2007.01.21
中国文明の王位継承=世襲制とは?
縄文ブログ
最近盛り上がってきましたねー
さーねです 😉
今日は、中国文明。中国奇貨居くべし「王位継承パターン」という記事。世襲制=生涯固定の身分制度確立過程の仮説です。
>古代王朝の王位継承について、『夏王朝 王権誕生の考古学』に興味深い学説が紹介されていましたので、ここで取り上げてみたいと思います。これは立命館大学の吉本道雅氏の説です。
①有力者たちの中から王を選出する「王位」の出現…英雄時代(五帝)
②特定の氏族が王位を独占する 「王朝」 の出現
③氏族(王族)内の特定の家系が王位を独占し、兄弟が順番に王位を継承…商王朝初期
④王の子が優先的な王位継承権を持つ親子相続「王統」 の確立…夏王朝・商王朝後期
⑤王があらかじめ自分の子から太子を指名…西周王朝
ポチっと
お願いしマース 😀
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posted by sawatan at : 2007年01月21日
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2007.01.20
中国の夏王朝はあったのか?
中国の夏王朝があったのかがまだ確定されていません。遺跡が見つかっていないという理由です。
人民中国特集記事「姿現した中国最古の王朝の都」
で中国河南省偃師の二里頭村の遺跡が夏王朝の遺跡ではないかと、特集記事を載せています。

放射性炭素の崩壊を利用した年代測定法が次第に精度を増し、二里頭遺跡の年代は紀元前1900年ごろから紀元前1500年ごろであることが分かってきた。二里頭遺跡が商によって滅ぼされた夏王朝である可能性が非常に大きくなった。
1990年までに行われた合計41回の発掘の結果、二カ所の宮殿址が全面的に姿を現した。このほか、廟建築址二カ所、中小の住居址五十余、青銅器の工房址、大量の青銅器、トルコ石の象嵌を施した青銅製の牌飾などが出土した。これによって夏王朝が二里頭に存在したことは、もはや疑う余地がなくなったのである。
夏王朝の特徴のひとつに世襲制のはじまりがあります。
『史記』などによると、夏王朝は、禹によって建てられた。その前の帝王である尭は舜に、舜は禹に位を禅譲した。禅譲とは、天子がその位を世襲せずに、有徳者に譲ることをいう。
禹は東方に巡狩して会稽で崩じたが、10年間、政治を任せていた「益」に位を授けた。しかし「益」は三年間の喪があけると位を禹の子の「啓」に譲った。諸侯は「益」を去り、「啓」のもとに集まり、「啓」は天子の位に就いた。天子の位の禅譲は、このときから世襲に変わる。「啓」は初代の世襲制の皇帝である。
中国の古代地理書である『水経注』には、夏の帝王「啓」が「地望」というところに住んだことが記載されています。専門家は新砦遺跡がこの「地望」に完全に符合すると判断しているそうです。
ozawa
posted by norio at : 2007年01月20日
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2007.01.18
縄文土器体系化の祖、山内先生のお話
次に土器分類を考え出した山内清男氏(1902-1970)のお話です。縄文をかじった事のある人なら当然、この方を知ってますよね。
山内(やまのうち)氏を知らない人は(土器を発見したモースと並んで)モグリです。この方は縄文学の祖と言われるほどの人物です。どの程度凄かったか・・・この投稿を読みながらイメージしてみてください。
以下は東大総合研究博物館のHPより抜粋させていただきました。
山内清男の先史学研究の最大の業績は、綿密な観察に裏打ちされた縄文土器の分類にもとづく、日本先史時代の編年体系の設立にあった。
考古学・先史学に限らず、時間的経過の中で事象の変化生成を明らかにする学問においては、その時間経過の体系=編年を持つことは必須の要件である。日本考古学においてこのような編年体系確立の必要性が認識されはじめたのは大正末期から昭和の初年にかけてのことであり、この時期はまた日本における科学的考古学の確立をみた時期でもあった。
次に・・・・なぜ山内先生が体系化を試みたのか、
日本列島に存在する縄文土器が、単一なものではなく、さまざまな変化を有するものであることはすでに明治時代より知られていた。
しかしながらそれらの変化がいかなる原因によって生じたのかという点については、年代差、地域差、文化系統ないし部族の差によるとするなど、さまざまな解釈が行われていた。山内はこれら乱立する諸見解の中から、新らしい方法に基く編年体系の確立を指向した。
~以上抜粋
モースが大森貝塚で初めて縄文遺跡を発掘したのが1877年、それから遺跡の発掘が進んで50年、きっとたくさんの縄文資料が有象無象に錯綜していたのが山内氏の時代だったのでしょう。
まずはそれを整理したい、体系化したいという当事の考古学の期待に応えたのが山内氏の研究だったのです。
ホーっ、なるほど!orそれがどうしたと思った方↓して進んで下さい。山内先生の原文掲載もあります。
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posted by tano at : 2007年01月18日
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2007.01.17
縄文時代はなんで土器で区分されているの?
以前にこのブログでも紹介されましたが縄文時代の現在のオーソライズされている時代区分は土器で行われている事は皆さんご存知でしょうか?
復習ですが土器による縄文時代の区分は以下のようになっています。
10000年~12500年前 縄文草創期
7000年~10000年前 縄文早期
4500年~6000年前 縄文前期
3500年~4500年前 縄文中期
3000年~3500年前 縄文後期
2300年~3000年前 縄文晩期
2300年前~ 弥生時代
どうやって土くれのような土器で時代区分を?と疑問を持たれた、もたれなかった方、この時代区分を考え出した山内清男(やものうちすがお)氏の紹介と併せて少し勉強下さい。
まず大雑把にどんな土器の特徴があるのでしょうか?
土器にだんだん興味が沸いてきた人 🙄 、ちょっと↓押してから進んでね
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posted by tano at : 2007年01月17日
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2007.01.16
叉状研歯(しゃじょうけんし)って!?

東京大学コレクションII 哺乳類-人類- よりお借りした写真です↑
前歯のところを見てください。
この前歯のぎざぎざは、叉状研歯(しゃじょうけんし)っていうのです。
わざわざ健康な歯を削ってこのようにしているんです
すっごいきれいな模様といえなくもないのですが、これって隠れたお洒落
だったのでしょうか??
続きを読む前にクリックお願いします

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posted by bunchan at : 2007年01月16日
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2007.01.14
神々の変遷~自然神・・・水の神”龍”
http://astro.ysc.go.jp/izumo/dragon.html#sento自然神の中でも水の神
とされる”龍”は、ちょっと変わった位置付けの神であるようです。 
世界の各地に”龍”伝説がありますが、その姿や、位置づけなど、様々です。
しかも「水の神」=自然神でありながら、時と所を変えると、龍=皇帝の意味に使われたりしています。
今日はその中から代表的な”龍”を紹介したいと思います。
お急ぎ
の方も、まずは下
のボタンを押してから次にお進み下さい 
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posted by saah at : 2007年01月14日
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2007.01.13
たたら製鉄は日本ならではの製鉄技術?
みつこさんの記事の「鉄器の流通」のコメントの中からたたら製鉄の話が出てきました。
日本の製鉄の始まりであり、日本にしかないこの製法について詳しく書かれたブログがありましたので紹介したいと思います。
ブログのタイトルは
「もののけ姫」を読み解く
です。⇒このブログは読み物としてもかなり面白いですので時間があればぜひ一読下さい。
その中の たたら製鉄の記事です。もののけ姫の映画を見た人はたたら鉄を踏むシーンを思い浮かべながら読んでください。
日本の製鉄は太古より行われていた。日本には、原材料となる鉄鉱石は乏しかったが、火山国の特性として上質の砂鉄が大量に採掘出来た。このため、砂鉄を炊いて鉄塊を精製する特殊な製鉄技術が発達した。この日本独特の製鉄技術を「タタラ製鉄」と呼ぶ。
タタラとは、神話時代から使われていた古い言葉であり、今も地名に残っている。タタラには、年代順に「蹈鞴」「鑪」「高殿」などの漢字が当てられた。「蹈鞴」は、「鞴」を「蹈む」という意味。「鑪」は製鉄に使う溶鉱炉の意味。「高殿」は製鉄用の特殊な建物(後述)を示す。漢字の推移は、そのままタタラの発展を示すものでもある。
タタラ製鉄は、諸外国で行われた鉄鉱石の製鉄に比して、はるかに硬度と柔軟性に富む上質の鉄を作り出す技術であった。不純物が混在している鉄鉱石に比して、砂鉄は原料段階で不純物を除去出来る。砂鉄自身の純度が高ければ、極上の鉄塊を作ることが出来るのだ。タタラ製鉄で出来た鉄塊は、現在の製鉄技術を駆使しても及ばないと言われるほど高純度なのである。世界最高峰の鉄刀と言われ、各国に輸出されていた日本刀も、タタラ製鉄なればこそ出来たのである

「ふみふいご」(右)と、改良された「てんびんふいご」(左)。これらを合理的な装置に改良したのが「たたら炉」である。(鉄の語る日本の歴史上/飯田賢一/そしえて文庫)
ではそのたたら製鉄とはどうやって作ったのでしょうか?
応援お願いします。↓
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posted by tano at : 2007年01月13日
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2007.01.13
王の神格化も段階がある?
王の神格化にも段階があるようです。
メソポタミアにおいてはナラム・シンのように神格化した王は、実は数が少ないそうです。
又ナラム・シンという名も「シン神の最愛の者」と言う意味で人間社会の運命を大神にとりなす神つまり個人神のような立場の神に神格化されたと考えられているようです。
つまりこの段階は大神(最高神)との同一化までいっていない 🙄
では何時、どこで 
さて 続きの前に
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posted by dokidoki at : 2007年01月13日
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2007.01.12
精霊信仰の変化:カーバ神殿の黒石
メソポタミヤの信仰ではシュメール以降の人格神の神話が有名ですが、そういう神話ができる前はどうだったのだろうか?
ところがメソポタミヤ地域では「信仰」とよべるものはなかなか見あたらないので、範囲を広げて遊牧部族の信仰はどうだったか?をみた方が有効かもしれません。

そこで、イスラムの聖地のさらに昔々を探ってみます。
↓クリックをおねがい。
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posted by nandeya at : 2007年01月12日
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2007.01.12
縄文時代の贈与・交易は寒冷化を生き延びるため?
今晩は、さーねです。今日は縄文です 😉
まずは、改めて、縄文で追究していく課題を確認 😛
今年の「縄文ー古代ブログ」を振り返って
tanoさんのこの課題整理で♪非常にわかりやすい!再度、抜けている部分や真相を明らかにしていきましょう!ということで、まだ追究されていない縄文時代の贈与・交易について調べてみました。
やはり、人口が最も増加しながらも、寒冷化という外圧に直面した縄文中期以降に発達したのではないでしょうか?
寒冷化という外圧に再度直面し、みんなが生き延びるためには?⇒他の集団の良いところを取り入れよう!という意識になったのではないでしょうか 

出土したヒスイ⇒祭りのための装飾品
精霊が宿るお守り 
以上のような仮説を立てながら、関係する史実を追ってみました。考古学や人類学上の資料も、やはり人々の意識と合わせて考えるとより生きてきますねー 😮
みんなで追究!のためにポチっと

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続きを読む "縄文時代の贈与・交易は寒冷化を生き延びるため?"
posted by sawatan at : 2007年01月12日
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