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地球上でいちばんの先進地帯は日本列島だった!

こんばんわ、tanoです。 🙂 今日は新聞ネタです。1月25日の毎日新聞に掲載されていました。
「今から3万年以上も前、地球上でいちばんの先進地帯は日本列島だった--。こんな学説を信じられるだろうか。 🙄 」
いかにも新聞ネタっぽいですが我慢して読んでみてください。
後期旧石器時代(約4万年前~1万5000年前=注)の初めごろの遺跡から、関東地方を中心に「環状ブロック群」と呼ばれる遺構が見つかっている。石器が集中する地点をブロックという。そのブロックが円形を描き、直径10メートルほどから、大きなものは50メートル以上に及ぶ。下触牛伏(しもふれうしぶせ)遺跡(群馬県伊勢崎市)で初めて確認され、現在全国で約100カ所が知られる。
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 研究者は何らかの集落跡と考えている。例えば、下触牛伏遺跡に詳しい小菅将夫・岩宿博物館学芸員は同遺跡には20個の石器ブロックがあり、一つを1家族4、5人として70~80人から100人の集落を想定する。はるか後の縄文時代の一般的な集落よりずっと大規模だ。
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しかも、環状ブロック群からは、必ず「局部磨製石斧(ませいせきふ)」という刃先の一部を磨いた特異な石おのが出てくる。世界の考古学の通説では、磨製石器は新石器時代の指標である。それが日本では後期旧石器時代の、それも初めごろから存在するのだ。
%E7%A3%A8%E8%A3%BD%E7%9F%B3%E6%96%A7.jpg長野県貫ノ木遺跡出土の砥石(といし)

この砥石の状況からみれば、相当に長期間使い込んでいることがわかる。磨製石斧が木を切る道具なら後半期に衰退する理由が説明できないし、また衰退後に、どのようにして木を切ったのかも定かではない。ただ、打撃をくわえて石器をつくるのと対の構造にあるような感じはする。研磨は押して引き戻すという工程が必要で、繰り返すことにより徐々に形態が変化する。反対に、打撃による加工は一度に力を与え剥離させることにより、大きく形が変化する。縄文時代の石斧は刃になる部分をコツコツと叩いて(敲打、こうだ)大まかに形を整えたあとで研磨する。その意味で、打撃と研磨の中間に位置する。どうも旧石器時代の磨製石斧は結果として登場したように思われる

 海外にこんな環状ブロック群はない。旧石器時代の磨製石斧はオーストラリアにもあるが、集落はない。これではどうみても、日本列島が当時の地球の最先端ではないか。それだけに、なぜこんな「進歩した文化」があるのか議論が尽きない。
 諸説ある。小菅さんは大型獣狩猟説をとる。当時、ナウマンゾウやオオツノジカがたくさんいた。1頭しとめればゾウならトン単位、シカなら500キロの肉がとれる。大集団を支えることができるし、そもそも一人で捕れる獲物ではない。小菅さんは「動物の動きを考え、何人かの成人男性が役割分担して狩りをする。何らかの社会組織のようなものがあったのでは」と解釈を膨らませる。
 次に、磨製石斧の解釈。切れ味は悪く、獲物の解体具などではないらしい。小菅さんは「集落で男性の世帯主だけが持てるシンボル的なものではないか。だから大型獣が減って大集団の狩りがなくなり、環状ブロックをつくらなくなると、シンボルとして持つ意味もなくなるから、石斧も一緒に消えてしまう」と推測する。確かに約2万8000年前、環状ブロック群と一緒に石斧も出土しなくなる。

土器の前に長い石器時代があったことが伺えます。大型動物を獲得する為に社会組織を作ったという見識はいかにも現代人の生産ありきの発想で閉口 しそうですが、それはそれとして環状に石を配置した2、3万年前の遺跡は何を物語っているのか興味が湧きます。石器時代は日本列島が一番先進地帯と言うのも全く否定はできないかもしれません。新人の流れがアフリカから出て東へ東へ行き着いた果てが日本列島だったとしたら、最もさまざまな環境に適応して生き延びてきた勝ち組? が到着したという発想もなりたつのかもしれません。

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