2006.12.22

様々な説からみる土偶とは??

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 土偶については様々な説があるけど、「どこかにまとまっているのないかなー・・・」と、思った人は多いんじゃないかな そんなことを思っていた時、友人に良いHP(http://www.kenkenfukuyo.org/reki/konoha/konoha01.html)を教えてもらったので紹介します 😀
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posted by postgre at : 2006年12月22日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2006.12.22

神様が時代とともに姿を変えたのは何で?

「困ったときの神頼み」「ああ神様、仏様!!」・・・普段はあまり、神様とか宗教とか、身近に感じませんが、人間、本当にどうしようもなくなると、人知を超えたものにすがりたくなるようです。ということは、神様や宗教っていうのは、人間が自分達で解決できない難題に直面したとき、やむにやまれず生み出したものなのかもしれません。
 でも、神様と一口に言っても、その時代、時代によって、結構姿かたちを変えているのです。ということは、その時の時代がどんな状況だったかを考えると、神様の形も見えてくるのかもしれません。
 ここでは、古代メソポタミアの信仰や神の形の変化を3つの「なんで?」に分けて考えていきたいと思います。続きを読む・・・
 
 

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posted by hiroshi at : 2006年12月22日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2006.12.21

信仰や宗教が生まれたのはなんで?(メソポタミヤ版)を追求してみませんか?

syumer.jpg
12月17日のなんでや劇場では「武力支配国家」と「宗教」の成立が扱われました。
世界史のなかでもメソポタミヤ地域は、最も古くから掠奪闘争が繰り返された地域であり、その闘争の中でより強力な武力支配国家が次々と出現し淘汰されて武力支配国家の原型が出来上がっていった訳ですが、そこでは「守護神信仰」というものが武力支配国家の成立に大きな働きをした事が扱われました。
日本でも古代国家の成立期のシャーマンである卑弥呼や国造りの神話が現れたように、信仰や宗教は(現実的な武力による支配と共に)統合上必要だったのだと思われます。
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posted by nandeya at : 2006年12月21日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2006.12.21

土偶解明のキーワード

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土偶・・・いろいろな解釈があるようですが、
先ずは“土偶の特徴ってなんだろう?”って
ところから考えてみようか・・・とネットサーフィンで写真を集めていたところ、
既に土偶の特徴をまとめてくれているサイトがありました。
  題して“土偶解明のキーワード”
三本指の土偶なんてのもあるんですよ!
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posted by mrran at : 2006年12月21日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2006.12.20

灌漑による集団統合課題の登場☆

こんばんは~  面白い記事が続いていますが、今日はちょっと縄文・弥生にトリップしてください
るいネットの投稿『縄文人の集団規模と共認の関係』に、
縄文時代は30人規模の単位集団だった。それは意思疎通が図れる範囲で、共認形成を諮ることを第一義としたから!という紹介がありました。みなさん、お読みになられましたか 😀 ?
でもね、集団のありようも時代(外圧変化)とともに変化するものなんです。。。
今日は灌漑稲作が始まって、集団のありようはどういう変化を迫られたのか?を見ていきたいと思います!
まず、ちょっとお勉強・・・。そもそも、灌漑って何?
zike_yayoi_a04.jpg
寺家遺跡(弥生) 灌漑用の水路を、完掘した状態です。この溝の周辺には水田が広がっていたものと思われます。 いしかわの遺跡 さんから頂きました。
灌漑(かんがい)とは農地 に外部から人工的に水 を供給すること(by ウィキペディア)で、日本における灌漑技術の段階は大きく以下の4段階だそうです。(以下、引用及び参考は鷲田豊明氏『日本社会システムの起源』より。)
①弥生時代初頭~後期
 自然河川に堰を設けて水位を上昇させ、溝で導水する
②弥生時代末期~5世紀の中頃
 自然河川相互を結ぶ人工流路の掘削
③5世紀末or6世紀初頭~
 ②に、堤防を構築することによって自然河川を堰き止め流路を変更する、つまり、自然河川を途中から人工河川に転換する方式が加わる。
④7世紀初頭~
 長大な人工流路の掘削による計画的大開発と溜池潅漑の普及
(その内、弥生時代は①~②に該当。だんだん技術が進歩してるのが分かりますね )
つまり、自然の雨水 に頼ったりするのではなく、人工的に河川水 を利用して農業を行うってことみたい。でもでも、この技術が私たちの先祖の集団関係に大きな影響を及ぼすのです!
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posted by mituko at : 2006年12月20日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2006.12.19

卑弥呼伝説を明らかにする(2)

こんばんわ! 😀 tanoです。
前回の投稿から~以上から卑弥呼は海部氏の家系の人物(第6代孫)であると特定できるようだ。
さて海部氏とはなんだろうか?丹後半島に弥生時代に海部氏の足跡がある。卑弥呼を説く鍵は丹後半島にあった。次回に続く・・・。
今回も日本建国史さんから紹介します。
私は弥生時代の強力な王権は、稲作に適した平野部に生まれたと考えていた。
なのに丹後地方は、日本海に面した山の中である。卑弥呼を擁立するような、王権が生まれるなど、とても信じ難い。
しかし、私の疑問を解く発掘がある。

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posted by tano at : 2006年12月19日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2006.12.17

中国の母系氏族社会

中国では、約6000年前に黄河中流区域で母系氏族社会繁栄期 に入ったと言われています。その当時の状況について興味深い史実があったので紹介します。(http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX1-2.htm)
 ↓写真は、現在も母系社会を続けているナシ族の女性です
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母系氏族社会の原始宗教は自然発生したものである。こうした宗教は、原始の人々が共同で生きていく中で考え出したものであるが、いったん生み出されると、氏族集団全体の信仰に変わり、生活の各方面に浸透していった。
~~~ 中略 ~~~
こうした原始宗教は自然崇拝・トーテム崇拝・天神崇拝・祖先崇拝などを含んでいたが、母系氏族制の中で最も特徴的なものは女性崇拝(女始祖崇拝や女陰崇拝などを含む)である。
中国の上古の大部族はすべて母系氏族から発展した。そうした部族連合を統率する者は、母親は知っていても父親は知らないことが多く、自分は竜・閃電・虹などの自然物が人間と感応して生まれたのであると考えていた。


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posted by postgre at : 2006年12月17日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2006.12.17

縄文の言葉が残ったこと・・・・

縄文文化って今の日本にいったいどの位のこってるのかなー?と疑問に思ったことがあったけど、
先日あっそうか!と思った。普段はなしている言葉(日本語)ってひょっとすると・・・縄文時代から連綿と続いているのでは・・・
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3000年位前の熊の土偶(青森県尾上山)
森の精霊、かわいいね。
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posted by ihiro at : 2006年12月17日 | コメント (4件) | トラックバック (0) List  

2006.12.16

舟を通じた中国文明と古代日本の交易

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三星堆文明の縦目仮面
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青森県亀ヶ岡遺跡の土偶
中国文明と古代日本の関係を交易を通じて俯瞰してみます。
中国には黄河流域の「馬の分化」と長江流域の「舟の分化」の2つがあったようです。今回は「舟の分化」を紀元前までの期間で辿ってみます。

>環シナ海に広がる「百越の民」と倭人たちは、秦・漢以前からゴンドラ型の竜骨舟にのって往来していたのだろう。東シナ海の荒波にもまれてしばしば遭難したこともあったろうが、呉越の造船技術や操船技術の発達はかなりのもので、すでに春秋戦国期に外洋航海の記録がある。 船首と船尾の反り上がったゴンドラ型の船は、季節風と黒潮に乗って朝鮮や日本に到来したことは、朝鮮海峡や日本海岸に残されたこの竜骨舟の絵図からも知られている。
 この往来を通じて環シナ海の自然崇拝の観念が共有されるようになっても不自然ではない。長江中下流域の「良渚文化」から上流域の「三星堆文化」にいたるまで、越系の人々が河姆渡以来の太陽信仰・精霊信仰・鳥信仰・目玉信仰などの観念を共有していたことは、『ギャラリ-』の「長江文明のイメ-ジ」を参考にしてもらえれば、それが稲作と操船の民のどんな自然崇拝であったかを見ることができるが、朝鮮半島や日本に居住した倭人もまた太陽(女神)信仰・鳥信仰・蛇信仰などの観念を共有していたのである。 

 文明の周縁より
⇒三星堆遺跡から発掘された縦目仮面と青森県亀ヶ岡遺跡から出土された縄文時代の土偶の目がいずれも大きいのは、目玉信仰の系譜を踏んでいるように感じます。
*時代整理:
日本の縄文時代BC10000~BC500年。
中国の良渚文化と三星堆分化BC3300~BC1000年
疑問はBC8000~BC3300年の空白期間の交易はどのようなものだったのか?
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posted by postgre at : 2006年12月16日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2006.12.16

卑弥呼伝説を明らかにする!(1)

😀 tanoです。
卑弥呼は非常に謎の多い女王である.
卑弥呼とはどんな人物か?どこに拠点があったのか?何をした人なのか?
どんどん関心が高まります。まだ調べ始めたところでタイトルのように展開できるかは自信がないのですが、方々の優秀な諸氏のHPを参考にしながら読み解いていきたいと思います。(予定では数回に分けて投稿しますが今回はまず第1回です)
まずは基礎データーを押さえておきましょう。ウィキペディアから紹介http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC
>卑弥呼(ひみこ、158年頃?-248年頃?)は、日本の弥生時代後期における倭国の女王(倭王)。邪馬台国を治めた。封号は親魏倭王。後継には親族の台与が女王に即位したとされる。
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↑卑弥呼復原像~大阪府立弥生文化博物館より拝借しました。
次に魏志倭人伝から(同じウィキペディアから掲載です)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
魏志倭人伝によると、
「卑彌呼 事鬼道 能惑衆」
卑弥呼は鬼道で衆を惑わしていたという(この鬼道や惑の意味には諸説あるが正確な内容については不明)。

「年已長大 無夫壻」
年長大であったが夫を持たず、

「有男弟佐治國」
弟がいて彼女を助けていたらしい。

「自爲王以來 少有見者」
王となってから後は、彼女を見た者は少なく、

「唯有男子一人給飮食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設」
ただ一人の男子だけが飲食を給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた。宮室は楼観や城柵を厳しく設けていた。

「卑彌呼死去 卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩」
卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩もある大きな塚を作り、奴婢百余人を殉葬したとされている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
魏志倭人伝を素直に読むと卑弥呼は大衆を惑わす?とてつもない呪術師であり、王になってからは姿すら誰も見れない。生涯独身で長寿。唯一使えたのが側近の男性。卑弥呼の死と共に大衆は悲しみ後を追って死んだという。
さて天照大神から神功皇后まで諸説があるが古事記、日本書紀には卑弥呼の明確な記載はない。
卑弥呼を推定するにはこの魏志倭人伝が唯一の根拠になる。従って卑弥呼の実態には諸説があり、まさに史実から古代ロマンに近いものまで女王伝説が乱立しているのである。

その中で海部氏の『勘注系図』から卑弥呼を割り当てた論説がある。
海部氏(あまべし)とは・・・

>京都府の日本海側、宮津市に、日本三景の一つと知られる、天の橋立がある。
天の橋立が、あたかも参道のように海中に延びた北の端に、籠(この)神社と呼ばれる古い神社がある。その神社の宮司家である、海部(あまべ)家に古い系図が伝わる。

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posted by staff at : 2006年12月16日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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