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縄文人とマムシ

>三角頭で銭形といえばマムシである。この怖い毒蛇を口縁部にわざわざ付けたのは何故だろう?
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                 蛇体把手付深鉢
          (写真は遥かなる縄文さんからお借りしました。)
この土器にも、見事なマムシが飾られていますが、縄文の人たちは、マムシをどのように感じていたのでしょう?
なるほどと思える記事があったので紹介したいと思います。
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原始「蛇」信仰(一) [3]より抜粋させて頂きました
>古代の人々はなぜ蛇を神と崇めたのだろうか、そして今もその名残が私たちの生活の中に生きているというのは本当だろうか?
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>話は本のことに戻るが、吉野裕子著 《蛇 日本の蛇信仰》 、この本の内容を要約すると、上の三点の写真になる。
日本のお正月を飾る鏡餅とトグロを巻いたマムシ、それに典型的な神奈備山である奈良県桜井市の三輪山だ。
つまり、原始蛇信仰の中心には当然のことながら蛇がいる。蛇は自身をもっともよく象徴する姿勢であるトグロを巻いている。
そして、蛇を信仰していた古代人はより洗練されていく過程で、蛇そのものばかりではなく、形が蛇に似ているものも神聖視した。それが、蛇がトグロを巻いた姿に似ている円錐形の山や樹木だった。
やがて、原始蛇信仰は大和朝廷の成立とともに、より文明化されていく中で表面から姿を消していくしかし、表面から姿を消したと言っても、蛇信仰そのものは隠されたかたちで脈々と今日まで受け継がれきた。
その名残がたとえばお正月に飾る鏡餅である。あれは蛇がトグロを巻いている姿なのだ。
>今日に至るまで、隠れた地下水のように脈々と流れ続けて、日本の文化や日本人の精神構造に深く根を下ろしてきた蛇信仰、そもそも古代人(縄文人)はなぜ蛇を崇めたのだろうか。彼らは蛇をどう見ていたのだろう。彼らの自然観はどのようなものだったのだろうか。現在、この日本列島には1億2千万余の人々がひしめきあって暮らしている。
蛇などごく一部の限られた場所にしかいない。しかし、縄文時代の人口は日本列島全体でも30万人以下だったという。そのころは今と違って、人よりも蛇の数のほうが多かっただろう。

>縄文人たちはあちらこちらで蛇に出遭ったに違いない。そして彼らなりにその生態を観察しただろう。今ほど自然に対する知識も理解もない縄文の人達にとって、自然に身を委ねその恵み受けて生きている中で、蛇はどのように映っただろうか。自分達の生活を守り種を保持していく上で、生命の根源・強さにたいする憧れや希求は、ついには蛇を神にまで高めたしまったのだろうか。
>もう一度先の本に戻ると、著者は縄文人が蛇を神格化するにいたった理由を次のように上げておられる。
(1)まず蛇の形態が何よりも男根を連想させること。
(2)毒蛇・蝮などの強烈な生命力と、その毒で敵を一撃の下に倒す強さ。

21世紀を目前にした今日、人は蛇のことはもちろん、この自然界のことで知らないことなどもう無いというところまでたどり着いて来た。いまさら蛇信仰などただ気持ち悪いだけかもしれない。しかし、頂点に達しようとしているからこそ、いちど原点を振り返る必要はないだろうか。これまでの道筋は正しかったのか、行き着くところに誤りはないかと。
鏡餅は蛇がとぐろを巻いた形という話は、目から鱗でした。
マムシは自然界に対する畏怖の象徴だったのだと思います。
「好き嫌い」といった薄っぺらい感情を超えた全対象に向けた「畏怖」と「慈愛」の精神。
しっかりと見つめなおす必要がありそうですね!
 

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