2006.12.14

邪馬台国ってどこにあるの?・・・近畿説と九州説

邪馬台国ってどこにあるんでしょうか?
魏志倭人伝にかかれた邪馬台国への道のりを図にすると次のようになります。
弥生ミュージアムさんからお借りしました)
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邪馬台国の場所についてはいろいろな説があります。
「邪馬台国はなかった」という説まで・・・・・
が、そのなかでも有力と見られている説は近畿説九州説です。
今日は、この近畿説と、九州説を紹介します。
ぽちっと押して続きを読んでくださいねっ
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posted by bunchan at : 2006年12月14日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2006.12.13

土偶は妊婦を葬る葬儀品

土偶シリーズ第2弾!
http://www.kodai-bunmei.net/blog/2006/12/post_57.html#moreの続編です。
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しかし、とすれば一体この像は何か。 私は長い間それを考えていまして、そして、この謎は今までどのような学者によっても解明されていません。それゆえ、10年程ずっと私はこの問題を考えてきました。しかし、アイヌのばあちゃんとの対話によって長い間の私の疑問が解けました。 そのばあちゃんは浦川はる というばあちゃんです。
著者梅原氏はばあちゃんの話をヒントに以下の結論を導き出しました。
土偶には葬られている。では何の為に・・・土偶が妊婦を葬る儀式として使われたことを示すものでありましょう。この、実際に葬られた妊婦と胎児の墓と、丁重に葬られた土偶の葬り場との関係はよくわからないが、多分、そのような葬儀の一端として使われたものであるに違いありません。(追記内の文章から抜粋)
詳しく知りたい方はポチッと押して進んでください。
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posted by staff at : 2006年12月13日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2006.12.12

卑弥呼は大倭の女王?

邪馬台国については、九州説と畿内説の論争が続いているようですね。
今回は、畿内説の立場からの記事を紹介したいと思います。
女王の統属する範囲
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/gisi/10c.htm
要旨:女王の統属する範囲は、西は、対馬、壱岐を含む九州北部。東は京都府と滋賀県の境まで。
この範囲を魏志倭人伝は『倭国』と称す。
touzoku.gif
 
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posted by naoto at : 2006年12月12日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2006.12.12

縄文時代の人々は、どのような「家」に住んでいたの?vol.2

竪穴式住居についてさらに調べてみました。
調べていくとなかなか興味深い事が分かってきましたよ。
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posted by mukai at : 2006年12月12日 | コメント (6件) | トラックバック (0) List  

2006.12.12

日本の私権国家への道すじ(2)

こんばんは、くまなです。
前回は、前4世紀、海神族白狄人(イザナギ・イザナミ)を紹介しました。今回は、前3世紀から2世紀初頭です。
中国では秦が中国を統一する前夜です。
各地で戦乱が絶えません。
前277年:秦が楚を討ち、江南を取る。
前254年:秦が魏を討ち、呉城を取る。
前224年:楚、江南で挙兵する。
上記のように中国の南東部(長江河口域)で、激しい戦乱が起こります。
このころ日本に中国南部の河姆渡人と思われる海人(アマ)族が渡来します。
対馬経由で出雲、その後北部九州志賀島を拠点に、筑前・肥前の沿岸部に居住します。
海人族の特徴は、温和、漁労(潜水漁)、海洋技術、金属技術(青銅・銅鐸・銅矛の製作)、全身入墨、稲・葦・竜蛇・鴨を祀る、で出雲神話と一致します。
大国主命(オオクニヌシノミコト)ではないかという説があります。
さて、その後の中国は、
前222年:秦が燕を滅ぼす。
前221年:秦が中国統一。
【図:秦の中国統一】
sin001.jpg
⇒詳細な画像
(「最新世界史図表」第一学習社より)

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posted by kumana at : 2006年12月12日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2006.12.11

縄文時代の人々は、どのような「家」に住んでいたの?vol.1

縄文時代の人々は、どのような「家」に住んでいたのでしょうか?
答えは、みなさんご存じのように竪穴式住居です。
 これまでの調査・研究の成果から「竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)」と「平地式住居(へいちしきじゅうきょ)(掘立柱建物:ほったてばしらたてもの)」という、2種類の建物に暮らしていたのではないか、と考えられます。
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posted by mukai at : 2006年12月11日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2006.12.10

武力統合のために「超越神」が必要だった

今回は宗教のお話しです。
古代宗教の起源はどこにあったのだろうと、少し調べてみました 🙄
「森と人の地球史」より引用すると、
>◎あらゆる自然を神と一体に見る「*マナイズム」
 ◎万物の精霊を神とし、自分たちを護ってくれる先祖の霊を信仰する「*アニミズム」
 ◎祖霊・万物の精霊が憑依し、現世の対話やお告げを行う「シャーマニズム」
 ◎種族を象徴する守護神、特定する主神を祭る「トーテミズム」
 ◎「言霊」によって悪霊を避け幸せを願う、あるいは敵対するものに災いをもたらす「呪術」

>*上田篤『神なき国ニッポン』は、マナイズムを「万物の中で超人間的、あるいは超自然的な力を持つものを畏れる「超人間教」「超自然教」、アニミズムは「精霊教」といってよく、万物にはどんなものにでも肉体の他に精霊がある」とみるものである」と定義している。
精霊信仰~守護神信仰~呪術信仰など、いろいろありますが、
さて、縄文時代はどうだったか?と云うと、
>マツリというハレの日には、男女とも精一杯のおめかしをしてご馳走を並べ、その喜びを祖霊に、森羅万象を形成する自然神に、森の中のありとあらゆる精霊に、種族を守護してくれる守護神に、心からの喜びの祈りや収穫の品を捧げて踊り、ニワトコやヤマブドウなど木の実の酒を飲んでトランス状態となり、神々や精霊と一体になって、笑い泣きまた陶酔の境地の中で歌い舞い明かしただろう。そうしたハレとケという習慣や心情は、かなりの部分いまのわれわれの心の中に継承されてきた。
>恐ろしい地震は「地母神」の怒りであり、火事は「火の神」、噴火は「山の神」、台風は「雨の神」と「風の神」、旱は「天の神」の洪水は「川の神」の、そして津波は「海の神」の怒りであった。縄文の民は過酷な自然現象に自らの罪意識を重ね合わせ、恐れおののいて許しを乞い、あるいは自然の恵みに素直に喜びを表現した。
確かに、地母神信仰などは感覚的に分かりますね。
日本人の心の中には色濃く残っていそうです 🙂
ところが、どの文明を見ても、最初は精霊信仰や守護神信仰だったものが、古代国家へと統合されていく段階には超越神なるものが現れていますが、それは何でだろう?
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posted by postgre at : 2006年12月10日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2006.12.09

土偶はすべて異様な顔をしている??

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土偶ってなんでみんな変な顔をしているんでしょう?みなさん考えたことありますか?
下記のHPに興味深い記事を見つけました。
ちょっと長い(これでも抜粋しました)ですが、本文をそのまま紹介したいと思います。
紹介文読む前にこれ ポチットお願いしますね!
(「縄文人の世界観」・日本人の原像を求めて  三方町縄文博物館館長 梅原 猛)
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posted by mrran at : 2006年12月09日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2006.12.08

縄文時代の「よくわからない石器」~争いに触れてしまった縄文人の意識

るいネットの投稿「土偶に見る収束不全」
は、縄文後期の意識状況に近いんじゃないかな?と感じさせるものであると思います。その中で、以下の部分が僕としてはすごーく気になったところです
>弥生に突入する直前、BC1000年頃土偶が急激に増えています。土器もさまざまな複雑な表現が加えられます。その時代朝鮮半島から弥生人が入りだし併せて農業が始まった事と重なります。その後弥生時代を迎える九州地方は突然土器の様式が無紋という形に変化し土偶は完全に姿を消します。
BC1000年頃=約3000年前は、ちょうど縄文時代後期に当りますが、この時期になんのために作ったのか?「よくわからない石器」が増えているのです。
一体この時期に何が起きたのでしょうか
ポチっとクリックしてくださーい
byさーね
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posted by sawatan at : 2006年12月08日 | コメント (5件) | トラックバック (0) List  

2006.12.07

二重構造モデルの補足の補足

カッピカピさんこんばんわ。 😀
tanoです。コメントにかけなかったのでエントリー投稿します。
さてカッピカピさんが補足していただいた二重構造モデルって一体なんなんでしょう
少し調べて判ってきた事がありますので補足の補足をします。
二重というのは何かの上に何かが重なるという事ですね。(文字の通り
この二重とは基層となる縄文人に渡来人(弥生人)の血が加わり現在の日本人ができているという理論です。なぜ二重構造モデルが必要になったのか?ネットで検索して拝借した下記の論文ではその事に少し触れています。

縄文文化の担い手たちを「縄文人」、弥生文化の担い手たちを「弥生人」と呼ぶとすると、縄文人=弥生人というのが、この説の主張するところです。縄文文化の担い手であった日本人の先祖たちが、大陸や朝鮮半島の進んだ文化を受け入れて、弥生時代という新しい文明段階に進んでいった、というわけですね。
ところが近年、形質人類学や分子人類学、ウイルス学等の発達に伴い、骨格や頭蓋骨の形と歯形、そしてウイルスやDNAなどをより厳密に比較することが可能となり、縄文人と弥生人との間には、とうてい同一人種とはみなせない相違があることが明らかとなりました。
この問題を解決するため、人類学者の埴原和郎氏は「二重構造モデル」という仮説を提出しています。『日本人の骨とルーツ』という本から、少し長いのですが、引用します。この中で埴原氏は縄文系と渡来系という言葉を使っていますが、渡来系とは弥生人のことであるとお考えください。

さて、埴原氏の文献を見て見ましょう!。
『日本人の骨とルーツ』http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31018072
「日本人の起源と形成の問題はいまだに研究者の興味を引き、論争の的になっている問題も少なくない。本書では、現代にもみられる日本人の地域性を、縄文系集団と渡来系集団の混血の濃淡によって説明し、地域性や自然環境、文化の発展などにも着目する。日本人の形成史を縄文系と渡来系の「二重構造モデル」で分析し、自然人類学の視点で日本人のルーツを探る。」~yahooブックス解説より
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埴原氏の原文を読んでみたい と思った人はぽちっと押して次へどうぞ。
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posted by staff at : 2006年12月07日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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