2006.12.07

二重構造モデルの補足

こんにちは、カッピカピです。
yuyuさんが以前に書いてくれた記事に出てきた「二重構造モデル」について調べていたところ面白いHPを見つけたのでご紹介したいと思います。
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posted by hi-ro at : 2006年12月07日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2006.12.05

スサノオは、箕子朝鮮から逃げ延びた王族の一派だった!?

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古事記によると、イザナギが黄泉の国から逃げ帰ってから川でみそぎをするのですが、その時に左目を洗ったときに天照大神、右目を洗った時に月読尊(つくよみのみこと)、鼻を洗った時に須左之男命(すさのおのみこと)が生まれたとされます。
スサノオは、乱暴物 8)  として描かれています。アマテラスのところにいってさんざん暴れまわった挙句、とうとうアマテラスは岩戸に隠れるという事件を引き起こしたり・・・一体何者
「古代で遊ぼ」さんによると、スサノオは逃げてきた箕子朝鮮の王族だったのでは?と考えられています。
そのまえに箕子朝鮮って何? と思った人はぽちっと押して次へどうぞ。
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posted by bunchan at : 2006年12月05日 | コメント (5件) | トラックバック (0) List  

2006.12.04

黄河文明 古代の戦争は呪力と呪力の闘い!?

古代の統治は、祭祀によって行われていた。血縁関係のない多くの部族を結びつけるには、祭祀が必要だったようだ。
そしていざ戦争ともなると、強力な呪力を持った巫女の勢力による呪詛が敵に向かって放たれ・・・
😈 %E6%AE%B7%E7%B4%8B%E7%AB%A0%EF%BC%92.gif(写真は殷時代の紋章と言われているもの)
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posted by ihiro at : 2006年12月04日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2006.12.03

古代中国が一妻多夫制だったって本当?

古代中国は母系制社会だったと言われていますが、それは「姓」に表れています。
サイト「中国的こころ」http://www.h3.dion.ne.jp/~china/に林雅子氏訳『中国姓氏考』が紹介されていますので、引用して紹介します。
>中国人の名前には、姓、氏、名、字、号があります。ひとりの人物が色々な名で呼ばれるのは、これらが複雑に絡み合っているからなのです。
へー、こんなにあるとは知らなかった!
>古代中国人の男性の名は、「姓」+「名」で構成されていました。姓とは何でしょうか。
姓とはいわゆる苗字ですが、『説文解字』には「姓は人の生まれる由来であり、女に従い生に従うという。故に姓(女+生)という」とあります。その姓の由来はトーテム崇拝であるといわれています。

トーテム崇拝って何?
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posted by postgre at : 2006年12月03日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2006.12.02

黄河文明は恐怖の人骨文明か !?、ゾゾー・・・

殷の初期王朝とも言われるBC1900頃二里頭文化の発掘結果からは、背筋がゾゾッとしてくるような結果が・・ ・。
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posted by ihiro at : 2006年12月02日 | コメント (8件) | トラックバック (0) List  

2006.12.02

縄文人と弥生人の特徴の違いについて

こんばんはyuyuです。
 
いつも、読んで勉強させていただいている、「新しい日本の歴史」HPさんの中に、「日本人とATLウィルスの関係」というタイトルがあります。
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page695.html
 
何ゆえ、歴史にウィルス?と、少し疑問に思ったので、ちょっと調べてみました。
 
 
■「二重構造モデル」
>そうした近年の諸研究から様々な渡来モデルが提唱されているが、一般的には埴原和郎の「二重構造モデル」が良く知られていよう。この説は「もともと日本列島にはアジア南部に由来する縄文人が広く住んでいたが、弥生時代になるとそこに、かつては中国東北部にいたツングース系の人々が朝鮮半島経由で流入した。その結果、彼らの影響の及ばなかった日本の南北両端の琉球人と北海道アイヌには、共に縄文人的な特徴が残った」、という考えである。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/161.html
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http://www.gmnh.pref.gunma.jp/demeter/demeter7-02.html
(群馬県立博物館HPより)
「二重構造モデル」って、古代史ファンの間では、結構有名なモデルなんですね。
先のATLウィルスもその特徴を表す要素の一つのようです。
では、その他の具体的な、縄文人と弥生人の特徴の違いって、どんなのがあるのでしょうか?
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posted by yuyu at : 2006年12月02日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2006.11.30

日本の私権国家への道すじ

こんばんは。くまなです。
弥生時代の研究は、神話のような古事記・日本書紀がベースで、ネットでも諸説あってよくわからないので、まとめてみることにしました。
目的は日本における私権制度の移入・確立のようすを明らかにすること。
これから数回に亘って、史実を時系列で押さえていこうと思います。
予定としては、まずは弥生時代から、日本に渡来した人々の時期と出自を明らかにします。また、できれば古事記や日本書紀に書かれた「神話」と言われている部分と史実との関連も明らかにしたいと考えています。
時代の射程は私有制身分制が確立する7世紀ごろまでを考えています。
最後は年表のかたちにまとめます。関連する情報の援護投稿も歓迎です!
弥生時代ということで、まずは↓これが‘弥生’の呼称を生んだ‘弥生町’で発見された土器
05.jpeg
それでは、まずは紀元前3世紀の江南人の渡来から。

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posted by kumana at : 2006年11月30日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2006.11.27

大型竪穴住居 5000年前の北海道森町に!

はじめまして。縄文ファンのオカです。
以前、るいネットの投稿「縄文時代の同類緊張圧力」(by細田氏)に、青森三内丸山に匹敵する北海道函館の縄文巨大遺跡サイベ沢遺跡の紹介がありましたが、2004年にそのすぐ北の森町で大型竪穴住居が発掘されています。
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↑写真は三内丸山遺跡のものです。
『大型竪穴住居 5000年前の北海道 大人80人が車座に』2004年12月19日毎日新聞より
 北海道森町の「森川3遺跡」で縄文時代前期末(約5000年前)の土ぶき屋根の竪穴式住居跡が見つかった。大人80人が車座になれる大きさで、保存状態も極めて良い。北海道埋蔵文化財センターが02年度から発掘調査していた。
 最大の住居跡は長軸13メートル、短軸11メートルのだ円形で床面積約130平方メートル。壁の周辺に主柱の穴が8カ所、中心部に大黒柱を立てたとみられる穴が2カ所あった。住居跡の床面は、厚さ20~80センチの黄色いローム層の粘土で覆われていた。粘土は縦穴を掘るときに出たもので、そのまま屋根として利用したとみられる。建物が放棄された後、崩落、覆いかぶさったらしい。
 道埋蔵文化財センター第2調査部の熊谷仁志第3調査課長は「粘土はきめが細かく、水を浸透させないので虫害もない。夏はかやぶきよりも涼しく、冬は暖かい住居だったと考えられる」と話している。(以上、記事)

 「円筒土器と石刃鏃①」(by細田氏)の投稿にあるように、森町の森川3遺跡は、サイベ沢遺跡を拠点集落とする衛星集落だったのであろうか(その場合は三内丸山と緊張状態にある)、それともサイベ沢遺跡、森川3遺跡とも三内丸山の衛星集落なのであろうか?
土器型式では、東北地方、北海道南端の渡島半島とも、縄文時代前期は円筒下層式、中期は円筒上層式と共通の文化圏である。
 
サイベ沢遺跡の詳細を調べれば見えてくるように思います。
サイベ沢遺跡調べたくなりました? 8)

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posted by staff at : 2006年11月27日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2006.11.26

アイヌに関して~故萱野氏を偲んで

こんばんわ。tanoです。今日はアイヌネタで一つ投稿します。
2年前の週間朝日のシリーズコラム(夫婦の情景)でアイヌの血を引く現在アイヌ民族学者の萱野 茂(78歳)とその奥さんのれい子さん(73歳)のインタビューを通したアイヌ文化が紹介されました。その中からいくつか読み取れた現在のアイヌについて紹介します。
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>萱野氏はアイヌ唯一の元参議院議員。出身である苫小牧東部に位置する平取町二風谷は、アイヌコタン(集落)が今でも点在する。平取町6千人のうちアイヌの血を引く人は2千人。萱野氏は二風谷アイヌ資料館館長を勤めておられる。
 アイヌ文化には文字がない。アイヌ社会でアイヌに精通する人はすでに少なくなっているが、茂さんの父親はアイヌ語を知り尽くしていた。茂るさんが幼い頃囲炉裏端で毎晩のようにアイヌ語で昔話を語ってくれた祖母かってさんは、1945年に95歳で亡くなるまで、ついに日本語を話さなかった。
 茂さんは畑で収入が上がらず木の彫り物をして収入を得ていく。その傍ら、民話も残したいと思い1960年、テープレコーダーの購入とともに様々なアイヌの口承文化を録音していった。彫刻でお金を得てそれでテープを購入、そのくりかえしだったそうだ。その時間は800時間にものぼり、うち翻訳が済んだのがまだ40時間分。78歳の現在、仕事はまだまだ残っているという。

 以降は夫婦の会話。続きはポチッ
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posted by staff at : 2006年11月26日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2006.11.24

縄文人へ同化してみませんか?

こんばんわ。管理人のtanoです。
今日は縄文人への同化という観点でひとつ投稿したいと思います。
安田 喜憲氏の著書である「日本よ森の環境国家たれ」の冒頭の文章からの抜粋です。
>「何ごとのおはしますかは知らねども かたじけなさの涙こぼるる」
これは西行法師が伊勢神宮の内宮でよんだ歌である。
森羅万象に神の気配を感じ、思わず涙する。これが「森の民」としての日本人の感性の根幹を形成している自然観なのである。

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いつも読んでいただいてありがとう!続きは・・・
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posted by staff at : 2006年11月24日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

 
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