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中国文明の王位継承=世襲制とは?

縄文ブログ 最近盛り上がってきましたねー さーねです 😉
今日は、中国文明。中国奇貨居くべし「王位継承パターン」 [1]という記事。世襲制=生涯固定の身分制度確立過程の仮説です。
>古代王朝の王位継承について、『夏王朝 王権誕生の考古学』に興味深い学説が紹介されていましたので、ここで取り上げてみたいと思います。これは立命館大学の吉本道雅氏の説です。
有力者たちの中から王を選出する「王位」の出現…英雄時代(五帝)
特定の氏族が王位を独占する 「王朝」 の出現
氏族(王族)内の特定の家系が王位を独占し、兄弟が順番に王位を継承商王朝初期
王の子が優先的な王位継承権を持つ親子相続「王統」 の確立夏王朝・商王朝後期
王があらかじめ自分の子から太子を指名西周王朝
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以下、中国奇貨居くべし [1]からの抜粋です。より詳しくはサイトを参照してください
>①の段階は、集団の中で有能な人物が皆から選ばれて(或いは自薦)、後継者を指名する段階です。…(中略)…社会制度が未熟な時代では、集団を存続させる大きな要因は、有能なリーダがいるか否かであると思います。
>②の段階は、…(中略)…たとえばある王の子が5人いたとして、その中のひとりが王位を継いだとします。そうするとその王の集団(氏族)は力をもって他の集団(氏族)を凌駕するようになり、その後もいつも特定の氏族の人が王位を継ぐようになる段階です。
>③の段階は、…(中略)…商王朝でいえば、 湯王という家系の者が王位継承権があります。さらにそれは兄弟継承です。湯王が没すると、湯王の氏族の者から王を選ぶのではなく、湯王の子から選ぶようになります。大丁が即位して没すると、大丁の弟の外丙が継ぎました。
>④の段階は、王位が親子で相続される段階です。王朝の安定継承のために王位を兄弟でシェアしていたものを、王の子供に限定するようになりました。さらに有資格者が限定されます。しかしそのために王が壮年で亡くなってしまうと、幼少の子が即位することになってしまいます。そこで王の個人的な能力以外に、王の権力が保たれるようなシステムができあがっていないと王朝の存続ができなくなります。
>⑤の段階では、さらに王位継承権は限定されて、王の子の中でもたった一人を指名します。いわゆる太子です。有資格者は太子ただひとりです。この段階では、王位継承をめぐる争いがないため、王権は安定継承されます。
世襲制と言えるのは、兄弟継承が始まった③当たりからでしょうか?前段の表からも、中国初期の王朝である王朝や商(殷)王朝時代は、王位継承形態が③から始まっているようです。逆に、③の方法を確立したからこそ、王朝として成立したのではないでしょうか。
また、注目すべきは④の段階。幼少の王では王朝の存続は困難。よって、この段階で、神官が権力をふるい始めたのではないでしょうか?逆に考えれば、神官が権力を行使できるようになると、いわゆる「裏切り」的なことも頻繁に起こったのでしょう。⑤を確立した王朝ほど安定したと考えられます。
ここで、るいネットより大事な歴史的普遍構造
「固定的身分制度の中で生まれる血筋の正当化」 [4]→国家支配には、血筋が正当化される
さらに、中国の特殊性として
「中国社会の基本構造:宗族と祖先崇拝・儒教」 [5]→中国では、父系制。加えて、血縁関係が強力
王朝興亡が頻繁に起こった中国文明。掠奪闘争の圧力も高く、氏族間の圧力もかなり高かったと思います。よって、世襲制確立も困難で、段階があったという仮説は成り立つのではないか?と思います 🙂

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