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精霊信仰の変化:カーバ神殿の黒石

メソポタミヤの信仰ではシュメール以降の人格神の神話が有名ですが、そういう神話ができる前はどうだったのだろうか? 
ところがメソポタミヤ地域では「信仰」とよべるものはなかなか見あたらないので、範囲を広げて遊牧部族の信仰はどうだったか?をみた方が有効かもしれません。
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そこで、イスラムの聖地のさらに昔々を探ってみます。
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「カーバ神殿」はサウジアラビアのメッカにあるイスラム教(一神教)の聖地ですが、ここは元々360体の偶像が祭られていた多神教の神殿でした。
 マホメットはこの地域を支配し神殿を管理していたクライシュ族と抗争し、偶像を全て破壊してこの神殿をイスラム教の聖地にしてしまいました。 だからカーバ神殿の中にはなにもなく空洞になっています。
写真は黒いカーテンに覆われたカーバ神殿の周りをイスラムの信者が廻っているところです。
ところがカーバ神殿にはもう一つの信仰があります。「黒石」と呼ばれる石なのですが、これは偶像が作られるよりも前から信仰の対象だったとされています。マホメットはこれだけは破壊せずに残しています。 「黒石」は現在、神殿の外壁に埋め込まれており、メッカの巡礼者は毎回この石に触れてカーバ神殿を反時計回り7回廻ります。
「黒石」は黒曜石なのか隕石なのか正確なところはわかりませんが、大きな黒い石は砂漠では珍しいものだったのでしょう。
カーバ神殿は黒石を祭る神殿であると同時に砂漠のなかのオアシスであり交通の要所ででもあります。 黒石はここを拠点とする部族にとってはかけがえの無いシンボルだったに違いありません。
 遊牧部族の信仰とは、この黒石とオアシスのような、ある部族にとっての(他の部族と抗争してでも守るような)重要拠点とそのシンボルを祭る信仰だったのではないでしょうか?自然対象のなかでもとりわけ自部族にとって重要な意味をもつ場所と対象に限定した信仰がはじまった時、精霊信仰は変質し始めたと考えられます。
(by田村)

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