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縄文の言葉が残ったこと・・・・

Posted By ihiro On 2006年12月17日 @ 4:49 PM In 縄文人の外圧 | 4 Comments

縄文文化って今の日本にいったいどの位のこってるのかなー?と疑問に思ったことがあったけど、
先日あっそうか!と思った。普段はなしている言葉(日本語)ってひょっとすると・・・縄文時代から連綿と続いているのでは・・・
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3000年位前の熊の土偶(青森県尾上山)
森の精霊、かわいいね。
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そんな仮説というか疑問をもって調べてみると・・・・
(以下引用)稀有の森の王国日本 [3]

不思議にも今まであまり取り上げられずにきたことなのだが、弥生に関しては2つの大きな謎がある。一つは今に伝わる私たちの言葉が渡来人のものでないことであり、もう一つは弥生時代になぜか文字が出現しなかったことである。
 このことからは次の3つのことが導き出される。  
1.弥生人は雑多な種族であった。そのため共通の言葉を持たなかった
2.縄文人は弥生人によって征服されなかった
3.弥生人は主として文字を持たなかった種族で、江南の地の影響を濃く持つ民の渡来であった
 
重要なことは、縄文人の持つ固有の「言葉」がほとんど損なわれることなく保全された事実である。また「なぜこの時期に弥生の民が渡来したのか」という疑問もある。弥生時代は当初秦という最初の帝国(前3世紀)の圧力が強まった時期から始まり、三国時代(西暦3世紀)という、なべて戦乱の時代であった。そして弥生人とは、戦いに敗れた民が勝者の圧力によって押し出されたボートピープルであった。
 男性主体の難民は容易に地元の民(女性)と結び付く。たとえば拙著(乱世の縄文)で紹介したことだが、安田喜憲『環境考古学』は、縄文晩期の夜臼式土器から弥生前期の板付?式土器への移行の連続性に触れながら、「渡来した集団は、主として男性ではなかったか。そして夜臼式の土器を作っていた女性と結び合うことで、集団内に同化して稲作文明が穏やかに受容されていった」のではないかという見解を示す

言葉が連綿と続いているってことは、それを使う集団が連綿と続いていたことを示している。やっぱり縄文文化は日本の基層的な文化なのだ。弥生文化をもたらした渡来人を受入れ、混血する形で日本人の原型が作られてきたと言えそうです。
渡来集団との融合過程も、弥生の渡来人が主に男だったから、母系の縄文の集団に受け入れられたというのも興味深い説です。ただ逃げ延びる集団の本能からすれば、女子供を守るのを優先するから、渡来人に女の人が含まれる可能性は高かったと考えます。
様々な渡来集団を受け入れながらも、縄文集団と縄文語→縄文の基層が連綿と生き残ってきた事実が重要だと思いました。
(by Hiroshi)


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