 | コメント (5件) | トラックバック (0) List  

2007.04.06

日本語はもっとも自然に近い発音を持つ言語

日本語がなぜ難しいのか?なぜ日本人は漢字をカナに変えて理解しようとしたのか・・・。
そのヒントを見つけました。耳鼻科医師の角田忠信『日本人の脳』の中に書かれています。

日本人は音の処理を、西欧人を始め、他の民族とは全く異なる音声処理を行っている。
虫の声・せせらぎ・潮騒(しおざい)・雨音などを、ほとんどの民族が右脳で雑音として処理するものを、日本人は左脳でそれぞれの音や声として処理しているというのだ。
日本語に多い「擬態語・擬音語」は、自然の音や、音を持たない動作などを独特の音として表現するものだが、それは「日本語がもっとも自然に近い発音を持つ言語だからだ」

右脳は感性を左脳は理性を支配すると言われている。そして人は、言葉の中で、必要に応じて右脳と左脳を使い分けているのだという。角田が謂う日本人とそれ以外の民族との差異はかくも大きい。
我々の先祖は、古来よりの言語を継続して使い続けてきた。この事実は、逆に弥生の民がいつしか縄文の民に吸収され同化していったことを示している。そして時代に即応して変化を続けながらも、今に至っても他国とは全く異質な、自然に同化した言語を使い続けていることがはっきりしてきた

角田氏の衝撃的な分析はストンと納得がいく。なぜ縄文人が弥生文化に支配されなかったのかの重要なヒントにもなる。以下、中村忠之先生の縄文ブログで扱っていた全文を紹介します。
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posted by tano at : 2007年04月06日 | コメント (9件) | トラックバック (0) List  

2007.04.05

飢饉に見舞われた遊牧民の例

😀 くまなです。
前回は、神だのみも、王への支援要請も叶わなかった遊牧民が決死航→死にもの狂いの戦い、あるいは都市定住、離散→夜盗化へと踏み出すことを紹介しました。今回は、そのような部族の実例を紹介します。
ところで、アラビア半島はそもそも乾燥している地域です。
旱魃っていったいどのぐらいの頻度で起こっていたのでしょうか?
参考になるデータがあります。
表 近世以降のアラビア半島の主な旱魃と飢饉
kanbatu.bmp
(出典:丸井英二編「飢餓」-堀内勝「牧畜民の飢餓観」より)
近世以降では、10~20年に一度は旱魃→飢饉に見舞われていたようです。
人生のうち何度も飢饉→餓死の恐怖に見舞われるわけですから、過酷な外圧状況だといっていいでしょう。
さらに、その状況では、一帯の部族が決死航を開始するわけですから、自然外圧だけでなく、部族同士の同類圧力も凄まじいはずです。まさに死にもの狂いの戦いです。
その具体事例を見てみましょう。

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posted by kumana at : 2007年04月05日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2007.04.05

メソポタミアの美術から類推できること

美術の変遷はそのときの時代状況を類推する助けになります。今日は、メソポタミアの美術を手がかりに、時代状況を探ってみます。素材はまたまたお世話になっている「南風博物館」より引用させていただいています。続きをはこちら 😀  Byヒロシ
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posted by hiroshi at : 2007年04月05日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2007.04.04

遊牧民は飢饉で決死航、一部は夜盗化あるいは都市定住

😀 くまなです。
前回は、アラブの遊牧民が、旱魃→飢饉に際して、神だのみがダメな場合、王への支援要請をすることを紹介しました。
それもダメならどうしたのでしょうか。
舞台は、↓アラビア半島です。
saudi_arabia_map.gif

旱魃があまりに激しかったり、長期間に及ぶと、ただでさえ可住地ではない砂漠の遊牧民は、移動を開始する。この移動はいつもの定まった移動とは異なる。
なぜなら、自部族の領域には家畜はもちろんのこと、部族員を救える牧草、水場がなくなってしまったからであり、自部族領を超えて旱魃から免れた地域、大河の流域に移動せねばならないからである。
このことは遠方の部族を頼るにしても己の部族とは無縁であったり、敵対部族の領土に身を投ずることになるし、またその領土を通過することになる。
そのさいの危険性は襲撃の対象にもなり、死にものぐるいの戦さになることは避けられず死と隣り合わせになる。この危険性も敢えて犯さなければならないせっぱつまった状況なのである。

切羽詰っているとはいえ大きくて強い部族はいいが、弱小部族はどうする

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posted by kumana at : 2007年04月04日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2007.04.03

軍と官僚制の陥穽

帝国が拡大すれば、その支柱たる軍隊の規模も大きくなる。それを維持するには徴税のための官僚機構をつくらなければならないが、役人を雇うにも金がかかる。これらの費用を捻出するために税を重くすれば、人々は当然反感を抱く。それをおさえこむには、さらに軍事力を強化しなければならない。マウリヤ朝は、このような「軍と官僚制の陥穽」に落ちてしまったのである。

 
 
 こんばんは、カッピカピです。上記引用文は、「地球人の歴史」というHPの『9.帝国統治』の中にある、「軍と官僚制の陥穽」という章から抜粋したものです。
 これを読み、歴史上の帝国が、その歴史に長短はあったとしても、最後には滅んでいった理由が分かった気がしました。そして、るいネットでも良く書かれている、「市場が国家を飲み込む」という現象もこの文を読んで分かったような気がしました。
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posted by hi-ro at : 2007年04月03日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2007.04.03

遊牧民は飢饉に際して、その巧みな言葉で、王に支援を要請する

😀 くまなです。
前回は、アラブの遊牧民が、旱魃→飢饉に際して供犠(生け贄)、みそぎ、断食などを行い、神だのみをすることを紹介しました。では、神だのみが一向に効果をあげず、さらに旱魃が飢饉を進行させると彼らはどうするのか?
旱魃というとこんなイメージでしょうか
chikyuno-keikoku10.jpg

さすがにプライドの高い遊牧民も、救援を仰ぐことになる。
血縁ある諸部族、妻・女性を通じての姻族、また友好部族。友好な手づるを利用して牧地の確保、畜牧の分散、水場や食料の分与の以来に奔走する。助け合いの精神が行き届いている砂漠の世界なので、依頼された部族も出来るだけのことはした。
しかし近隣部族だと状況は似ていることも多く、遠隔地にある部族や大河流域を自領に確保する部族のほうが頼り甲斐があった。さらに有効な救援は王都や主要な町に、窮状を訴える使節を派遣し、援助をあおぐことであった。

その言葉巧みなやりとりを紹介します。
(これは旱魃に襲われたキラーブ族のアブー・シャードというベドウィンが、ウマイヤ朝カリフ・ヒシャーム(在位724~743年)に代表を送って助けを求めたときの記録に残るやりとりです。)

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posted by kumana at : 2007年04月03日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.04.02

アラブ遊牧民の生贄

😀 くまなです。
前回の記事に対するコメント
>殷の殉葬や卑弥呼の事例は、両方ともその時代の支配者=神へ、人を生贄としたのでしょう。(さーねさん)
そこで、生贄について…
生贄は、供犠ともいい神に生きた動物や人間を捧げる行為で、歴史的にも諸民族に見られます。卑弥呼の墓に見られる奴婢の殉葬が生贄だとすると、遊牧系の殷(商)にも見られる習俗であることから遊牧系の宗教観→生贄に対する思想を紐解く必要がありそうです。
彼らの生贄は一般に人間ではなく、ヒツジです。
Zurbaran_-_Agneau.jpg
(写真はLa Tribune del Artより)
元々どうであったかは分かりません。人間の生贄ということでいうなら、マヤ文明やインカ文明(南方系→環太平洋系?)なども紐解く必要がありますが、卑弥呼以前や縄文には見られない習俗なので、北方系(中央・西アジア→モンゴル→朝鮮)伝来の習俗とします。
そこで、その源流であろうアラブの遊牧民の生贄に対する考え方について紹介します。以下は50年ほど前のアラブの遊牧民に関する記述です。

彼らは今日でも旱魃や伝染病などのような公害に際して同様な儀式を行い、人々を悩まし、脅かす悪霊から救うものだと説明している。例えば部族民がコレラの猛威に苦しんでいると、部族長がテントの中央に立ち、つぎのように叫ぶのである、

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posted by kumana at : 2007年04月02日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2007.03.31

弥生時代の身分制度(番外編)-奴婢、軽罪は妻子没収、重罪は一族にも刑が及ぶ

😀 くまなです
今回は階級社会の番外編として「奴婢」です。
私たちが奴隷と言われて思い浮かべる‘鎖につながれて重労働を強いられる’人々がいたとすれば、この奴婢と呼ばれる人たちで、罪を犯した人々です。奴婢の「奴」が男で、「婢」が女。
卑弥呼が死んだときに奴婢100名余りが殺され一緒に埋葬されたと、魏志倭人伝の記述があります。

彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人
●和訳:この時、卑弥呼はすでに死んでいたので、大きな墳墓をつくらせた。直径は百歩余りで、男女の奴隷を百人以上殉死させた。あらためて男王を立てたが、国中は不服として、そのため殺し合いになった。当時千人余りを殺した。
殉葬は、古代殷(商)で行われた習慣で、のちの朝鮮でも表れます。
それを卑弥呼(の一族)も行ったということです。
下は、古代殷(商)での殉葬の跡です。
W020060901429107754713.jpg
(写真はリンクよりお借りしました。)
殉葬制度については、加耶の歴史文化を参照してください。
奴婢は犯罪者ってことですが、当時の犯罪って?
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posted by kumana at : 2007年03月31日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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