2007.02.05
中国文明~手掛かりとなる史料
今晩は、さーねです 😛
中国文明では、様々な史料の名前がありますが、どうも今までどんなものかがわかりませんでした^^;
今日は、中国文明解明のカギとなりそうな歴史書を紹介します。
・『ト辞』ボクジと読みます。
・『国語』普通に読んでください。
・『春秋』これも普通に。
・『晏子春秋』アンシシュンジュウと読みます。
・『史記』これは有名ですねー⇒司○○さんの著ですね
ト辞:獣骨に刻まれた甲骨文字
今日参考にしたのは、中国歴史奇貨居くべしさんと世界史小事典(山川出版社)です。
中国歴史奇貨居くべし によれば、歴史書の他に、思想書・兵書・文学書(伝説)等があるようです。こっちもぜひ参考に
posted by sawatan at : 2007年02月05日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.02.05
西ローマ帝国の滅亡(民族の玉突き)
こんばんわ。初めまして、たかあつです。
古代のヨーロッパはどうやってできていったのでしょうか?
その秘密は古代ローマにあります。
古代ローマは世界支配に新しい形を示したとされる。それ以前は先進国が後発国を支配して覇権国となったが、ローマになってそれが逆転し、後発国が先進国を支配することで覇権国となるという形があることを示したといわれる。それとてヘレニズム世界が先駆けであったといえなくはない。このローマも、その将軍小スキピオ(前185-129)がカルタゴの劫火をみながら、「ローマの運命もいつかはこうなるだろう」といったようになる。
それは、ローマ帝国の住むすべての自由民が首都ローマ人と同じように市民権を持つこととなり、また属州の支配者たちがローマの貴族や騎士と同じように振る舞い、その領地を自前のポリスとして運営するようになると、ローマ帝国は分裂するしかなくなる。それを「蛮族」に一撃されて瓦解する。<海上交易の世界と歴史
時代を遡って前2世紀中頃、ローマでグラックス兄弟が改革を試みていた頃ユーラシア大陸の東端、中国では漢帝国が栄えていました。(武帝という皇帝の時代)この以前から中国北方の草原地帯では匈奴(きょうど・フンヌ)という遊牧国家があり、中国を圧迫していましたが、武帝の時代になってはじめて北方遠征で匈奴に勝利します。
負けた匈奴は漢に追われる形で西に移動を開始しました。・・・さてここからヨーロッパが作られていきます。
なんで!と思った方は ポチッとお願いします。
posted by taka-atu at : 2007年02月05日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2007.02.04
商王朝における信仰観念と支配構造
こんにちは、今回は中国の勉強です。
先の「中国の夏王朝はあったのか?」や「中国文明の王位継承=世襲制とは?」では、夏王朝から世襲制が始まった、とありますね。
続いて、商(殷)王朝は最初の古代国家と言われていますが、どのような信仰観念と支配構造だったのでしょうか?
集団間を支配、統合するためには、世襲制をはじめとする制度を実現するための、力と観念が必要ですね。
るいネットの「信仰・宗教観念の成立構造整理」では、精霊信仰~守護神信仰~古代宗教までの流れを以下のように整理されています。(分かりやすいですよ)
>■精霊信仰
自然への畏れ敬い
>■守護神信仰①(自然神の登場)
遊牧~父系制転換
⇒集団第一・私益第一意識・(集団)正当化観念
↓
「守護神=自然神信仰」
>■守護神信仰②(人格神の登場)
同類圧力(略奪闘争)=他部族との相対比較、差異意識
+
自集団の私益第一=自集団の正義正当化
↓
「守護神=人格神信仰」
>■守護神信仰③(信託者=王→最高神と王の同一化)
1.武力支配・異民族支配の成立=支配正当化
↓
守護神の信託者=王
2.支配体制の維持⇒王の絶対性を物語化(共認支配)
↓
神官・知識階級の専門職化
3.更に広範囲の武力支配・異民族支配=帝国の成立⇒絶対的な支配正当化
↓
最高神と王の同一化「王=神」
>■古代宗教
序列体制=生涯固定の身分制度の確立
さて、↓↓クリック↓↓してから続きへどうぞ。
posted by nishipa at : 2007年02月04日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.02.03
土偶は縄文人が観た精霊の姿
みなさん、多彩な表情の土偶に何を感じますか?
(写真は「庁鼻和窯ほーむぺーじ」さんからお借りしました)
こんばんは、くまなです。 😀
土偶は、縄文人が思い描いた「精霊」そのものではないでしょうか。
その豊かな表情を見ていると、そんな感じがしてきませんか?
感じた!と思った方は ポチッとお願いします。
土偶=精霊だと考えれば、その異様さも多彩さも納得できます⇒参照土偶の写真集(上記写真)、縄文人の表情
土偶の多くは女性(多くは妊婦)を表わしています。
産む性としての女性に精霊との近しさを見出していくのは自然だし、その偉業に集団が感謝し、精霊にも感謝したことは容易に想像できる。成熟した女性のチャネリング能力が精霊との近さを感じさせたこともあるでしょう。
土偶の多くは目はつり上がっています。参考⇒縄文中期の土偶たち
縄文人にとって、精霊(≒自然)は厳しいものでもある。だからこそ祈り、応望する。そして精霊は期待に応えてくれる。だから怒り一辺倒ではない。そのような精霊の存在が、土偶の表情に表れているように思います。
土偶の多くは割られています。割ることを前提に作られているようです。
どうして精霊を‘割って’しまうのでしょうか?
posted by kumana at : 2007年02月03日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.02.02
神様にも人気、不人気があった。
アッシリアの事ですから、釈迦や孔子が生まれる少し前の話。
前にも登場したナラム・シンがいたアッカドの時代からすると1500年も後の事です。
元々アッシリアはアッシュールの市神である「アッシュール」が最高神であったのですが、アッシリアがバビロンを制覇した後は、元々はバビロンの市神であった「マルドゥーク」にその位置がとって替えられたようです。なぜでしょう
征服された側が征服した側の神様を信仰する様に強いられるのは分かりやすけど、どうしてその逆が起こったのか?不思議な気がしませんか
posted by dokidoki at : 2007年02月02日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.02.01
地球上でいちばんの先進地帯は日本列島だった!
こんばんわ、tanoです。 🙂 今日は新聞ネタです。1月25日の毎日新聞に掲載されていました。
「今から3万年以上も前、地球上でいちばんの先進地帯は日本列島だった--。こんな学説を信じられるだろうか。 🙄 」
いかにも新聞ネタっぽいですが我慢して読んでみてください。
後期旧石器時代(約4万年前~1万5000年前=注)の初めごろの遺跡から、関東地方を中心に「環状ブロック群」と呼ばれる遺構が見つかっている。石器が集中する地点をブロックという。そのブロックが円形を描き、直径10メートルほどから、大きなものは50メートル以上に及ぶ。下触牛伏(しもふれうしぶせ)遺跡(群馬県伊勢崎市)で初めて確認され、現在全国で約100カ所が知られる。
研究者は何らかの集落跡と考えている。例えば、下触牛伏遺跡に詳しい小菅将夫・岩宿博物館学芸員は同遺跡には20個の石器ブロックがあり、一つを1家族4、5人として70~80人から100人の集落を想定する。はるか後の縄文時代の一般的な集落よりずっと大規模だ。
なになに! って関心が湧いてきた人、ぽちっとお願いします
続きを読む "地球上でいちばんの先進地帯は日本列島だった!"
posted by tano at : 2007年02月01日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2007.01.31
縄文中期の土偶たち
土偶とひとことにいっても、土偶が爆発的に作られるようになったのは、縄文中期からでした。(早、前期の土偶は全体の約2%)( 「はるかなる縄文」さんの年表を参考にさせていただいています。)
縄文中期につくられた土偶のなかから、土器につけられた人面土偶を紹介します。
大明神原遺跡(縄文中期の集落)から出土した「把手付深鉢土器」です。
「水野の縄文写真館」さんよりお借りしました
縄文時代中期前半 3000-2500 BCE 長野県梨ノ木遺跡 茅野市尖石縄文考古館顔面把手付土器ともいう。深鉢のふちに、同時代の土偶と同じような顔がついている。人面把手付土器も意図的に壊されたようにばらばらになっていることが多く、土偶と似たような機能を持っていた可能性がある。
中期の勝坂文化圏で出土する人面付深鉢や人面付釣手型土器は、それぞれ、食物の調理と火を灯す用途に使われたものらしい。いずれも妊婦のような形をしており、人面把手付深鉢の中には子を出産しつつある姿が描かれているものもあるので、これらの土器は<容器としての女性>を象徴しているといえる。(写真:人面把手付深鉢/中期前半/長野県梨ノ木遺跡/茅野市尖石縄文考古館)
「Steps to an Ecology of Spirits」より引用させていただきました。
次は人面土器のそっくりさんを紹介!クリックしてから続きをどうぞ
posted by bunchan at : 2007年01月31日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.01.30
縄文人とマムシ
>三角頭で銭形といえばマムシである。この怖い毒蛇を口縁部にわざわざ付けたのは何故だろう?
蛇体把手付深鉢
(写真は遥かなる縄文さんからお借りしました。)
この土器にも、見事なマムシが飾られていますが、縄文の人たちは、マムシをどのように感じていたのでしょう?
なるほどと思える記事があったので紹介したいと思います。
続きを読む前に、ぽちっとお願いします 🙄
posted by naoto at : 2007年01月30日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2007.01.29
シュメール人の都市国家統合手法
メソポタミア地方の都市国家を統合したシュメール人は、どのような手法で統合したのであろうか?
古代シュメール人が、メソポタミア地方を統合する手法は、武力で強制的に服従させたイメージを持っていましたが、かなり高度な統治方法を持っていたようです。
この頃のメソポタミアでは各都市毎に守護神を持っており、その守護神信仰を上手に利用したものと理解できます。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/babylon/babylon_rel.htmlのメソポタミア宗教史によると
>2.シュメール人による神々
すべてのものに宿る神々は、それぞれの格を数字で表していた。最高は60で、格が下がるごとに数が減っていくのである。この世に共通するものに関する神はそれだけ格が上で、各都市の神とは主従の関係をなしていたと思われる。・・・・・・・・
によく表わされています。
大集団の統合手法は、力を背景として、各都市の守護神に序列を付けを行いそして民衆の統合軸であった守護神宗教を多いに利用したのでしょう。
その事は、宗教の語源が「参加すること、結合すること」にあったことを思うと理解できます。
>「宗教」の語源は、幕末期にReligionの訳語にあたる語が必要になるにあたり、宗教一般をさす語として採用された語である。一般には明治初期に広まった。この元になった単語 Religion は、ラテン語の単語 religare から生じた語である。religare はもともと「参加すること、結合すること」という単語であり、そこから人間と神をつなぐこと(縁)を意味すると理解されていた。
参考フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
posted by ryou at : 2007年01月29日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2007.01.28
縄文:黒曜石が贈与品になったのはなぜか?
さーねです
先日、tanoさんよりご指導受けまして… 😥 改めて、縄文時代の贈与・交易に関して、一つずつ積上げていけたらと思います 😀
今日は、その品となった「黒曜石」
ただ、どうも縄文時代は交易?とか言われてますが…贈与と交易はだいぶ違いますので…以下の大事な認識を るいネットで確認。
黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか②
「贈与」と「掠奪・収奪」と「交易(交換取引)」
ここでは、贈与品として考えたいと思います。
黒曜石って何?実は、縄文の人々にとっては最も必要で貴重な加工具であったのです
posted by sawatan at : 2007年01月28日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList