- 縄文と古代文明を探求しよう! - http://web.joumon.jp.net/blog -

ヨーロッパの基層:ヴァイキング=海賊が支配層を形成した

ヨーロッパが周辺国や、未開世界から掠奪して、富の蓄積や市場拡大を
繰り返していく原点は、どうもヴァイキングではないかと考えられる。
ヴァイキング以降のヨーロッパ侵略史を概観すると、
・9c~10c:ヴァイキング
       → ヨーロッパ各地で掠奪と王朝形成 
          →ビザンツ、イスラム交易でイスラム銀貨獲得
・11c~13c:十字軍  
       → イスラム、ビザンツ侵略
          →北イタリアの諸都市に富(原資)集積 
            →ルネッサンス
・14c~17c:大航海時代
       →世界侵略→絶対主義王政
               
vijual_viking.jpg
応援お願いしま~す
Blog Ranking [1]
にほんブログ村 歴史ブログへ [2]


ヴァイキングは、ゲルマン民族の一派で、2世紀から5世紀にかけて行われたゲルマン民族大移動の第二波ともいえる。スウェーデン、ノルウェー、デンマークなどバルト海沿岸部に住んでいた彼らは、8世紀以降、巧みな航海術で川や海を往来し、掠奪・交易・殖民で勢力を拡大していった。
>ヴァイキングは8世紀後半から11世紀にかけて活躍し、わずか3世紀ほどの間に、ハンブルク、ケルン、ロンドン、パリを破壊し、ロシア、フランス、イギリス、シチリア島に王朝を築き、アイスランド、アメリカ、グリーンランドを発見、入植し、東ローマ帝国と十字軍の歴史にも関与している。
>793年6月イングランドのリンディスファーンの修道院がヴァイキングに襲撃された事がヴァイキング時代の幕開けとなる。その年の夏、ヴァイキングはさらに80キロ南下し、スコットランド周辺の修道院を荒らし始めた。8世紀末の夏に起こったヴァイキングの襲来はこれから300年近く続くヴァイキング時代の先触れとなるものであった。この後、ヴァイキングの海洋遠征は、イングランド、アイルランド、西フランクに向けて頻繁に行われる。ヴァイキングの歴史 [3]
800px-Vikings-Voyages.png
[ヴァイキングの活動範囲:ウィキペディアより引用]
ヴァイキングは新天地を探す開拓者であり、富を求める交易者であった。アイスランドやグリーンランドに入植し、アイルランドからビザンティウムへと交易の旅をした。また、西ヨーロッパ各地で住民と戦い、力ずくでそこに入植した。当時のヨーロッパにとってスカンジナビア人は、友好的な交易商人であり、もう一方では戦争や破壊をもたらすヴァイキングであった。交易商人として友好的な人々も富を増やすために時には自ら武器を取り、海賊行為や略奪を行っていたのである。略奪のために遠征をし、それ以外では故国で農地を営むのがヴァイキングの生活であった。有名なオウッタルの物語ではヴァイキングの公益の様子が描かれている。ヴァイキングは国際的奴隷市場のヘゼビューでキリスト教徒を売り、利を得ていた。また、スウェーデン人は交易の為にバルト海諸国、ロシアへの入植を早い時期に行い、東方交易網の中継点として機能する交易基地がいくつもあった。(ヴァイキングの歴史 [3]
彼らの活動は、ヨーロッパのみではなかった。彼らは、ロシアを媒介にして、もしくは地中海・シチリアを経由して、ビザンツ・イスラムの文明と交易を行った。
これも結構、脅しのかかった交易だった。
9世紀末、ルーリックというスウェーデン人ヴァイキングはノヴゴロドの町で権力の座につき、支配地を広げながらビザンチン帝国を結ぶ要所を築き上げた。ルーリックの後継者であるオレーグもドニエプル川を整備して交易路を開き、キエフに及ぶ覇権を確立した。キエフは数年後には、商業、文化、芸術の分野においてヨーロッパで輝かしい都市のひとつとなった。オレーグは国の統治と強化に力を入れ、黒海に行くための軍船を作らせた。907年にオレーグは2000隻の船に分乗した8万人のヴァイキングを率いてコンスタンチノープルを目指した。迫りくるヴァイキングに仰天したビザンチン人はオレーグと交易協定を結び、莫大な税を支払った。(ヴァイキングの歴史 [3]
ヴァイキングは東方ビザンツとイスラム帝国に売ったのは、毛皮・奴隷・琥珀・蜂蜜などだった。そしてその代金として受け取ったのが何よりも銀、ディルハム銀貨だった。その結果としてヨーロッパ北部・東部には、厖大なイスラム貨幣が埋蔵されることになった。
(キリスト教徒やスラブ人を捕まえて奴隷として売っぱらっていたのだからすざましい。)
最も注目すべき点は、
ヴァイキングという海賊集団がイギリス・フランス(ノルマン朝)・ロシア・イタリア(シチリア)に王朝を開き支配者となったこと。
当時スペイン・ポルトガルがイスラムの支配下にあったことを考えれば、いかにヨーロッパの支配層に海賊の遺伝子が組み込まれたかが分かるというもの。これがヨーロッパの支配層をして、後に十字軍・大航海時代に乗り出させた血であり性(さが)ではないだろうか。
・第二にイスラムやビザンツと接触し襲ったのは、十字軍が始めてではなくこの時代に味をしめていることだ。この味がわすれられなくて、ヨーロッパの支配層を先頭に、富の蓄積したイスラム・ビザンツに軍備を整えてでていったのが十字軍なのかもしれません。
(by Hiroshi)

[4] [5] [6]