- 縄文と古代文明を探求しよう! - http://web.joumon.jp.net/blog -

西ローマ帝国の滅亡(民族の玉突き)

Posted By taka-atu On 2007年2月5日 @ 1:39 PM In Ⅷギリシャ・ローマ文明 | 4 Comments

こんばんわ。初めまして、たかあつです。
古代のヨーロッパはどうやってできていったのでしょうか?
その秘密は古代ローマにあります。
古代ローマは世界支配に新しい形を示したとされる。それ以前は先進国が後発国を支配して覇権国となったが、ローマになってそれが逆転し、後発国が先進国を支配することで覇権国となるという形があることを示したといわれる。それとてヘレニズム世界が先駆けであったといえなくはない。このローマも、その将軍小スキピオ(前185-129)がカルタゴの劫火をみながら、「ローマの運命もいつかはこうなるだろう」といったようになる。
それは、ローマ帝国の住むすべての自由民が首都ローマ人と同じように市民権を持つこととなり、また属州の支配者たちがローマの貴族や騎士と同じように振る舞い、その領地を自前のポリスとして運営するようになると、ローマ帝国は分裂するしかなくなる。それを「蛮族」に一撃されて瓦解する
海上交易の世界と歴史 [1] 
%E5%8F%A4%E5%9C%B0%E5%9B%B3.jpg
時代を遡って前2世紀中頃、ローマでグラックス兄弟が改革を試みていた頃ユーラシア大陸の東端、中国では漢帝国が栄えていました。(武帝という皇帝の時代)この以前から中国北方の草原地帯では匈奴(きょうど・フンヌ)という遊牧国家があり、中国を圧迫していましたが、武帝の時代になってはじめて北方遠征で匈奴に勝利します
負けた匈奴は漢に追われる形で西に移動を開始しました。・・・さてここからヨーロッパが作られていきます。
なんで!と思った方は ポチッとお願いします。
 Blog Ranking [2]


匈奴は約400年かけてゆっくり移動したようです。途中に出会った他の遊牧グループと合体したり吸収したりしながら移動したと思われます。(これがフンという名でローマの歴史に登場します。匈奴とフン族は同じモノだろうといわれています
ローマ帝国の北方から黒海北岸にはゲルマン人が住んでおり、部族単位で農耕牧畜中心のをして生活していたようです。そこに東方からフン族が移動、玉突き状態になって、ゲルマン人は部族単位で次々に西へ移動を開始しました。これが375年に始まる「ゲルマン民族の大移動」となります。フン族に追われて移動するゲルマン人は、安住の地を求めてローマ帝国内に侵入していきます。
以前からゲルマン人のなかにはローマ帝国内に移住して生活するグループや、ローマ軍の傭兵となるものなどもいたようです。その中には強引にローマ帝国内に集団移住しようとする集団もあってローマ皇帝は頻繁に辺境で戦っています。しかし、それと今回の移動は規模が異なりました。(大量のゲルマン難民が大量に流れ込んできたら、ローマ社会は大混乱になることは目に見えています)東ローマ帝国はなんとか国境防衛に成功しゲルマン人が侵入するのをくい止めることができましたが、西ローマはこれに失敗します。
次々に雪崩れ込むゲルマン人で西ローマ帝国は大混乱となり、最後の西ローマ皇帝は親衛隊長のオドアケル(ゲルマン人)に殺されてます。(476年)ゲルマン人は部族単位で西ローマ帝国のあちこちに勝手に建国し、さらにお互いに交戦することとなります。 :evil:
例えばガリア地方北部に侵入したフランク族はフランク王国をつくりました。(これが現在のフランスのもとです)ローマ人たちはこの新しい「蛮族」となんとか折り合いをつけて生活するしかなかったと思われます。長引く混乱のなかでローマ時代の文明は崩壊し経済も停滞し、やがてローマ人はゲルマン人と混血していきます。これが現在のイタリア、フランス、スペインあたりの状態であったようです


Article printed from 縄文と古代文明を探求しよう!: http://web.joumon.jp.net/blog

URL to article: http://web.joumon.jp.net/blog/2007/02/132.html

URLs in this post:

[1] 海上交易の世界と歴史: http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page011.html

[2] Image: http://blog.with2.net/link.php?163891

Copyright © 2014 縄文と古代文明を探求しよう!. All rights reserved.