2007.01.03

ベネチィアによる古代文明の略奪から、近代の市場文明が始まる

本年もよろしくおねがいします。Hiroshiです。
新年はベネチィアからはじめたいと思います。ベネチィアって古代文明と関係ないじゃん、って言われそうですが、古代文明と近代市場文明の境目にあるのがベネチィアです。
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[ベネチィア:サンマルコ広場、手前がアドリア海、背後にアルプス]
数千年にわたる古代の文明は、莫大な金銀財宝を蓄え、それらは、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)やイスラム帝国に引き継がれました。十二世紀の十字軍以降に、古代オリエント文明が蓄積した金銀財宝を略奪しヨーロッパへ移植したのがベネチィアだったのです。
移植された金銀財宝を元にイタリアルネッサンス、そしてヨーロッパ近代が始まります。

↓本年もよろしく
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posted by ihiro at : 2007年01月03日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.01.03

縄文人の漁業って?教えて!

あけましておめでとうございます。
今年もくっちゃね、くっちゃねの正月を過ごしております。 はい。
画像の確認
ところで、いきなり縄文に引き付けますが・・・
縄文人ってどんな猟をしていたんだろ?って気になりませんか?
食べ物についてはいろいろな資料があるので、知っている方も多いと思いますが、
問題はじゃーそれを“どうやって獲(採)っていたの?”と思うわけです。
そしてその中でも特に気になっているのが、魚の捕獲。平たく言えば漁業なんですが。
なんであんなにすばしこい魚達を縄文人が捕まえられたのか?
釣りを趣味にしている私いとってはどうも理解できません。
私なんか複雑な仕掛けを駆使していつも試行錯誤を繰り返しているのに、
いつも魚は釣られてくれませんわ!
特に、マグロ、カツオ。
これらは私も毎年釣りに行くのになかなか釣れません。
彼らは平均時速50kmのスピードで一生泳ぎ続け(寝ている時も泳ぎ続け)、
餌を捕らえる時などには時速100kmに達するスピードで泳ぐんですよ!!
縄文人がなんで?なんで?どうやって?捕獲したの?って純粋に疑問ですわ!
誰か知っている人がいましたら是非、是非コメントください。
By:R
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posted by mrran at : 2007年01月03日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2007.01.01

日本の私権国家への道すじ(3)

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明けましておめでとうございます。 😛 くまなです。
今年もみんなでブログを盛り上げていきましょう
突然ですが、1年は、なぜ冬のこの時期に始まるのかご存知ですか?
古代メソポタミアでは1年のはじまりは春分の日でした。すべてのものが生まれ出るからです。古代中国では冬至の次の日や立春を1年のはじめとしていたようです。日本も江戸時代までは中国の影響で立春が1年の始まりでした。農耕⇒豊饒⇒自然への期待が込められています。
1年のはじまりをいまの1月1日の時期に決めたのはローマ帝国で、この時期にあたる神様が一番偉かったからだそうで、自然より観念統合を重視したようです。日本も明治以来、この時期が正月になったようです。⇒参照
***
さて、日本の私権国家への道すじ(3)です。
前回は、前3世紀、天孫族(アマテラス)と箕子朝鮮(スサノオ)を紹介しました。
天孫族は南朝鮮経由で渡来しているので、箕子朝鮮は天孫族と同族あるいは近縁であると考えられます。箕子朝鮮は殷(商)人の末裔と考えられていますので、北方の遊牧民と混血している可能性が高く、遊牧系の天孫族とは服属・嫁派遣等により混血している可能性が高いと思われます。ですから、古事記・日本書紀ではアマテラスとスサノオは姉弟とされているのでしょう。
今回は前2世紀からはじめます。
このあたりの時代は未だ古事記・日本書紀等に描かれた神話世界です。
神話は支配者(勝者)が自己を正当化するために作ったもので、創作物ですが、
事実無根のつくり話ではなく、事実が基礎にあるというスタンスに立っています。
↓さて、さて本題です。

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posted by kumana at : 2007年01月01日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2006.12.31

今年の「縄文ー古代ブログ」を振り返って

9月から始まった縄文―古代ブログですが二十数人の方の参加のおかげでかなりの投稿数をいただき、なかなかの盛り上がりが出てきています。ランキングの方も人気ブログランキングで一時期1位を記録していた事もありました。(現在7位)
来年に向けてまだ助走時期だと思いますが、ますます 盛り上げていきたいと思います。
そこで今年投稿された内容を振り返って、来年の追求課題を設定したいと思います。
では、最初(9月7日)に設定した課題群から再度眺めて見ます。以下色を付けている部分が今年投稿があった部分です⇒つまり、色が付いていない部分はまだ手をつけていない部分です。・・・・・⇒ぜひ来年は追求テーマにして下さい。色のついている追求過程の部分はさらに深化させてください。
PS:今回は縄文までの総括と課題化をしました。
年明けには古代世界の方と弥生時代を扱います。

縄文時代を掌握する。→【縄文―基礎情報アレコレ】
縄文前夜を明らかに【縄文―縄文時代の生い立ち】
③縄文時代はどこまでわかっているのか?何が未明なのか?【縄文―新報・追求テーマ】
弥生時代に入り縄文文化は何が残ったのか?【縄文―縄文体質とは何か】
⑤ ディテール編【縄文―ディテール編】
A.食料事情(山、海、川)B.土器技術と様式C.土偶とは何か/D.生業全般:栽培技術・狩猟技術・採取技術/E.服装・建築・装飾具/F.思想:アニミズムの実態/G.社会:縄文の階級社会の中身とは(階層ではなく階級である)/H.贈与・交易:黒曜石・翡翠/J.海洋技術/K.祭祀:どんなお祭りがあったのか?

さて、投稿の全容を見て見ます。すごく手間がかかったのですが、今年の投稿を縄文系―弥生系―世界系に分けて月別に分類してみました。続きを読むをクリックしてください。(これを見るだけでも圧巻です・正月の間の歴史の勉強にも使ってください 🙂 )
縄文ー古代ブログの会員の方へ・・・今年1年、ありがとうございました。また、読者として参加いただいた日本中の縄文ファンの方ありがとうございました。来年は、さらなる追求と解明に微力ですが力を注いでいきますのでよろしく。また、新規会員募集していますので一緒にやりたい!という方はご連絡下さい。(管理人 田野)
来年もぜひ応援お願いします。↓
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posted by tano at : 2006年12月31日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2006.12.30

鉄器の登場と戦争の関係は?

12月20日のみつこさんの記事「灌漑による集団統合課題の登場☆」、みなさん読まれましたか
水利をめぐって、戦争がおこるようになってしまったのはなぜ
ヒントは”鉄器”とのことで・・・私がそのネタ奪っちゃいます
続きへ行く前にワンクリックお願いします。
   
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posted by pingu at : 2006年12月30日 | コメント (8件) | トラックバック (0) List  

2006.12.29

渡来人と豪族の盛衰

5世紀中頃(古墳時代後期)から飛鳥時代を経て、平安京が築かれた奈良時代にかけて、それまでの物部・蘇我氏などの豪族と呼ばれる人たちの争いから、藤原氏を中心とする、強固な国家を造ろうとする動きが登場してきました。
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図は「飛鳥の時代」さんよりお借りしています。
藤原氏らは、唐や新羅と争う一方で、中国の制度をとり入れた新しい国家の建設に努め、天武・持統両天皇の時にこの事業はほぼ完成しました。
律令(刑法と行政法)が国家の法典とされ、豪族の支配下にあった全国の民衆は、中央・地方に置かれた役所を通じて中央政府に支配され、694年の藤原宮の完成をもって律令制国家ができあがったといえます。
この豪族の盛衰と国家統合の背後にどのような力関係があったのか、
知りたい!と思った方はポチッとお願いします。
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posted by simasan at : 2006年12月29日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2006.12.29

縄文草創期の石器大量発掘!!

久しぶりの投稿♪さーねです^^
(先週はちょっとノロにやられましてお休みしてしまいました~すいません!)
今年も今日を含めて後3日。早いですねー
ただし、この縄文と古代文明を探求しよう!ブログに休みは関係なし!
逆に、冬期休暇中こそ、探求できる時間ですよ!
早速ですが、縄文草創期のイメージがだいぶ変りそうな発掘情報です
場所は、岡山県勝央町黒土、大河内(おおこうち)遺跡
発掘された石器の画像
>遺物は約30メートル四方の範囲でまとまって出土。東日本を中心に分布する神子柴(みこしば)型石斧2点(長さ17センチと15.1センチ)をはじめ、槍先に付ける尖頭器、弓矢の石鏃、動物の皮はぎに使うスクレイパー(削器)など、伐採や狩猟用の多様な石器が計45点発見された。(H18.10.6山陽新聞記事より)
草創期は、その生活様式含めて発展途上のイメージがありましたが、かなり変りそうな予感が…
衝撃の発掘情報?はボタンを押してからどうぞ
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posted by sawatan at : 2006年12月29日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2006.12.27

藤原氏って何者?

学校の日本史の授業でところどころ「藤原氏」という名前がでてきます。
飛鳥時代から出現して、日本を動かした中心となった家というイメージですが、どんなふうに影響を与えてきたのでしょう?今回は藤原氏について調べてみました。
(この記事は、「系図でみる近現代」 「ウィキペディア」を参考にさせていただいています。)
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●はじまりは中臣鎌足
最初に「藤原氏」を名のったのは、中臣鎌足。
大化の改新の功により天智天皇より賜った氏姓「藤原朝臣」を姓とする氏族が藤原氏のはじまりです。

鎌足の死後、中臣氏を率いた右大臣中臣金が壬申の乱で処刑された事もあって、乱とは無関係の鎌足流も一時衰亡の危機を迎えた。

●藤原不比等(645年-740年)・・・奈良時代の権力者
藤原不比等は藤原鎌足の子で、不比等の子孫のみが文武天皇の698年に藤原姓を名乗る事を許され、太政官の官職に就くことができ、不比等以外の鎌足の子は、鎌足の元の中臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当する事と明確に分けられたため、不比等が実質的な藤原氏の祖ともいえます。

●不比等の4人の息子
藤原武智麻呂(むちまろ)680年 – 737年 (藤原南家)
藤原房前(ふささき)681年 – 737年 (藤原北家)
藤原宇合(うまかい)694年? – 737年 (藤原式家)
藤原麻呂(まろ)695年 – 737年 (藤原京家)
不比等亡き後、元正天皇・聖武天皇の時代に渡る長屋王との政権争いに勝ち、729年から737年の間、朝廷の政治を担ったが、737年の天然痘の流行により相次いで病死。四兄弟の子が若かったため、実務は光明皇后(不比等の娘)の異父兄弟で臣籍降下した橘諸兄(葛城王)が担うことになった。この間、主立った実務官僚も次々に亡くなり、ついで、四兄弟のうち宇合の息子藤原広嗣が740年に乱を起こし、討伐されたため藤原氏の高位官僚の不在時代がしばらく続くことになるが隆盛を極めたのが、房前を初代とする藤原北家。
●現代の藤原氏は「藤原さん」ではないそうです。
実は、数世紀にわたって、大家族に膨れ上がった藤原氏は、日常生活を
するうえでの紛らわしさから、便宜的にその居住地に由来する家名を
名乗るようになり、鎌倉時代あたりからそれは、次第に定着していった。
例えばこの藤原北家のなかでも、道長・頼通の直系で、
摂政・関白になり得る最高の家柄を摂家・・・近衞・九條・二條・一條・鷹司(たかつかさ)を名乗るようになる。これが五摂家。
実質的には「藤原氏」の祖といっても過言じゃない藤原不比等はどんな仕事をしたのでしょう。まずはクリックお願いしま~す 
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posted by bunchan at : 2006年12月27日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2006.12.26

大和朝廷の支配体制

天皇家を中心に、日本統一を果たした大和朝廷ですが、どのような方法を用いたのでしょうか?
当時の支配体制をまとめてみたいと思います。
氏姓制度http://www2.wbs.ne.jp/~jrjr/nihonsi-1-4-4.htmより抜粋
大和朝廷は、日本を統一し、天皇家中心による中央集権国家を築くことを目指していた。
それを実現させるためには、当然、中央・地方の諸豪族を支配体制下に組み入れる必要がある。
そこで、大和朝廷が導入した制度が氏姓制度(しせいせいど)だ。
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posted by naoto at : 2006年12月26日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2006.12.24

神々はついに人間と同じになった!?

神々に対する信仰の変遷を見てゆく中で、私もメソポタミアの神話を調べています。もともと崇め敬う存在だった神様が、いつしか人間と同じように扱われていく様はたいへん興味があります。
今日はそんな中から、ついに神と同等の立場に立った人間の事例を紹介します。
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posted by saah at : 2006年12月24日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

 
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